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転がり続ける多面体

 一番有名なサイコロは6面だが、6面以外のサイコロも数多く存在する。りぼんで連載していた「PARA★ダイス」で知った。
 「人間は多面的だし、その多面的な部分を見せたっていい。だから矛盾したことを書いたっていいと思う」と背中を押してくれた友達がいた。だからnoteを書けている。

 自分は何面あるだろう?球体ではない気がする。「見せるべき面」と「見せるべきでない面」に明確に境界があり、人前で好き勝手に転がることは許されない。「今日は絶対1を見せろ、出来たら2と5もチラ見せ出来る角度で静止しろ。7を死んでも出すな」という具合に、何面あるか定かじゃない歪なサイコロを注意深く配置している。時折、「1しか存在させるな」という無理難題を自分の脳から振られることもある。カードと間違えてんの?こちとら立体だぞふざけやがって。

 人に見せるための、印字も色も素材も形もこだわり抜いたピカピカキラキラの面たちに追いやられて、何て書いてあるのかも分からない、加工の間に合っていない醜い面たちがある。人前に存在してはいけないその面たちをたった一人で覗き見ては顔を歪め、「私にこんな面が存在してはいけない」と泣き喚いていた。

 二面性という言葉があるが、人間がたったの2面で構成されているわけがない。なのに、この二面性という言葉が否定的な意味で使われる度に、やはり我々立体をカードのルールに当てはめて操作したがる人々や社会があるのだろうと思う。2面で済むならまだ良い方で、「裏面に接着剤でもつけて、決して表面以外を見せるな」という指示も来る。こちとら立体だぞふざけやがって。

 自由に転がることを禁じたのはいつからだったか。もう、誰が何がきっかけなのかもはっきりとしない。
 ネガティブな自分を人に見せることは怖い。見せない方が良い場面はもちろんあると思う。しかし、どう足掻いたって醜い面を消すことは出来なかった。ちょっとでもマシに、見やすいように整えようと思ったら直視しなければいけない。それすらも耐えられなかった。視界に入るだけでこの世の終わりのような気分だった。綺麗な面しか見たくない、存在を認めたくない、これらの表面積だけもっともっと広げられないか。
 どんどん歪になっていく。歪になり過ぎて、自立も難しくなってきた。

 光が当たらない?
 それは困る。光の方向が分からなければ、転がる方向が決まらない。

 光が複数の方向から当たっている?
 全ての方向に1を、違う、あの人にだけは3、あの人の方向には6、それをやるとあの人達の角度からは10が見えてしまう。それは嫌だ。そんなことになるのなら、ここに存在したくない。

 ああ、この場面は1だ。絶対に1。完璧に1とだけ書かれたカードになれ。今すぐ狂いのない長方形に潰れてカードになれ、そして間違っても裏返るんじゃない、絶対に!!

 こちとら立体だぞふざけやがって。

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