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はじまりの物語㉕ 東国

尾張を出て三河 遠江 駿河 の後 甲斐にも足を延ばす
笠と法衣を身に着け、胸からみぞおちにかけて
下げた鉦(かね)を撞木で打ち鳴らす

阿弥陀仏の称名を唱えながらの遊行である
街道の大きな国府は通ったに違いない
菅原の方がいないか気にかけながらも
その地の風土や人の営みを直に感じる

蛇と出会う前に播磨や阿波 讃岐 土佐と
自らの修養のために行脚していた

都から離れれば離れるほど未開であろうと
思っていたが都とも遜色ないぐらいの荘厳な
寺社や金が張り巡らされた仏にも驚きもした

都では貴い身分というものとそれ以外の垣根が高く
庶民が仏の像にふれる機会などほぼなかった
衆生のための仏像をつくりたい
その衆生をあまねく映す仏の顔とはいったい
自らが彫る仏尊の顔に答えがでないまま
旅は続いていく

延長4年は機縁に恵まれた年であった

常陸の国は男でも女でも馬に乗り闊達だ
それに情が深く下のものを交えて酒を飲む
平将門はその名のとおり堂々としたものだが
同じ生まれ年の縁だと游行の身ながら
もう幾月かそばにいる
南無阿弥陀仏の称名に観応して市中同行するものあり

先般は常陸介として菅原景行どのが着任された
この地が大層気に入り道真公をまつる計画がある
浄土に向かって祈りたい
常陸にて              一水

泣いたり笑ったり怒ったり
仏門修行中、感情を声に乗せて高らかに発することは
慎むべきことでありほとんど見ることがなかった

生命を高らかに宣言する、
その生宣り(いのり)を前にして
一水はわき出ずる感情を
しっかり自分の中に落としこんでいく

別れが近づくにつれて
一緒に行かせてくれというものが複数人現れた
将門は別れがたいようだったが
往け、またいつか会おう、
そういって馬も与えてくれた
ありがたいことだ

いよいよ東国の最終地、陸奥に入る
最終にして最大の地
たくさんの郡に分かれているが
人里はというと密集しているわけではない
馬を与えてもらったことが大層助かった
将門は自分のことを道真公の生まれ変わりと信じて
それを高らかに宣言していた
常陸以降、同行してくれている者たちも
道真公の夫人の行方をたどることは
将門への恩義を返すこと、
そういって聞いた話を全て伝えてくれた

ついに平泉に入った
平安京につぐ第二の都市、要所であるということが
よく分かる、自然の景勝なるものはそれ以上だ
両岸にそそり立つ岸壁は下にいくほど丸みを帯びて
水の勢いを止めることをしない
遠目には木々の緑と空の青を混ぜたような深い翠を
しているが、近くで見ると透明の水しぶきが光り
絶えることなく流れ来る
道風のように詩才がないのが悔やまれる
渓谷の上流よりまだ東にいった小高い丘に
菅原姓を名乗るものがいるという
ついにここまできた

ここまで書いて筆が止まる
もし違っていたら
もしそうであってもその時自分は
思慕する気持ちか無念を悼む憐憫の情か
それは誰に向けた憐憫なのか
目的を果たしたら
水のような清らかなこころ、そんな境地が訪れるのか

とりあえずここまでやってきた
一歩一歩進んできた
明日もまた一歩踏みしめるだけだ

蛇はそんな一水に付き従う
慰めも励ましもしない
自然も心も移ろいがあっていい
それをみていることが好きだ
明日も一緒にいられる

オ ヤ ス ミ

そう小さくつぶやき目をとじた


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