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「陰謀を超えて」(2021年2月)

●2月1日/1st Feb
何度かシェアしてますが、新しい論考をアップする前にもう一度。「ディープフェイク」についても少しだけ触れてます。
今では顔アプリで馴染んでいる人が増えてきているので感覚的に理解している人も多いけど、顔認証のデータは確実に抜かれているかと。
https://wirelesswire.jp/2021/01/78548/...

●2月2日/2nd Feb
研究室にいる時は、昼食時に映像資料に目を通すのが日課になってきた。あるジャーナリストから大量にもらったビデオテープの資料があり、それを順番にデジタル化しているが膨大な量がある。
中には貴重な映像もあるが、今日は1920年代の世界の状況を集めたNHKのドキュメンタリー映像。丁度100年前の状況は今の時代の読み取りに大変参考になる。
クークルックスクランの集会の映像や、フラッパーのダンス、上海租界や世界恐慌時のマンハッタンなど非常に興味深い。
今書いている文章が丁度そのあたりもイメージしているので、非言語でインスパイアされる。

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●2月3日/3rd Feb
デザインオフィスで働いていた頃、ミャンマーのヤンゴンにあるカンドジレイクパークのプランニングの仕事をオフィスで請け負っていた。
その頃はまだ軍事政権だったので、FAXを送る向こうの担当がエリアコマンダーだったことを覚えている。
当時の僕は戦争の事など何一つわかっていなかったので安っぽい反戦論に共感などしていたが、今では随分と自分の中での理解も変わった。
この数日は「戦争」についての原稿を推敲していた所なので、意識もそっちに向く。

●2月6日/6th Feb
本日の産経新聞に、ハナムラが監督した映画「Seeing Differently」のことを受賞に伴い掲載して頂いたようだ。
視点がオーバーツーリズムに特化しているのが残念だが、見出しには「見方を変える」とつけて頂いたみたいで、取材時に色々と話したことは一定受け取ってもらえたのかと。
先日の朝日新聞の掲載を見た産経新聞のデスクの人が、この映像を見て面白かったので取材したいと言うことらしく、新聞が情報得るルートが見えるのが面白い。

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●2月7日/7th Feb
兵庫県立美術館で開催中の「今こそ具体」の展覧会に滑り込む。コンテンポラリーダンサーの岡さんのお誘いで、2018年頃から芦屋アートプロジェクトのアドバイザーをしていて、「具体」とのご縁を頂いたこともあり、見に行かねばと。
これまでに、色んなアーティストや研究者から具体のことを色々と教わったが、実際に作品を直接見るのは初めてだったので、たっぷりと時間を取って鑑賞。そこでいくつか腑に落ちたことがあった。
話だけ聞いていても具体の良さはよく分からなかったのだが、なるほどなと得心した。コンセプトや解釈や文脈が重要視される現代アートの中で、その解釈以前に立ち現れるプリミティヴな衝動を嗅ぎ取るには実際に作品と向き合わないと腑に落ちない。
18年の具体の活動は吉原治郎が繋いでいたとはいえ、決して一枚岩ではない。運動体としての具体と同時に、作家ごとにそれぞれは何を動機にしていたのかを、追体験せねば理解できないこともあることが分かった。
以前聞いたアール・ブリュットと具体の比較の話の中で、具体美術協会が評価しそうな作品にはある傾向が見られるというのを興味深いと思っていた。
それが展示室の外に並べられた子供たちの絵を見ていると如実に分かる。いつかきっちり言語化せねばと思うが、まずは芦屋アートプロジェクトのシンポジウムのテープ起こしの校正からか。

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●2月9日/9th Feb
以前僕も共演したことのある七味まゆみさんが主演で、以前僕が主演舞台やらせて頂いた細川博司氏の脚本演出の舞台と聞けば見に行かないわけにはいかない。なので、打ち合わせ後に池袋まで足を伸ばす。
コロナ禍の中での小劇場がどうなっているのかを視察する意味もあったが、客席がアイソレーションユニットのようになっていて、ステージ前にも透明パネルが立てられ、役者も全員フェイスシールドという徹底ぶり。
今後、この状態がデフォルトになっていくと、芝居というものへの認識が変わっていくだろうなと戦慄を覚えた。
舞台は「サンサーラ式葬送 普賢編」という110分の演目だが、細川節が炸裂していて非常に面白かった。死と死後というテーマで日常を異化するような内容。普段我々が当たり前に口にするような「命は大事だ」という言葉や概念が最後に見事にチープに見えるような仕掛けになっている。
ヤクザと暗殺と刑事の話で、僕が主演舞台した時に登場した相方のキャラクターもまだ継続されていたりと、感慨深いものがあった。
七味さんの演技も普段の自身の劇団「柿食う客」でのコミカルなものとは一転して、シリアスラインだが、文脈での笑いが秀逸。小劇場での距離感と温度を体感できる良い舞台が久しぶりだったので堪能した。いつかこれぐらいの規模の舞台を演出をしてみたい。

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●2月9日-2/9th Feb-2
緊急事態宣言下のHOSTELがどのような状況かを昨日から調査する。特に今回は直近でオープンした東京のART HOSTELの状況にフォーカスする。
ヒアリングでは色々と話を聞けたが、その中には今月オープン予定だったが、緊急事態宣言を受けて春まで延期することになった場所もあった。
またギャラリー併設の小さなカプセルタイプのドミトリーはほとんど人が来ず、ほぼ営業出来ないので次の手を考えているらしい。大手のホテルでも人が来ない状態で、価格を下げようのない小さなHOSTELはより経営が深刻だろう。
そんな中でコンセプトを巧みにして、うまくやっているところも見受けられるので、何が分水嶺になっているのかを考える。
アートに関してはツーリズムで言うとSITに分類される。特に宿泊体験が付加価値になるHOSTELは資本力以上にプロデュースとブランディングが鍵になるのか。

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●2月10日/10th Feb
頂いた絵や購入した絵を研究室に少し飾ってみる。

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●2月11日/11th Feb
平和とは「二つの戦争の間の騙し合いの期間」であると百年前の「悪魔の辞典」という本に書いてある。戦争など自分には関係ないと思っている方も、この論考読むと少し考えが変わるかもしれない。
秋頃に書いていた「戦争」についての論考だが、ようやくアップするタイミングとなった。現代の戦争について考えたこと「戦争:壮大な騙し合いを企てる者たち」というタイトルで、前編と後編の2回に渡って紹介出来ればと。
現代の戦争は兵器の打ち合いなどという分かりやすい形で表に現れない。既に戦争は始まっているのだが、危機意識が低い多くの日本人はピンと来ていないのが現状だ。
前編は「味方もまた嘘をつく」という副題で、戦争の本質が騙し合いであることを確認していく。何が真実か分からないこの時代に、知っておいた方が良いこと、気をつけたいポイントを書いてみた。
今、巷で言われているさまざまな事件やニュースに当てはめて考えていただければ、色々と思うところあるかもしれない。もし大事だと感じられたら、是非シェアして頂ければ幸いです。
戦争:壮大な騙し合いを企てる者たち(前編)味方もまた嘘をつく
・ハイブリッド戦争の脅威
・戦争とは騙し合いである
・「敵と味方」という単純な図式
・私たちは戦争をしたいのだろうか

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●2月13日/13th Feb
2020年度に開講した「地域価値創造論」の講義最終日に、それまでに学生から寄せられたハナムラへの質問をライブ配信で回答した。
そのアーカイブ動画を順番に、回答を3つぐらい整理してYouTubeにアップしていこうかと。まず最初は空間デザイン系の質問だったのでひとまずまとめてみた。
限定公開ですが、ご関心ある方は是非ご笑覧下さいませ。
ハナムラへの質問 「空間デザインについて」

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●2月13日-2/13th Feb-2
コロナに加えて、今の世界の雲行きに何となく不安に感じる。そんな人がそろそろ増え始めている頃合いだと思うので、秋頃に書いた戦争についての論考をシェアします。私たちが何を応援するのかを間違えないために、是非知っておいた良いと思うことを書きました。
なぜ毎日こんなに混乱したニュースが錯綜するのでしょうか?なぜ誰もしたいと思っていないのに戦争が起こるのでしょうか?「ハイブリッド戦争」という言葉をご存知でしょうか?
正義感が強く善良な人ほど、いつの間にか戦争を応援する方向にまなざしが誘導されている可能性があります。何を信じて良いか分からない時代だからこそ、気をつけておいた方がよいことを「まなざしの戦争論」としてしたためました。
なかなか難しい問題ですし、目を向けたくないような現実ですが、じっくり読んで頂き、大事だと感じた方は是非多くの人に「シェア拡散」頂ければ幸いです。
WirelessWire News
戦争:壮大な騙し合いを企てる者たち(前編)味方もまた嘘をつく
・ハイブリッド戦争の脅威
・戦争とは騙し合いである
・「敵と味方」という単純な図式
・私たちは戦争をしたいのだろうか

●2月14日/14th Feb
賢いモノの見方が出来る人が、"静かに"拡がって行くことを願っている。

●2月16日/16th Feb
多くの人は自分が何かを知っていると思い込んでいる。しかし本当に何かを知っているのだろうか。僕は割と色んなことを調べたり確かめたりしている方だと思うが、知っても知っても分からないことの方が多い。
だが、世間は調べもせずに根拠もないのに知っていると言う人ばかりだ。そして「情報を得る」ことを知ることと思っている。しかし情報など単なる情報である。そんなものをいくら知ったところで何かを知ったことにはならない。
僕が語ろうとしているのは情報ではなく、「見方」の話だ。僕の論考には敢えて大した情報は入れていない。情報は山ほど持っているが、それを無闇にシェアするようや愚かなことはしたくない。
情報そのものには正しいも間違いもないし、強いて言うなら、”全ての情報は間違っている"。情報よりもその見方が大事で、見方が間違っていると情報だけ集めても自分の凝り固まった信念だけが強化されていくだろう。
それどころか自分の見方が秘かにデザインされているのに、それに気づかないまま人は情報だけを知りたがる。誰かに見せられているのに、自分が見ていると思い込み、見えているものが正しいと思い込む。そうやって望みもしない戦争へと繋がる。コメント欄のリンクの論考にそのプロセスを書いておいた。

●2月17日/17th Feb
肉体労働、頭脳労働に対して、いわゆる接客業というのは、人間の感情に大きく左右される感情労働とされる。そこには応対の際にある種の「演技」が必要であり、表面上の演技(表層演技)と心からの演技(深層演技)の両方があるとされている。
1980年代にホクシールドが唱えたこの「感情労働論」を下敷きに感情社会学が展開されたが、日本では2010年以降に盛んに研究され始めたと言う。ただ、研究対象の多くは介護職などの対人援助職で、ホテル産業などでは研究が意外と進んでいないようだ。
感情労働という概念の設定の是非は議論が様々あるが、今やサービス産業のほとんどは演技と無関係ではない。というより、どんな人でも演技するし、人からまなざしを向けられた時に演技はすでに始まっている。「演技をする人がいる」わけではなく、「演技をするのが人」なのだ。
自分も役者する中で思うところとしては、文脈に応じて笑顔をしたり、悲しい顔をするということが、必ずしもリアリティを生むとは限らないことだ。逆に装っていることだけが前に出て、信頼を失うこともある。
人の感情表現というのは一様ではないし、受け止められ方も一様ではない。相手によってどういう感情が引き出されるかは変わるし、また、演技をしているうちに本当にそんな感情が沸き起こることもある。人の感情とは非常に複雑であり、規格化という概念とはなかなか馴染まない。今日はゼミでそんなディスカッション。

●2月17日-2/17th Feb-2
本年度で終了する「地域価値創造論」の最終講義で、学生から寄せられた質問への回答をライブ配信した。動画配信型オンライン講義だったので、一度ぐらいはインタラクションでやりたかった。
ハナムラ先生は空間デザインをどうやって覚えたのですか?どうやって発想するのですか?センスを磨くにはどうすればいいですか?などの具体的な質問から、どのように価値判断すればよいですか?次の社会をどのように考えればいいのかという大きな質問まで、全部に答えた。
そのアーカイブ映像が残っていたので、編集して、YouTubeにアップした。

●2月18日/18th Feb
地形のスタディはやはり粘土が一番やりやすい。フォルムにあたりをつけてから、コンターラインに落としていく。ひとまず1/200ぐらいで建物への擦り付きを見ながらディテールをイメージする。
これまでずっと建築の検討していたので、なかなかランドスケープのモードに切り替わらない。

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●2月20日/20th Feb
皆さま、誕生日のメッセージをお寄せ頂き心より感謝いたします。多くの方々に支えられていることを改めて感じるとともに、この世に生を受けて、この時代を皆様と共に生きていることに再び感謝いたします。
せっかくの誕生日の機会なので、今の個人的な心境を少し言葉にしてみようかと思います。長くなりそうなので、ご関心ない方は、ここから先の文章は捨て置いて下さいませ。ですが、届くかもしれない人には大切なメッセージをしたためておりますので、ご参考になれば幸いです。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
2021年2月20日
ハナムラチカヒロ
ハナムラチカヒロとして今の世で頂いた命も後半戦に入り、残り15000日を生きれるか分からなくなりました。分けて頂いた肉体の血脈は少々短命なようで、これからの1500日ぐらいが一つの山場になります。その残り時間の中でどれだけ意味のあることを為せるのかを考えさせられます。
こうして多くの方々に支えられている一方で、自分に注目を集めることや、社会的に評価してもらうことに残りの時間を費やすことには、これまで以上にますます意義を見出せなくなっています。それよりも虚心坦懐に真実を探究していく道を進みたいと日々思うところであります。
その道行の中で、結果として生まれる言葉や言葉ではない表現が、僅かながらでも誰かの心に深く届き、その結果自由になるきっかけになるのであれば、そこには大きな喜びを見出すことができます。
今、社会は大きな病にかかっています。ずっと目に見えないところで進行していた病が、昨年に一気に症状として現れました。それが避けようのない大きな分断を生み始めています。そして我々が考える以上に大きな歪みとして育っていくでしょう。人間は元々その実存において大きな歪みを抱えていますが、その心の盲点に入り込み、本格的に身体まで蝕まれようとしているのです。
丁度一年前に上梓した宗教学者との対談本でも触れましたが、今こそ私たちには本当の意味でのメタノイア(自己の見つめ直し)が必要な局面に来ていることを強く感じています。それは内省したフリや謙虚さを装うことではなく、また自分を正当化することでもないのです。
特にこの一年、僕が紡いできた言葉は、多くの人にとって共感出来ることは少なかったのではないかと思います。人が聞きたいことや耳心地がいいことだけを唱えて、社会から評価を受け、人気者になる道もあったでしょう。でも、そんな事で人々に本当の救いが訪れるとも思わないし、今の世界がまともになるとは思えませんでした。だから優しい言葉は他の人にまかせて、厳しい言葉を敢えて紡いできた部分もあります。
そうやって、人が聞きたくないようなことを突きつけると、当然共感は得られないことは理解しています。しかし、多くの人が共感できることの中に真実があるとは限らないと思っています。むしろ、その正反対の場所に真実はあるのです。
僕が唱えてきた「まなざしのデザイン」という言葉は誤解されやすいフレーズです。その誤読も含めて、使用してきた部分もありますが、2017年に本として出版した中では、ちゃんと説明をしているつもりでいました。ですが、僕を知らない多くの人には届かない上、直接僕の話を聞く多くの人は本を読むこともなく理解したつもりになっている現状をたくさん見てきました。
その中で、この言葉の受け止められ方について、ずっと考えていました。なぜなら多くの人は、この言葉を僕の考えることと正反対の意味として捉えているからです。
最も誤解されていると感じることは、この言葉を「印象や情報を操作して物事を都合よく見せる」という意味で捉えることです。もちろんそのような仕掛けとして使うことも出来ますし、広告やマーケティング、宗教や洗脳技術の中ではそのような方法が培われてきたのだと思います。
ここのところずっとシェアしている僕の論考では、情報や戦争におけるその手口を敢えて紹介しています。それを知ることで、自分の身を守ることの必要性について考えて欲しいと思うからです。ですが、それは積極的にそのように人のまなざしをデザインする道具として使えと言っているわけでは、決してありません。
次に誤解があるのは、まなざしのデザインを「自分の都合の良いように世界を見る」という意味で捉えることです。多くの人がそのように理解しているのですが、この捉え方は次に進む入口にはなるのですが、決して出口ではありません。ただ、ネガティブな見方に囚われてしまった人にとっては有効だと思います。
自分はなぜこんなに不幸なのだろうか、なぜこんな理不尽なことが起こるのかと塞ぎ込んでいる人にとって、世界は生きるに足る場所には見えません。そういう苦しみに満ちた人には、ひとまず、「物事の良い側面だけを見ること」をお勧めすることにしています。
そのことで、これまで絵空事に過ぎないと思われた、「世界は実は喜びや調和に満ちている」という側面に気づくかもしれないと思うからです。
しかし、それができるようになった多くの人は、今度は物事の良い側面しか見なくなる傾向があります。ポジティブに捉えることは、この世知辛い俗世で生きていくには必要ですが、それは決して都合よく物事を捉えることではないのだと思っています。
良い側面だけを見つめるポジティブな人は、あらゆることを正当化します。自分が騙されていても気づかないし、世界には理不尽な現実があることも、とんでもない悪意があることも目に入らないことがあります。そして自分が知らない間に集団的狂気に加担していることも受け入れられないでしょう。
そうした人々には、「現実を見たらどうでしょうか?」という言葉を伝えますが、それは人によっては厳しく、また非常に鬱陶しいネガティブなトーンとして響いているのだと思います。人は調子良く生きたいし、苦しいことは回避したいと考るからです。でもそこに実は落とし穴があるのです。
これらどちらにも言えるのは、人は自分が見たいものを見て、聞きたいことを聞いているということです。まなざしのデザインで提案してきたのは、そうした見たいものから外に出てみることです。だから、多くの人が考えていることと正反対なのです。自分が見たくないもの、知りたくないものを見つめてみることが入口になるのです。
ですが、多くの人はそのことに必要性を感じません。なぜなら今、自分が持っているリアリティが絶対だと思っているからです。人は自分のリアリティの範囲でしか世界を把握できません。そのリアリティの中で生きていると、それ以外のものは理解も出来ないし受け入れることも出来なくなります。むしろそのリアリティから出たくないでしょうし、他のリアリティは否定したくなるのだと思います。
一方、そのリアリティとは仮のものに過ぎません。全てのリアリティはほぼ例外なく「間違っている」のです。身体的なリアリティ、感覚的なリアリティ、知的なリアリティ、そして霊的なリアリティすら、仮のリアリティに過ぎないのです。まなざしのデザインとは、その「リアリティの更新」を自ら自覚することです。それは何階層にもなっています。次のリアリティが現れないと、今のリアリティが仮のものであることは理解出来ないのです。
今のリアリティが更新されるには、別のリアリティが現れるしかないのですが、それは能動的に求めたからといって得られるものではないのがポイントです。そもそも「求める」こと自体が、所詮自分のリアリティの範囲のものでしかなく、欲しいと思うものが手に入るのは、自分を自由にするものではないことが多いのです。それはさらに自分を縛り付けるものになるでしょう。
ではどうすればいいのでしょうか。そのために、正しいまなざしを向けることが必要になるのです。まずは今のリアリティというのが仮のものであることを知っていること。そして自分が望むものから最も遠い正反対のものに、実は答えがある可能性を理解すること。そして新たなリアリティが生まれる瞬間を恐れず、見逃さず、受け入れること。
全ては正しく見ることから始まります。それが間違っていると、その先に何を積み上げても失敗します。今の社会が完全に失敗しているのは、我々のリアリティとまなざしが間違った方向へ導かれているからです。まず、そのことに気づくのがとても大切なのだと思います。
ここまで読んで頂いた方に、心より感謝致します。そう簡単に理解出来ることを書いているつもりはありません。そして、そう簡単に納得しないことが、深い理解につながると思います。この話は生活のレベル、社会のレベル、実存のレベルと全てに通じるものだからです。
またいつか、そう遠くない日にこの続きを語れる日が来そうだと思っています。その日まで、世界の悩み苦しみが少しでも和らぎ、生きとし生けるものが幸せでありますように。
2021年2月20日
ハナムラチカヒロ

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●2月22日/22th Feb
編集部から質問があったので、日露戦争と太平洋戦争の戦費調達と戦後の経済状況について調べているうちに、どんどんマニアックな方向へ掘り下げてしまう。当時の戦時国債や臨時軍事費特別会計、大蔵省の政策などの記録をまとめてくれている研究者がいるのでありがたい。
ただこうした論文は参考になるが、基本的に研究者が扱っているのは表の"正史"なので、考察についてはそのまま鵜呑みには出来ない部分がある。なのでデータだけ参考にさせてもらう。
とはいえ別にそれを証拠として示すわけではなく、たった一行の文章を書くための根拠として持っておくだけだ。たとえ一言であっても、それを表現することの背後には膨大なデータと思考があるかどうかで重みは変わってくる。
その裏側を示すかどうかは別に、表現とはそうした感覚に裏打ちされているかでクオリティが変わってくる。それは芸能や芸術の場合だと、日々の稽古で何度もなぞって反復する中で培われる確信にあたるだろう。

●2月25日/25th Feb
自分はおそらく、普段は24を意識の軸にして生きているのだとすれば、96を材料に48を生むのが得意だという自分の性質には説明がつく。ただ、やはり12を軸にしようとすると、今の知性と思考を手放す必要がある。そのあたりが次の課題かと認識する。

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●2月26日/26th Feb
皆さんが気になっている「陰謀論」の分析を入口に、「戦争」について書いた論考の後編がWirelessWireNewsにアップされました。多くの方が一体何を信じて良いのか分からなくなっている頃合いなので、夏頃に書いていたものに少し手を加えました。
結構危ないことも書いてますが、判断を誤らないために、知っておいた方が良いことかと思います。心が穏やかならぬ時代だからこそ、冷静に物事を見つめて平和でいる勇気が必要かと思います。
かなり長いですが、大切なことを書いておりますので是非とも最後までお読み頂き、もし共感頂けるならご友人にシェアしてもらえれば幸いです。
戦争:壮大な騙し合いを企てる者たち
(後編)陰謀論の陰で陰謀は進む

・陰謀論はなぜ受け入れられないのか
・陰謀論から陰謀へ
・戦争は国家間で起こるのか
・戦争は巨大なビジネス
・兵器は皮膚の下へ
・なぜ平和にはなれないのか

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●2月27日/27th Feb
戦争についての新しい論考をアップしました。
なぜ、私たちは平和になれないのか。そのことを、まなざしのデザインの立場から考えてみました。僕なりの「反戦論」であり「平和論」として書いたつもりです。コメント欄にリンクしておきます。
この手の話題はどのように考えればいいか、多くの人は躊躇うかと思いますが、出来るだけ冷静に客観的に分析したつもりです。
多くの人が戦争や陰謀など、自分には関係ないと考えているかもしれません。ですが、なんとなく不安を感じている方は多いのではないかと思います。
あるいは、意識されている方は、情報がありすぎて、何を信じていいか、どうしていいか分からないと思う方も多いのではないでしょうか。
そんな方々にとって何かの気づきになればうれしく思います。最初は陰謀論の話から始めてますが、最後まで読んで頂ければ、その意図が分かるとおもいます。
少し長いですが、大事なことを書いたつもりなので、ご共感頂ければシェアやコメントなどに頂ければ幸いです。
戦争:壮大な騙し合いを企てる者たち
(後編)陰謀論の陰で陰謀は進む

・陰謀論はなぜ受け入れられないのか
・陰謀論から陰謀へ
・戦争は国家間で起こるのか
・戦争は巨大なビジネス
・兵器は皮膚の下へ
・なぜ平和にはなれないのか

●2月28日/28th Feb
大分へ向かうために始発で空港へ向かう。しばらくは国東の聖地の調査へ出るので世俗を離れるが、社会の動きは気になっている。世界では諸々の緊張が高まっているので、聖地から祈りを捧げようと。
先日からシェアしている「戦争」についての論考も、奇しくもシリア空爆のタイミングでアップすることになってしまった。思うところは色々とあるが、戦争の見方を知っておかないと、私たちも判断を見誤ることになる。
危機意識が低い日本では、関心を持つ人が少ないが、ハイブリッド戦争は平時からすでに始まっている。戦時と平時の区別は曖昧なのだ。文中にも書いたが、良識や社会通念の強い人ほど判断を間違えてしまう時代だ。
戦争の見方として、気をつけておかないといけない大事なポイントを整理しておいた。コメント欄に貼ったリンク、読んで大事だと思われたら、シェアして頂ければ幸い。
戦争:壮大な騙し合いを企てる者たち
(後編)陰謀論の陰で陰謀は進む

・陰謀論はなぜ受け入れられないのか
・陰謀論から陰謀へ
・戦争は国家間で起こるのか
・戦争は巨大なビジネス
・兵器は皮膚の下へ
・なぜ平和にはなれないのか

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●2月28日-2/28th Feb-2
別府で開催中のアートプロジェクト「in 別府」に立ち寄る。毎年一組のアーティストを呼んで行われるが、5年目の今年は梅田哲也さんのインスタレーション。
別府は「別府混浴温泉世界」の第一回目に連れてきてもらって以来。このコロナ禍の中でも開催されているので、早速向かってみる。
20210228
10:10
Beppu
※「聖地のランドスケープデザイン 日本編」のその他の映像は、こちらのグループページにご登録されるとご覧頂けます。
https://www.facebook.com/groups/295859854082197/

●2月28日-3/28th Feb-3
何と!
塚原温泉の火口で、芹沢さんと、港千尋さんと偶然遭遇。この日に、この時刻に同じ場所で遭遇する確率など非常に小さい。
別府アートプロジェクトのプロデューサーされておられた芹沢さんがここに来る確率は大きくても、僕がここにいる確率は極めて小さいにも関わらず。
芹沢さんとは、「まなざしのデザイン」の出版記念で対談した時以来なので、4年ぶり。港さんとは、山のシューレのシンポジウムでご一緒した時以来なので、実に7年ぶり。
聖地の旅ではこんな奇跡のようなことが度々起こる。あいにくの強風と豪雨で、火口ではほとんど何を見ているのか分からなかったが、きっとこの2人にここで会うために呼ばれたのだろうと。

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●2月28日-4/28th Feb-4
芹沢さんと分かれた後に、塚原温泉の火口部に向かう。このあと強風と豪雨の中で、何を見ているのかよく分からない状況になる。
20210228
11:00
Beppu
※「聖地のランドスケープデザイン 日本編」のその他の映像は、こちらのグループページにご登録されるとご覧頂けます。
https://www.facebook.com/groups/295859854082197/

●2月28日-5/28th Feb-5
何と!
今度は、神戸大学の藤野先生と別府の海岸でバッタリと!なんてことだ。
アシヤアートプロジェクトで2年ほどご一緒していて、先日、シンポジウムの原稿のやりとりさせて頂いたところなのに、まさか別府で出会うとは....。
この、梅田哲也さんの作品の展示期間は結構長かったと思うが、皆さんがこの日に集結していることの喜び。
コロナ禍だからこそ、人と出会えることが特別な意味を持つ。

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