はじめましての一筆目

blogというものを、過去に始めたことがある。
一度や二度といったかわいい回数でもなく、簡単に始められるblogサービスや、MTなど自分で整えていくものまで何度も手を出した。
それらは大体、同じ結末を辿っている。作って飽きればリニューアルして、そうして記事を書くのをやめる。おそらく、今でもひっそりとインターネットの海を漂っているのだろう。
この経験談は自分だけではないと信じたい。
正直な話、このnoteを始めるまでに葛藤があった。
「どうせすぐやめてしまう」「三日か一週間もてばいいほう」
これらの心の声は今までの経験も相まって、真実味があり
じゃあ、まあいっか。(はじめんでも)
などと私の心を折らせてきた。

では、なぜ再びはじめるのか。
書くことが嫌いではないからだ。
雑多な取りとめもないことを貯めておく場所が欲しかった。
日記を書こうと思いつき、どこでもかけるデジタルにしようと考え、
そうして気づいたのだ。blogじゃん、と。
辿りついた思考に、すぐさま先ほどの心の声を浴びた。それがひと月ほど前のことだ。
だからといって、ひと月じっくりと考えて、今日はじめたわけではない。
ふと、「終わりを気にして、はじめない」という行為に疑問を覚えたのだ。
”なくなるのが嫌で、食べることができないお菓子”の状況に似ている。
何かをはじめるときに、ゴールを決めるのはままある。スケジュールを立てるうえで重要だ。
だが、これは半永続的な活動であり、終わり=自分がやめるときである。自分主体なのに、何を気にする必要があるのだろう。
やりたいときにやり、やりたくないならやらなくていいのだ。運用ルールを自分できめることができる。
それは、今でもネットの海を漂っている止めてしまったblogたちにも言えることでもあるのだが、一旦置いておくとしよう。
そう、運用ルールだ。私にとってはおそらくこれが鬼門である。
自分で決めるものが、自分の鬼門になるなんてこんなおかしい話があるだろうか。
あるのだ。どうやら私は自分を理解するのがヘタクソなようなので。

なぜ、更新を止めてしまうのか。

noteをはじめる前に、一応向き合っておこうと思った。
なにもやめるために、はじめるわけではない。できるならば続けたい。
そこで過去のblogたちの運用ルールを思いかえす。運用ルールというと、なんだかガッチガチのお堅いルールを強いていたのだろう、と想像されるかと思うが、そうではない。決めていたのはカテゴリーだ。
イラストのみ、言葉のみ、日記のみ。これは合う合わないあるのだろうが、自分には壊滅的に合わないことを理解した。twitterとて垢分けなんて面倒なことはしていないのだ。それなのになぜblogではできると踏んだのか、今から考えれば甚だ理解できない。
自分が雑多な人間だということは、ウン十年と付き合ってきて理解している。そこは間違えようがない。
だから、このnoteも雑多なものになる。調べたことをメモし、美味しいものの写真だって載せる。
チラシの裏でメモの切れ端で、展示スペースだ。
なんだか少しわくわくしてきたぞ。

なぜ、noteなのか。

最近のblog事情ってどうなんですか?
そんな漠然とした疑問を投げかけて返されたのが、この「note」だった。
餅は餅屋ではないが、Webに特化した人の話なので信じることができる。
もちろん、自分で調べなかったわけではない。
私のなかでnoteで書かれた記事を目にする機会といえば、twitterで流れてきたバズった記事がnoteだったくらいである。
真っ白でシンプルなデザインは、blog最盛期のカラフルな文字色と広告で彩られた画面を毛嫌いする自分には好感が持てたし、余計なものが入りこまないので文章も読みやすい。
使う予定はないが、記事を有料にできることも風の噂で知っていた。
あとは何ができるだろう。ヘルプ等々を探ってみて特に良いなと思ったのは以下だ。
マガジン
 タグとは別に自分の記事をまとめられる。
 イラストだけ、文章だけなどはこれで。
仕事依頼記事
 この記事を作成しておけば導線が用意されるという。
 イラストや言葉のお仕事をいただきたいと思っている私には
 大変ありがたい。
加えて、ヘルプにある以下の言葉である。

みなさんにnoteを使っていただくにあたって、何よりも優先していただきたいポイントが2つあります。
・創作を楽しみ続けること
・ずっと発表し続けること

本当にこればかりはド正論だ。
発表の場を広げる意味でも、何かひとつくらい持っておこうと、
改めて思った。

このnoteがいつ止まるのか、正直私には分からない。
どうせ三日でやめる、という自分の声はまだ身の内に響いている。
blogごときで何をそんなに気負っているのかと、少しばかりおかしい気分だ。
何はともあれ、内心整理も兼ねつつここまで書き連ねてしまった。
一筆目というものの良し悪しは分からないが、それを判断するものではないことは分かる。
この先何も書くことがない日がきても、私には救世主がいることが何より心強い。我が家のネコチャンだ。ネット民がネコチャンに目がないことを私は知っている。覚悟しておけ。

一先ずは、noteの初期設定と一筆目を同日にこなした自分を褒めよう。
ここぞ、という時用に冷凍庫にはハーゲンダッツがあるのだ。霜をかぶったハーゲンダッツの蓋を私は今日あける。


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