「フェイクの原因」(2021年1月)
●1月1日/1st Jan
2021年あけましておめでとうございます。
本年も生きとし生けるものが幸せでありますように。今日一日をみなさまが平穏に心穏やかに過ごせるようお祈りしております。
2018年はバルセロナで地中海から上る朝日を見ながら新年を迎えた。バルセロナでテロと独立運動に巻き込まれて不穏な空気が世界を覆い始めていた頃だった。
その時に日本と反対側にいたので谷川俊太郎さんの朝のリレーという詩を思い浮かべていたが、一年後に福島の展覧会で谷川さんと作品制作でご一緒することになるとは思いもしなかった。先が予想できない私たちには日々何が起こるか分からない。
特に今年一年は何が起こるか分からない激動の年になる。でも、また明日次の新しい朝が来るまで明るく穏やかに過ごすことだけを毎日考える。その連続を365回するとまた新しい年を迎えているだろう。今日も地球が1回転し新しい朝とともに新しい年が始まる。
●1月7日/7th Jan
今ちょうどワシントンを賑わせているトランプ大統領を題材に「フェイクニュース」を考えた論考をWirelessWireNewsにアップしてもらった。なぜメディアは嘘をつくのか。トランプ大統領は何に怒っているのか。
『その情報はファクトかフェイクか? 前編
米大統領選に付きまとう得体の知れない言説から考えてみる』
夏頃に書いていたのだが、半年遅れでようやくアップされた。ご笑覧くださって大事だと思えば是非「シェア拡散」してもらえれば幸いです。
本当はタイトルは「ファクトかフェイクか」で、前編のタイトルは「トランプ大統領は本当は何に怒っているのか」とつけていたのだが、このウェブの読者向きにと編集部が変えてしまったようだ。まさに今回の内容でも触れましたが、このウェブサイトもメディアですからね。
見出しも本来はこうだった。
・2人いるドナルド・トランプ
→ 愚かなはずのトランプ大統領
・フェイクニュースはどちらか
→ファクトとフェイクの反転が現実に
・どのメディアを信じるべきか
→メディアを信用するために確かめるべきこと
●1月9日/9th Jan
仏教では悟りを開いた者は論争に加わらないと説かれている。だが僕は未熟な上に、やはり少々気になっているので、先ほど弁護士の先生にコメントした内容を下にシェアしておく。
「シェアした論考でも書きましたが、SNSはプラットフォームなので、編集や検閲が入らないことに利点があるのです。それがフェイクであったとしても、特定の発言に対して選別が行われるのは「言論弾圧」として受け止められても仕方ないでしょうね。たとえ政治的立場があったとしてもトランプの言葉だけは規制してもいいというのはまかり通らないでしょう。
プラットフォームは公的機関ではなく単なるサービスなので権力による弾圧と同じレベルで捉えてよいかはわかりません。でも、もし選別するなら投稿内容に対しての責任を負うという立場になるので、米議会の公聴会で以前TwitterのドーシーとFacebookのザッカーバーグが問われていたように、言葉という著作物の取扱に対して責任を負うことになるのかもしれません。
そうなると凄まじい数の権利関係のやり取りが発生します。そのリスクは負わずに選別だけするということは何かの政治的意図が働いていると勘繰られてもおかしくはないでしょう。この辺りの法的なことはお詳しいかもしれませんが、いずれにせよ表で見えてる以上に色んなことが動いているのだと思います。」
●1月10日/10th Jan
戦いでは守る側よりも攻める側が有利だ。特に守る側が長い間同じ方法を取っていたのならなおさらだ。攻める側はその方法について熟知し研究した上で勝算があるから攻めている。
その際の最も有効な方法とは、これまでの方法で上手くコトが運んでいると相手に思わせて油断させることだろう。そうやって隙を作って誘い込むことで、相手を不利な状況に追い込む。
相手を不快にさせるのではない。安心させてまなざしを意図通り導く戦略の方がより高度だ。打ち込んでくる側は自らの意思ではなく、打ち込まざるを得ない状況に追い込まれることになる。攻めてる側と守っている側が逆転する合気道的な攻め方は空手のようにシンプルではない。
自分が攻めてる側ではなく守っている側であると気がついた時にはもう遅い。気づいた時はもう負ける寸前で、その時には無理な体勢に入っているのに必死でチカラで押し返そうとする。今まさにそんな感じだろうか。
全て布陣が整ったようだ。対岸の火事と言っている場合ではなくなる。さあいよいよ陰陽反転が起こるかどうか。
●1月11日/11th Jan
これから常識と非常識が反転していく社会がいよいよやってくる。パンデミックなど単なる前触れに過ぎないが、大きな風景異化が訪れることだろう。先日アップした「ファクトかフェイクか」でも触れたが、その論考の一つ前に「常識」についての論考の方がより詳しい。もし良ければ是非シェア下さい。
https://wirelesswire.jp/2020/12/78407/
僕が考えたタイトルは「常識の崩壊」だったが、採用してもらえなかったので、あまり関心持ってもらえなかったが、実は最後の方に重要なことを書いている。これまで常識だと思っていたことが大きく変わった時にどうするかを考えておかねばならない。
●1月14日/14th Jan
情報が錯綜し、一体何を信じていいか分からない時代です。その中で情報とどのように向き合えばいいかを考えた「ファクトかフェイクか」というハナムラの論考の「後編」がWirelesswireNewsにアップされました。もしご共感頂けるようなら「シェア拡散」よろしくお願いします。
「その情報はファクトかフェイクか?後編
デモや暴動の情報から「事実」と「主張」を見分けるには」
(・SNSはアカウントを停止すべきか)
・あらゆる情報は演出されている
・フェイクからディープフェイクへ
・情報は単なる情報と捉える
この論考も昨年の夏に書いたものです。なのでアップ後に先日のトランプ大統領のTwitterアカウント停止の話も含めればというリクエストがあったので、冒頭に入れてもらえるように原稿を書いたのですが、その内容が編集部の狙いとは異なるようで、結局そこは掲載してもらえませんでした。それは自分のブログにあげることに。
https://note.com/flwmoon/n/ncb403c1522fc
今回も書いたが、メディアとはある立場や主張がそもそもあるものだ。やはり言いたいことを自由に言うにはオウンドメディアが適しているのか。
●1月16日/16th Jan
「戦争」について夏頃に書いた原稿。そろそろ実感として持ち始める人が出始める頃なので、アップしたいとタイミングを見計らっている。だがこれまでにいくつかアップした「常識」と「情報」の論考への反応見ていると、多くの人には何のことやら...と言う感じなので、まだ先の方が良いか。
ドンパチが始まらないと関心持てないぐらい鈍っているのか、それとも正常化バイアスで平和が続くと思っているのか、あるいは自分は関係ないと思っているのか、そんなこと考えている余裕ないぐらい日常が切迫してるのか、もしくは単なる情報と達観しているのか、やっぱり知りたくないから逃避してるだけなのか...。
●1月23日/23th Jan
この一週間はハナムラゼミの学生たちの卒論の仕上げのゼミで、僕もほとんどまともに眠れていない。その状態で、本日は4本の修士論文の審査会に入る。
怖いのは頭が論理的思考ばかりしていてずっと冴えている状態なので、何故か全く疲れないこと。切れた時にパタリと倒れないような心の使い方を以前よりは出来るようになったが、用心が必要。
思考も単なる「論理的な妄想」であり、妄想には違いないので、身体を傷める原因にはなる。頭を働かせることを切り離さねば。
●1月27日/27th Jan
「騙されてしまった」と人を指差す者は、その前に自分が「信じた」ということには目を向けない。
「信じてしまった」と落胆する者は、その前に自分が何かを「期待した」ということには目を向けない。
「期待してしまった」と悔やむ者は、その前に自分が「不満だった」ということには目を向けない。
●1月28日/28th Jan
本日は博士前記課程の論文審査。「ホテルチェーンの経営戦略に関する考察」として関西の電鉄系列のホテルの収益性から経営戦略を読み解いた内容。
1985年のPorterの理論をホテルチェーンに当てはめて分析したものだが、収益性の変化から経営戦略の差異を読み取るという裏返しの分析を試みている。
経営学領域の内容なので、先日まで卒論で見ていた文化コンテンツ系の分析とはまるで違う専門用語を使うが、経営学系は横文字がやたら多い。
コストリーダーシップ、ポジショニング、コア・コンピタンス、フラッグシップ、ダイナミックケイパビリティ、プロイ...
企業とかイノベ系とかは、こういう言葉を並べて経営戦略とか語るのが大好きだなと、改めて思う。これで今年度の修士論文の審査は全て終了となる。
●1月31日/31th Jan
大学院入試の試験監督で、受験者の顔照合を行うときにいつも困ることがある。それは写真と本人があまりにも違う場合である。特に外国人留学生の場合は、写真が本当に「盛られている」ので、全く別人に見える。
もともと女性には多いのだが、この週末の入試では男性の中に目を疑うような人が居て、何度も確認した。他の先生にも確認してもらったが、どうやら本人だったようだと。
写真は韓流スターのようなのだが、目の前にある顔は全く違う。顔認証だと瞳の距離や鼻の位置など照合ポイントが複数あるが、人間の目では残念ながらサッパリ分からない。
本気で顔認証が導入されるようになると、きっと人間の目による判断はどんどんと失われていく。データで判断する社会は便利かもしれないが、データさえ捏造できれば同じことなので、かえって不正はやりやすくなる可能性もある。
人間の目は曖昧だが、テクノロジーもさほど信じていない僕としては、やはり難あっても目で照合する方が良いか迷うところ。
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