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「人知を超えた法則」(2020年2月)

●2月1日/1st Feb
岡山にて能勢伊勢雄さんと過ごす夜。深夜から朝まで会話は続き、そしてお昼まで。最初は新音楽の解説。ダダから始まり、ノイズミュージックを経てパンクへとどういうプロセスでつながっていくのかを紐解く。
騒音音楽、つまりノイズミュージックの始まりは印象派と関連している。聖書や神話の解釈といった意味的な絵画表現から逃れて純粋に人間が捉える風景を問題にした印象派。
それに対して、馬車の音や自動車の排気音、工場の機械音から生まれてきたような騒音を音楽のように捉えるという感性がダダの中に生まれてくる。それがイントナルモーリーのような雑音発生機へと繋がり、ノイズミュージックが始まっていく。

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チューリッヒのキャバレーヴォルテールで行われる様々な活動の中で、クルト・シュビッタースといった現代アート史に欠かせない人物がコラージュのような表現を展開する動きも生まれる。そうしたダダからノイズミュージックが始まっていくと同時に、言葉を使ったパフォーマンスや多重言語的なポエトリーから、発話のような人間の肉声や言葉のエッセンスが固有の表現として確立していく流れを生む。
ナチの弾圧を受けてデッサウへ移動したバウハウスでの講演録や、クルト・シュビッタースのメルツ詩、ナム・ジュン・パイクとヨーゼフ・ボイスとの電話を通じたパフォーマンスの音声など、音声史の文脈から出てきた人間の肉声の扱い方が、音楽の系譜の中の一つへと引き継がれる。
一方でルーリードの「Metal Machine Music」のような形でダダの音楽が現実のポップシーンに取り込まれていき、音声の系譜と合わさることで、バンドのキャバレーヴォルテールの「Voice of America」のような形で融合する表現へ繋がる。
その後「No New York」というVAのアルバムを皮切りに、NYのオルタナティブシーンの中で、NYパンクの流れとは別の形でこうしたノイズミュージックが展開されていく。そんな流れを能勢さんは話された。
夜中はいつもの301へ移動し、朝まで語り合う。畳のモジュールから町屋へと積分された京都の街と、デ・ステイルの分割概念との比較。そこからのメタボリズム建築への展開と第二次世界大戦の焼け野原の話題。全く違う会話の流れで、初期仏教の苗床となったインドの森林部派からウパニシャッドへの流れの話。ゲーテのプレグナント、ホワイトヘッドの点線光から学生運動時における自由意志の話など、様々な話題を渡り歩く。そんな中で、能勢さんの活動と思想の系譜をインタビューしつつ図化していく。

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翌朝になり、3日まで開催されている能勢さんの写真展「Portgraph」を拝見しながら、写真論について話をする。フィルムを現像する際に、フィルム上で一体どういう化学反応が起こっているのかを像で確かめながら現像するサラ現像の重要性。ジェフリー・バンチェンが問題にした写真の持つ遺影性の話。昨今のSNSの普及の中で、マグナムの写真家達の必要性が低下してきている現状の話。そして僕が大好きなセバスチャン・サルガドの写真分析を二人で話し合う、それは至福な時間。
ゲーテは人間の関係の中で最も大事なのは会話だと考えていたというが、まさに二人で会話しながら大切なことを確かめ合う。能勢さんとは30近く歳が離れているが、実は誕生日が同じという奇妙な巡り合わせも感じる。親子ほど歳が離れている僕と時間を作って会話して頂けることにいつも心より感謝する。

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●2月2日/2nd Feb
新刊本の出版記念イベントのご案内。
シェア拡散よろしくお願いします。
ハナムラと宗教学者の鎌田東二先生とが3年に渡って続けてきた対談が本になりました。
タイトルは「ヒューマンスケールを超えて」。
副題に"わたし・聖地・地球"とついております。
当初は聖地を巡る対談でしたが、より大きな枠組みとして、今の地球環境と自分との関係をどう考えれば良いのか、次の文明のカタチはいかなるものかという大きなスケールまで話が広がりました。
昨今度重なる災害に危機感が募る中、勇ましく唱えられるSDGsに活路は本当に見出せるのだろうか。この地球と人類における真の問題とは一体何なのか。そんなことを二人で確かめ合い、メッセージとして紡ぎました。
本の中では、役者論から始まり、身体、意識、無意識、宗教、芸術、建築、デザイン、演劇、舞踏、アニメ、映画、教育、知性、進化、地球、生命、素粒子、宇宙...と二人で様々な領域を越境して対話しております。
自ら読み返しても、非常に刺激的な内容になっており、ジャンルや関心問わず、誰でも楽しんで頂けるような内容になっております。
発売日に先駆けて、今月の2月21日青山ブックセンターで鎌田先生とのトークイベントを行いますので、是非たくさんの方にお越し頂ければ嬉しく思います。
ウェブでのお申し込みになりますが、すぐに満席になると予想されますので、ご関心お寄せの方は、是非お早めにどうぞよろしくお願い致します。
(以下、イベント情報)
『ヒューマンスケールを超えて わたし・聖地・地球』(ぷねうま舎) 対談本刊行記念
「まなざしと身体の転換を考える」
鎌田東二 × ハナムラチカヒロ トークイベント
【日程】2020年2月21日 (金)
【時間】19:00~20:30
【開場】18:30~
【料金】1,540円(税込)
【定員】50名様
【会場】青山ブックセンター本店内 小教室
【住所】東京都渋谷区神宮前5-53-67
コスモス青山ガーデンフロア (B2F)
「もう何をやっても地球は長くはもたないのではないか」。わたしたちはそんな想像をしながら、普段は何事もなかったかのように日常を過ごす。
ふと何気ない日常を振り返ると、電車の車内にはSDGsの広告、雑誌を開けば持続可能な社会とは?、会社では企業を存続させるための戦略・・わたしたちはいかにして”持続”するのかばかりを想像している。いったい”持続”するとは何を意味するのか。世界中が持続可能を目指しているのに、一向に希望が見えてこないのはなぜなのだろうか。
60代の宗教学者と40代のランドスケープデザイナーの異色の二人が、いま私たちが抱える真の問題とその原因を捉え直す――。どうぞご期待ください。
終了後、お二人のサイン会も開催いたします。

●2月5日/5th Feb
2月25日にハナムラの新刊本がぷねうま舎から出版されます。宗教学者の鎌田東二先生と三年にわたり続けてきた対談で「ヒューマンスケールを超えて -わたし・聖地・地球-」というタイトルです。
この対談の期間に僕自身はバルセロナでテロやカタルーニャ独立運動に巻き込まれたり、「まなざしのデザイン」を上梓したり、「地球の告白」というインスタレーション作品を作ったり様々なことを経てきました。
そして今なぜ宗教学者と対談するのか。それはテクノロジーやシステムが進めば進むほど、人間の心の問題が大きくなってくると考えているからです。特にAIのような技術が進むほど、人間存在としての我々が一体どういうものなのかが問われていて、それは我々が生きるこの地球の壊れていきつつある生命のネットワークと無縁ではありません。
そんなことを二人で確かめ合って綴った本です。とはいえアートやアニメや文学など柔らかい話題や僕らの日常の話題など、様々な切り口から語っていますので、是非多くの方に読んでいただきたいと思っています。
先駆けて2月21日に青山ブックセンターで鎌田先生との出版記念イベントを行います。東京方面においでの方で、もしご関心あれば本の中に無いお話もその時にできればと思います。下記ウェブサイトにて是非ご確認下さい。
http://www.aoyamabc.jp/event/humanscale/

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●2月7日/7th Feb
「私は間違ってなかった」と拳を振り上げて主張する人よりも、「私は間違っていた」と目を伏せて静かに語る人の方が信じられる時代に入る。
自分の中の一貫性を保とうとするほど苦しくなるし、自分を冷静に振り返って悔い改めが出来る方が次に間違わないために大事だと思うのだが。
今月25日に出る対談本の中では、その悔い改めを「メタノイア」という概念で語っている。現代の最大の問題の一つは自分というものをどう捉えるのかというアイデンティティ問題だと思う。

●2月9日/9th Feb
生命は始まりも終わりもないものにはどうまなざしを向ければよいのか分からない。私たちは"終わりがないもの"に対しては何とか考えられるかもしれない。しかし"始まりのないもの"について何かを考えるのは難しいだろう。
しかし宇宙は始まりも終わりもなく、永遠に継続していくプロセスだとしたら。生命はそんな宇宙とどのように向かい合ったらよいか分からないのだ。
そこで、生命はその逃げ道として極めて永遠に近い近似の数学的システムを生み出した。インドの数学者たちは古くからその自然や生命が使う数列システムを知っていた。
それがエジプトを通じてギリシャに伝わった際にも、まだ多くの芸術家や科学者たちは理解していた。しかしローマ人たちには継承されなかったので、ギリシャ美術とローマ美術の間には断絶があるのだ。
13世期頃にようやくフィボナッチがその数列をイタリアへ取り入れ、その後ダヴィンチはさらにその奥の真理へと迫った。ただフィボナッチが紹介した生命の対応方法とダヴィンチが追いかけていた宇宙の法則には微妙な差がある。2人のレオナルドの見つめたそのまなざしの差に鍵があるのではないか。
こんなことは多くのデザイン教育の中ではほとんど教えないことだ。でも僕自身が考えている生命表象学とデザインサイエンスにおいては中核的な概念。いつかきっちり理論を整理するが、ひとまず今抱えているデザイン案件で実験的に試してみる。

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●2月11日/11th Feb
したり顔でもっともらしい哲学を語りはするが、人は実際のところ何にも分かっちゃいない。それに気づいた人は語り方を改める。

●2月15日/15th Feb
東京での諸々の打ち合わせの隙間に「未来と芸術展」を観に六本木へ。
AI、ロボット、都市、生命と銘打たれていて、現在最先端の様々な研究と表現が並ぶ。エコロジーに配慮した都市計画、高速に情報処理する人工知能、遺伝子工学を駆使したポストヒューマンなど、今の科学技術が進んでいくとこういう未来になるということが淡々と表現されている。
メタボリズム都市が目指した素晴らしき未来像の現代版から、バイオアートまで並んでいるが、僕自身は歪さしか感じなかった。
おそらく南條さんは展覧会の企画の意図として、輝かしい未来像から不気味な未来まで提示することで、科学と文明に対する問いを投げることを狙っていたのではないかと。
僕が感じた歪な感覚は、きっといずれの未来も他の生命を人間のために利用するばかりで、他の生命への慈悲が欠けていることなのかもしれない。
そんな話も来週の21日の青山ブックセンターでの鎌田先生との対談で話出来ればと。
http://www.aoyamabc.jp/event/humanscale/

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●2月17日/17th Feb
知り合いの構成作家・谷崎テトラさんが、拙著「まなざしのデザイン」をご自身のYouTubeチャンネル「テトラノオト」でご紹介下さいました。
8分ほどの映像でよくまとまっていて、面白かったです。
自分の書いた本を誰かが紹介するというのは、自分でもまた理解が深まるなと改めて思いました。
テトラさんありがとうございましたー
https://youtu.be/yo_5eLmUS04

●2月18日/18th Feb
「ヒューマンスケールを超えて」届いた!
ハナムラの本はなぜか黄色ばかり。自分で決めているわけではないのが奇妙だが...

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●2月20日/20th Feb
皆さま、バースデーメッセージ本当にありがとうございました。今年の誕生日は20200220という並びでした。歳も44とゾロ目で、気がつけば結構いい歳になっています。
役者としての自分の身体を考えると、若さの表現から渋みやオトナの色気が出せる存在へと移行しており、出来ることが変わってくるなと楽しみにも思っております。これまでとは違う形で役柄を考えるきっかけになりそうです。
また秋には「Seeing Differently」という映像作品を監督しましたが、撮られる側から撮る側へと視点を移すことにも挑戦していければと思います。
思えば昨年は10年実験演劇として続けてきた大阪のアトリエ「♭」を看取ってから初めての誕生日でした。アトリエの外に飛び出し、作品制作はより自由になったようで、4月から7月までは福島のはじまりの美術館で「半透明の福島」というインスタレーション作品もつくりました。2018年に千葉市美術館で発表した「地球の告白」という大作に続いて、帰国後の美術館での制作は2回目になりますが、美術館での表現の可能性について気づき始めている自分も発見しつつあります。
研究の方では、5月に拙著「まなざしのデザイン」で造園学会賞を賜り、9月にはイギリスの名門出版社ルートレッジから「Post disciplinary knowledge」という共著を、世界の研究者たちと出版しました。こうして研究者としても評価頂いた経験にはとても勇気を頂きました。来週には宗教学者の鎌田東二先生との対談本「ヒューマンスケールを超えて」を出版予定で、またいくつかのウェブ連載と出版企画も控えております。学究の徒としてはまだまだ未熟ですが、今後の自分のレベルアップをはからねばならないと心しております。 
多くの方々から様々なお誘いも頂き嬉しい限りですが、近頃は心を沈めて瞑想に耽ける時間を最も大切にしたいという思いも強くなっております。独り静かに沈思黙考する時間がなかなか取れずにいますが、欲にとらわれず、悲しみから逃げずに、悟りの光を目指して独り"犀の角"のように歩んでいくことができるように、日々精進して参りたいと思っております。本年のハナムラも暖かく見守って下さいますようにどうぞよろしくお願い致します。
生きとし生けるものが幸せでありますように。

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●2月21日/21th Feb
今から青山ブックセンターで鎌田東二先生との対談本「ヒューマンスケールを超えて」のトークイベントやります!
ほぼ満員御礼です。どうなることやら...

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これから鎌田先生とのトークイベントなので、早めに青山ブックセンターのカフェに来たら、なんと全く別の会で亭田歩さんが打ち上げされていてビックリ!
生き別れの兄弟に会えた気分!
新刊本「ヒューマンスケールを超えて」のテーマともピッタリの出会いなので、これは何やら良い予感が...

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●2月22日/22th Feb
宗教学者の鎌田東二先生とハナムラとの対談本「ヒューマンスケールを超えて」。その出版記念として青山ブックセンターでのトークイベントが終了。新型コロナウィルスが広がる中だったが、結局満員御礼で大盛況だった。こんな中であえて対談をやる意味に関しても、皆さんに共感して頂けた手応えもあった。
観客もいつも僕の講演にお越し頂ける方から、久しぶりにお会いする方、初めて僕の話を聞く方まで様々だった。占星術家の鏡リュウジさんまで駆けつけてくれて、久々の再会となる。 
鎌田先生とじっくり対談するのは一年半ぶりぐらいだが、やはりかなり広範囲の話の中で掛け合う。新型コロナの話から鎌田先生が生態学の話を始めると、僕が高密度の現代都市と正常化バイアスの話で返す。僕が誕生日と年齢の話をしたら、人生における境界年齢の話で鎌田先生が返し、それに対してシュタイナーの年齢の刻み方と数百年単位の文明のリズムの刻み方の話を僕からまた返す。
マウンダー小氷期に民を救う役割が、宗教から科学へ移り近代化が始まる話を鎌田先生がすると、僕の方からはその時期に人間の感覚が耳から目に移ったことで近代化の準備となる精神が用意されたという話で返す。聴覚を指し示す言葉から様々な連想が始まる話を鎌田先生がすると、僕がすべての感覚は触覚に還元されるという話で返す。こんな感じで対話が進んでいき、気がつけばあっという間に1時間半が過ぎる。 
鎌田先生が途中でいきなり照明を消して歌い出したりするハプニング(?)や、最後に先生が螺貝を吹く時間などを計算しながら、対話をコントロールしていくのは本当に大変。でも楽しそうに話されているので、少しだけ延長して、質疑の時間も10分だけ取って会場から二つばかり質問を受け付ける。 
質問は働き方改革の話と言語の持つチカラの話だったので、自分なりに思うところを両方とも返した。皆さんにはどう響いたのだろうか。
終了後のサイン会はあまりの行列だったので、久しぶりの方々や面白そうな方々一人一人とはあまりゆっくりとお話しできなかったのが残念。
以前に鎌田先生が僕とAIの話がしたいと言っていたので、僕なりの未来予想を話そうと思っていたけど、時間切れだったので、二次会で少しだけ話した。今度の26日は京都恵文社のトークイベントでこの続きを話をすることになるかもしれない。乞うご期待。

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●2月23日/23th Feb
ここのところ最近の若者がどんな音楽聴いているのかを学部生にヒアリングしている。ここ5年ほどの音楽の動向を追いかけていなかったので、ポップカルチャーの最新の状況を把握したかったからだ。 
YouTubeなどで確認している限り、この数年でこれまでにあまりなかったような面白い現象がポップミュージックシーンで起こっている。だから学生に訊ねてみたのだが、最近の学生はあんまりシーン全体には関心がないようで、人によって回答が様々だった。 
なのでヒアリングどころか、こっちからここ20年ぐらいの音楽の動きについて、僕なりのポップミュージックの読み取りを解説する。音楽を理解するにはファッションを理解していないといけないのだが、YouTubeの台頭と共にここ5年ほど音楽周りで起きている面白い現象を学生たちはあんまり意識していない。彼らには当たり前の状況だからだ。
YouTube出現前後のミュージックビデオの変化の分析について、うちのゼミの中で誰か卒論でやればいいんだろうけど、関心ある学生は居なさそうだな...

●2月24日/24th Feb
アドバイザーをしているアシヤアートプロジェクトに参加する。
昨年度は僕もキックオフの講演をしたり、ファッションデザイナーのコシノヒロコさんと公開対談したり、シンポジウムに登壇したりと積極的に関わったが、本年度はなかなかバタバタして難しかった。今回もこの期間に海外調査が予定されていたので登壇難しいと連絡したが、今回の新型コロナウィルスのため、渡航を見合わせたので参加できることに。
藤野一夫先生の基調講演「芸術の自律性と表現の自由について」では、愛知トリエンナーレの表現の不自由展を巡る一連の騒動から、芸術のオートノミーを照射したものだった。そもそも芸術とは歴史の大部分において自律したものではなく、芸術の自律性とは極めて近代的な概念だ。そうした問いを巡りミルの自由論の話や、カントの純粋理性批判がフランス革命にもたらした影響など興味深く拝聴する。
続き、元具体美術協会の今井祝雄さんとアンサンブルゾネのダンサー岡登志子さんとのパフォーマンス「On the table」。テーブルに横たわる身体を包み込んだ布が破られて出てくる秀逸な構成。日常的に毎朝のようにベッドの上で目にする風景なのに、それをじっくりと見つめることもなく僕らの生活は過ぎていく。功利主義に満ちた現代社会は忙しく、何かを凝視したり傾聴する落ち着いた時間を持てなくなっている。パフォーマンスという形で、時間を切り取り何かにじっくりフォーカスすることで、我々がモノを見つめる時間の無さを逆説的に浮き彫りしていると個人的には読み取った。
その後のシンポジウムは芦屋在住の建築家の大庭さんがファシリテーターを務めて"芸術的生活"を巡る対話。大庭さんは拙著「まなざしのデザイン」をかなり読み込まれてると仰っていたが、モノの見方やまなざしという昨年僕が話したキーワードをベースに話やコンセプトが展開されていて、こうして少しづつ受け継がれていっていると感じる。
芦屋で生まれた具体美術協会のテーゼに「精神が自由であることを具体的に提示する」というものがある。この言葉を拠り所に話が展開されていき、様々なモノの見方を提示する芸術が精神の自由に果たせる役割のことが皆さんの口々に語られる。それ自体は僕も前著で掲げたテーマの一つだったし、基本的には賛成だが、2年ほど経ちある意味で”モノの見方を自由にする”というフレーズがクリシェ化してくると、自分の中で言いたいことが変わってくる。 
その一つが、"我々の精神は本当に自由なのだろうか?"という問いだ。我々の個人の精神はかなりの部分が外側から作られた社会的なものだ。それは自分の意志で本当に制御していると言えるのだろうか。そして芸術は本当に我々のまなざしを解放して自由へと解き放つのだろうか。ひょっとすると、我々の「精神が本当は自由ではない」ことを芸術は提示するだけなのではないだろうか。そして、逆説的にその不自由さを自覚することからしか、自由は手に入らないのではないか。そこで自由と声高に語られているものが一体何を指すのかは依然曖昧なままではないか。
だから具体のテーゼは反対方向に解釈されなくてはならないかもしれない。具体美術の特徴の一つに、物質性の解放という表現が見られる。それは物質性を誇張して精神から解き放つことで、物質そのものに何かを物語らせるということと語られる。それはつまり物質が精神の思い通りにならないということを宣言しているのではないかと僕には見える。今日のシンポジウムには登壇していなかったので、それを語ることはなかったが、もし話を振られればそんなことを語っていただろう。

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●2月25日/25th Feb
本日25日に、ぷねうま舎よりハナムラと宗教学者の鎌田東二先生との対談本「ヒューマンスケールを超えて」が発売されました。Amazonでももちろん買えますが、小さい本屋さんを応援したいこともあり、新型コロナウィルスの報道が広がる中ですが、明日の京都恵文社でのトークイベントは開催する運びとなりました。
本では「Eの問題」というタイトルであとがきを書きましたが、Wireless Wireでハナムラが連載中の論考「五十年後の宇宙船地球号」で同じ題の論考を本日公開致しました。
今の地球の問題を包括的に捉えるための補助線としてEから始まる問題を追いかけました。
こちらの方が詳しく書いておりますが、本と合わせましてご笑覧頂ければ嬉しいです。
https://wirelesswire.jp/2020/02/74411/?fbclid=IwAR0r6VhZeAdeav_TxFRkgphlBMLEr2f5MIT3m3Ryse1f5WPfxv6ntDAm_Bk

●2月27日/27th Feb
京都恵文社で宗教学者の鎌田東二先生との対談を終える。昨日出した二人の対談本「ヒューマンスケールを超えて」の出版記念トークイベントで、先週の東京青山ブックセンターに続いて二回目になる。ウィルス報道が相次ぎイベント中止が広がる中にもかかわらず、今回もほぼ満席になるぐらい大勢の方にお越し頂いた。心より感謝したい。
そして東京にお越し頂いた方には大変申し訳ないが、今夜の対談は"格別に"面白かった。東京のトークイベントでは、鎌田先生は緊張されておられたのか、途中で灯りを消して歌い出したり、話題もあちこちに飛んだりと落ち着かれない様子だった。それはそれで面白かったが、今日は一乗寺近辺で鎌田先生がお住まいの地域ということもあり、かなりリラックスされていたので、じっくりと掘り下げることが出来た。前回の続きということも功を奏したと思う。 
今日は新型コロナウィルスの話から始まり、この五日間に互いがどのように世間を見ていたのかを共有し合うところからスタートした。僕自身はウィルスそのものの話以上に、その報道のあり方と人々の反応に着目している話にも触れる。鎌田先生はこの5日間ほどは、ダイアモンドとハラリと日蓮を読まれていたそうだが、それに対してハラリと僕の視点の共通性などで返した。同じ歳だし、共通の知人もいるので、一度ハラリとはじっくり話してみたいということも述べると、是非やって欲しいと応援された。
その後、なぜ僕と鎌田先生が聖地に着目しているのかという話、そして聖地という場所が生態学的にどのような意味があり、また心理学的に我々の精神にどのような知覚をもたらすのかという話も、今の地球環境問題と引っ掛けて展開する。その中で宮沢賢治と南方熊楠が何を問題視し、何を見つめていたのかも語られる。そして話題は腸内フローラの話と引っ掛けて、菌や微生物だらけの体内は壮大な環境であり、ミクロコスモスである我々は、自分の存在というものの境界や自明性が曖昧なことが明らかになりつつある時代にいる話につなげた。 
ウィルスの話にしても、災害の話にしても自然vs人間という対立の構図の中でモノを見ているのであれば、その上にどのようなテクノロジーやシステムを積み上げてもうまくいくはずがないという話もした。そうした観点で、人類の抱える複雑に絡み合う問題の根底に何があるのかを、確認し合う。僕自身は今回の本のあとがきにも書いたが、より詳しい論考を先日公開されたWireless Wireの記事でも同じ「Eの問題」という題で書いた。
https://wirelesswire.jp/2020/02/74411/
今日、個人的に面白かったのは、ダヴィンチの絵の読み解きをそれぞれなりに語ったことだ。描かれる主題は神や人が中心だった絵画が、17世紀あたりに自然を主題とする風景画が出てきたことから、人間の自然観の変化が読み取れると僕が話したことに対して、鎌田先生がダヴィンチの受胎告知やモナリザの背後に荒々しい岩山が描かれている話で応答したのが話の端緒だ。その話に対して、また僕からダヴィンチは本当はキリスト教を信じていたのではない話を、神聖幾何学の観点から切り返すというようなやり取りをした。ダヴィンチコードはダンブラウンの小説よりももっと突っ込んで深く読み取れる話や、ニコラ・プッサンの絵を図象学的に読み解く話にも少しだけ触れる。
当時の西洋のキリスト教絶対主義の中では、自然崇拝や神秘主義的なまなざしは絵画の中に隠されねばならなかった背景があったのだろう。
最後の方は今のAIとバイオテクノロジーの話に差し掛かったところでタイムアウトだったが、僕からの予言として、人間のアップグレードの二つの方向性を示しておいた。質疑応答でも、人体マイクロチップの話が出たので、今後避けられないテクノロジーの進化と、そうした事態への我々の向き合い方の話で返した。 
一応、これで出版記念トークイベントはひとまず終了になる。新型コロナウィルスの広まりがなければ、来週あたりに大阪が神戸あたりでもとは思ったがしばらくは難しいだろう。通常はこうしたブックイベントは出版して1ヶ月ほど経ってからするそうなので、またやっても良いかもしれない。ただ今回は出版日前後に書店でやることにこだわったのは、やはりAmazonよりも書店で買って欲しいと思ったからだ。特に青山ブックセンターや恵文社のように、店員が自らセレクトしてキュレーションして売っているような本屋を応援したかったので、単なるイベントスペースやカフェを会場に選ばないことに決めた。 
今日の対談を生で、しかも今の世の中のムードの中でリアルタイムに聞いた方はきっとかなり色々と考えさせられたのではないかと思う。共有できたことに感謝。

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●2月28日/28th Feb
朝日を迎えながら、これから島に渡る。
1日2回の地球の回転を感じる時間。

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