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「欲のくびき」(2020年7月)

●7月2日/2nd July
Wireless wire newsに新しい論考を上げました。
僕には珍しく、観光をテーマにパンデミック後のこれからの世界を考えています。
地域創造や都市と地域のあり方がどうなっていくのか、国家のあり方や世界秩序がどういう方向に向かうのか。
パンデミック後の今の状況を見ていると、きっとこうなるだろうという自分なりの予想ですが、果たしてどうなるか。
長文ですが、何かのヒントになれば幸いです。
是非ご笑覧下さい。
グローバリズムから「インターローカリズム」へ
https://wirelesswire.jp/2020/07/76124/?fbclid=IwAR1beO47OJ0FeyJhPonqU5_p74RfbgZYqgcyw3LcMfX86DHjciWQVBnLUCg

・壊滅的な観光産業
・拡がることを躊躇う世界
・多文化共生の限界
・足元に戻ってくる
・地域ごとに答えは違う
・「ない」ことが強みになる
・仕事と生活の変容
・真の「観光」が始まる

●7月5日/5th July
ちょうど一年前に、福島の「はじまりの美術館」で「あしたときのうのまんなかで」という展覧会が開催されました。その展覧会の様子を関わられたスタッフのみなさんが振り返っている記事をシェアします。
もし宜しければシェア・拡散のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。
ハナムラははじまりの美術館では「半透明の福島」という体験型インスタレーション作品を制作しました。震災から8年目の福島で生きる人々の胸の内を、誰かと共有出来るような場として作りましたが、会期中に500枚を超える手紙が集まりました。
体験型のインスタレーションなので、なかなか伝えることが難しいですが、美術館の皆さんの言葉を通じて追体験してもらえれば嬉しいです。

あした と きのう の まんなかで【プレイバック!はじまりの美術館19】
https://www.facebook.com/notes/358459368901176


●7月5日/5th July
オンラインイベントに出演することになりました。いくつか論考を挙げたウェブメディアのWireless Wire Newsの発行人である竹田茂さんが展開している「新教養主義宣言」トークイベントのvol.04として行われます。
もし宜しければ、シェア・拡散のほど、どうぞよろしくお願い致します。
オンライントークは僕も初めての参加で、しかもメディアのことなので少々心配だが、主催の竹田さんがおそらくうまく導いてくれるのではと思います。なので、このパンデミックの中で今考えていることなど、導かれるまま話してみようと思います。
7月16日の正午までチケットの申し込みあるようなので、ご関心ある方は是非。
新教養主義的トークイベント vol.4
「新教養主義的・トークイベント」第4回は【徹底討論】ハナムラチカヒロ『インターローカリズム時代のメディアの作り方』としました。「グローバリズムから「インターローカリズム」へ https://wirelesswire.jp/2020/06/76124/ が非常に重要な視座を提供している、と感じた私(竹田:WirelessWireNews発行人)が、「これ、もう少し詳しく説明してほしい」と思ったことがきっかけです。自分の商売(メディアプロデュース業)にも使えるのではないかという下心も否定しません。ブレーンストーミング的な討論を試行してみます。
(イベント概要)
日 程:2020年 7月16 日(木曜) 19:00~20:30
(18:45くらいから竹田がオンラインになります。19時ちょうどにハナムラチカヒロ氏がオンラインになった状態で正式にスタートします)
会 場:Zoomを利用したオンラインイベントです。peatixでお申し込みの方に事前に招待メールをお送りします。
参加料:¥1,800(税込):チケットの購入期限は当日7月16日の正午までとさせていただきます
申込み:Peatixよりお申し込みください。
主 催:WirelessWireNews編集部(スタイル株式会社)
https://peatix.com/event/1542952/view...


●7月6日/6th July
ビジュアルコミュニケーションの会社のアマナさんがウェブで展開している”Visual Shift”というサイトで、ハナムラのオンラインインタビュー記事がアップされました。
広報や広告という観点で、このパンデミックの後の方向性などの質問を受けましたが、もう少し広い枠組みで応えました。
是非ご笑覧頂ければ幸いです。
あと、もし宜しければシェア・拡散のほどもどうぞよろしくお願い致します。

ハナムラチカヒロさんが考える、コロナ後の“視点のデザイン”とは
https://visual-shift.jp/19214/?fbclid=IwAR07ercUXNN1B_AHqfGIHKcpMmT75Ck_9PzClmvF08DkfXCv31_Fcy6brTs

●7月12日/12th July
今思えば、2016年のこの曲の中に今の街の状況が予見されていたようにも見える。歌詞もPVも意味深。
「琥珀色の街、上海蟹の朝」くるり
https://www.youtube.com/watch?v=NyddMMiViZc


●7月13日/13th July
ここのところ表示がうまくされなくなっている模様。身の回りにどうも妙な空気が強まっているので、いよいよ潮時かもしれない。

●7月15日/15th July
明日になりましたzoomでのオンライントークイベント。正直、何を話すか全く予想できません。
すごくつまらないかもしれませんし、めちゃくちゃ面白いかもしれません。
やったことないのでどんな感じになるかも分かりません。1800円払う価値があるかどうかも分かりません。参加者が居るかどうかも分かりません。
主催者が期待している話をするかどうかも分かりません。下に書いている内容詳細と全く違うことを話すかもしれません。人前でオープンに言ってはいけないことを言うかもしれません。
今日考えていることと違うことを明日は考えるかもしれません。これまでと反対のことを言うかもしれません。喧嘩するかもしれません。とにかく何が起こるか分かりません。
前もって何も用意しません。その場で思いついたことを話します。誰も聞きたくないことを言うかもしれません。ひょっとしたらイヤな気分になるかもしれません。ただ、だからこそ嘘なくリアルに思っていることが話せるかもしれません。
もし、そんな感じでも良ければ...
明日の夜にオンラインでお会いしましょう。
明日の正午がお申し込みの締め切りです。

新教養主義的トークイベント vol.4
「新教養主義的・トークイベント」第4回は【徹底討論】ハナムラチカヒロ『インターローカリズム時代のメディアの作り方』としました。「グローバリズムから「インターローカリズム」へが非常に重要な視座を提供している、と感じた私(竹田:WirelessWireNews発行人)が、「これ、もう少し詳しく説明してほしい」と思ったことがきっかけです。自分の商売(メディアプロデュース業)にも使えるのではないかという下心も否定しません。ブレーンストーミング的な討論を試行してみます。
内容詳細
つい半年前までは「オーバーツーリズム」、いわゆる“過剰になりすぎた観光産業”が全世界的に大きな問題になっていました。ところがコロナ禍(パンデミック)によって観光産業は壊滅的な状態になりました。業界は何とかその売り上げを「元に戻そう」と腐心していますが、改めて思い起こしていただきたいのは「半年前まではオーバーツーリズムに悩んでいた」という事実です。つまりコロナ禍は幸か不幸か「本質的な問題(=資本主義を前提とした市場拡大主義)について改めて目を向ける機会」を強制的にもたらした、ということになります。これは観光産業に限った話ではありません。様々な業界に突きつけられた課題です。もちろん(新聞・雑誌・ウェブメディア・ラジオ、その他を含む)メディア業界もまたその対象となるはずです。
大阪府立大学准教授、一般社団法人ブリコラージュファウンデーション代表理事、そしてランドスケープアーティスト、さらに俳優業までこなすマルチタレントのハナムラチカヒロ氏はこれを切り抜ける有力な手段の一つが「インターローカリズムだ」と主張します。では「インターローカリズムでメディアを建て直す」とは具体的にはどのようなアクションになるのでしょう。
今回の新教養主義宣言・トークイベントはいつもと趣を少しだけ変えて、ハナムラチカヒロ氏と竹田による、その方法論に関する徹底討論としたいと思います。通常の公開討論会・カンファレンス・雑誌の対談などは予定調和、すなわち登壇者同士がお互いのアイデアを褒めちぎりながら円満な大団円を迎える、という何の実りもないものが圧倒的多数を占めますが、今回の「新教養主義宣言・徹底討論」はお互いの意見をなるべく批評的(Critical)に(罵倒し合いながらではありませんよ、念の為)交換していくことで、より有効なメソドロジー(方法論)を2人で構築して行きたい、と考えています。たぶん面白いと思います。参加費もいつもより低価格に設定しました。ぜひご参加ください。(竹田茂:WirelessWireNews発行人)
新教養主義宣言・トークイベント vol.4
【徹底討論】ハナムラチカヒロ『インターローカリズム時代のメディアの作り方』
日 程:2020年 7月16 日(木曜) 19:00~20:30
(18:45くらいから竹田がオンラインになります。19時ちょうどにハナムラチカヒロ氏がオンラインになった状態で正式にスタートします)
会 場:Zoomを利用したオンラインイベントです。peatixでお申し込みの方に事前に招待メールをお送りします。
参加料:¥1,800(税込):チケットの購入期限は当日7月16日の正午までとさせていただきます
申込み:Peatixよりお申し込みください。
主 催:WirelessWireNews編集部(スタイル株式会社)
https://m.facebook.com/shinkyoyoshugi/

●7月21日/21th July
そんなに信じていると
ろくなことはないぞと
そっと耳打ちされるが
ろくでもないこととは
奴隷にでもなることか
らくだも無いのに砂漠
に向かうことと気づく
バツを受けることにも
カッコ悪いということ
にも恐れがないならば
さっきまでの常識とか
れっきとした大人がし
てることを固く信じて
いたはずの自分が抱い
た違和感こそ間違った
ことではなかったのだ
と唐突に理解すること
が出来るかもしれない
明け方に目が覚め始め
る頃には長い長い夢を
みていた自分がむかし
に比べて随分と大人に
なったと改めて気づけ
る機会がくるはずなの
だがその時に自ら頑張
ろうとしないのならば
うそを信じるしかない


●7月22日/22th July
自分があまり考えたことのない角度からモノを見てそうな頭の回転の早い人と出会った時に、どこまでモノが見えているのだろうと会話の中で掘り下げてみるが、その底が見えた途端に急に興味を失ってしまうのが自分の悪い癖でもある。
わざと「偽悪的」に振る舞う人は、自分の欲に気づく頭の良さと、それに対する恥ずかしさがあるからで、それはそれで偽善的な自分に気付いていない人よりも好感が持てるのだが、これまでの経験上、ある世代の言語化能力に長けた人に見られるフォーマットのような気がしてきた。


●7月26日/26th July
初期の仏典である「イティブッタカ」の第96偈では、「欲」と「有」と悟りの段階との関係が明解に語られている。
「欲」のくびきと「有」のくびきの両方に縛られることで輪廻を繰り返すのが通常の我々。
「欲」のくびきから解放されたが、「有」のくびきにはまだ縛られているのは、人に輪廻はしないが悟りの最終には至っていない者。
「欲」のくびきからも、「有」のくびきからも解放されることで、ようやく悟りの最終段階に至る者となり、煩悩の滅尽者となり何者に輪廻することもない。
つまり「欲-有」の二項目に対して、それぞれ「束縛-解放」の組み合わせのマトリクスで四つの状態があることになる。欲-有ともに解放となれば上がり。どちらかが束縛だとまだ未完成。しかし「欲」と「有」にはヒエラルキーがある。これは三界と四沙門果を知らない者には理解が難しいかもしれない。
我々凡夫には「欲」のくびきから解放されるだけでも一仕事。いわんや「有」のくびきからの解放は理屈だけでは到達はできない。
最先端の情報テクノロジーと量子論がもたらした昨今の共通認識として、「有」のくびきからは解放されやすい条件が概念の上では出揃ってきている。
しかしそれを自らの身で体感することがなければ単なる浅い理解に過ぎず「欲」の解放には至らない。そして「欲」の束縛が残る状態で「有」からの解放はあり得ないのだ。
なぜならば「欲」のくびきよりも「有」のくびきの方が強固であり、もし「有」のくびきが解かれているなら、「欲」のくびきも解けてしまっていることになるのだから。


●7月27日/27th July
分かる人には完全に理解できるけど、分からない人には全く伝わらないことがある。これは知識や情報をその人がどれだけ持っているかという量の話ではない。根底にあるマインドのセッティングの話だ。
モノをたくさん知っていて、頭の回転も速い人たちなのに、話が噛み合わないことがあるのはマインドのセッティングが違うからである。そこの切り替えが起こらないと、逆にその人の持つ知識や情報、経験が従来のセッティングを強化する方向に向かう。
それと対照的に、これまで知識や情報を積極的に蓄積してきたわけではない人でも、マインドがオープンできれば、いとも簡単に理解できることがある。それが腑に落ちるかどうかは、まさに腹の問題で頭の回転の話ではないのだろう。
マインドが切り替わると証拠は自ずと見えて来るのだが、その変換ができないと同じものを見ていてもエビデンスに見えないし、何を問題にしているのかが理解できない。それどころかその人のアイデンティティまで脅かされることになる。そうなると対話ではなく闘争的ディベートになるので、空白を設けねばならない。
このマインドのセッティングを"まなざし"と呼んできたが、この言葉自体も曖昧なので、それもセッティングによって解釈が変わる。セッティング自体を更新するはずのものが、セッティングを強化してしまうというパラドックス。ある程度予想出来ていたし、その誤読をむしろ積極的にこれまで利用もしてきたが、そろそろ違う言い方が必要かもしれない。

●7月28日/28th July
昨年にハナムラが監督として制作した映画「Seeing Differently」がラトビア国際観光映画祭に続いて、スペインの映画祭Terres Festivalに受賞ノミネートされました。
これもひとえに制作に関わったスタッフ、キャストやご協力頂きまして皆様のおかげです。この場をお借りして心より感謝申し上げます。
Last year, the film I directed named “Seeing Differently" is nominated for the Spanish Film Festival “Terres Festival”, following the Latvian International Tourism Film Festival.
I would like to thank all of the staff, casts, and people who were involved in the production. We would like to take this opportunity to thank you for your support.
El año pasado, la película que dirigí llamada "Seeing Differently" está nominada para el Festival de Cine Español "Terres Festival”, después del Festival de Cine de Turismo Internacional de Letonia.
Me gustaría agradecer a todo el personal, los actores y las personas que participaron en la producción. Nos gustaría aprovechar esta oportunidad para agradecerle su apoyo.


●7月31日/31th July
多くの人が信じていることが必ずしも正しいとは限らないので、いつもマイノリティのまなざしに注意を払うようにしている。そこでのマイノリティとは民族や性別のような話よりも、むしろ「視点のマイノリティ」と言う方がしっくりと来る。
多くの人が見ている風景は、自分も同じように見ていることもあり理解も共感も比較的しやすいかもしれない。だが、それを正反対から見ている視点についても、自分は果たして共感できるのだろうか。それは常に問いかけられている。
ほぼ全員が正しいと信じていること。ほぼ全員が間違っていると信じていること。それは当然のように同じ方向を向いていると気づきにくい。だが、もし違う方向からまなざす視点があるのならば、それは共感し得るものなのか、理解可能な感覚なのか、一考に値するものだと考えた方がいい。例えその視点が、ほとんどの人にとって一笑に付されるものだとしても。


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