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顔を覚えられない

 私は人の顔の特徴を捉えられない。

 人によって目が3つあったり、耳があったりなかったりでもすれば見分けがつくのだが、全員目は2つだし耳も2つついている。同じような場所に同じようなものがついている。顔のパーツというのは全員あんなに似ている形状をしているのに、なぜ見分けたり「似ている」とか「似ていない」とか分類できるのかが分からない。

 だからずっと、人間を顔以外の特徴で見分ける必要があった。みんなが同じ制服を着ている学校では、髪型、眼鏡、身長で。
 クラスメイトを見て名前が判別できるようになるのは本当に遅く、5月くらいにクラス全員分のノートを返却してくれと言われたときには本当に困った。

 自分から挨拶はしなかった。同じクラスなのか、面識があるのか、自分では見分けがつかないからだ。
 向こうが挨拶してきたら、もちろんしっかり返す。相手が何ていう名前の誰なのかが、当然判別できている振りをして。

 大学では、確か300人以上はいるとかいう大所帯のサークルの、その中の20人弱の一番小さなセクションに所属した。20人弱の外にいる人物のことを私はほとんど覚えていなかったが、たまに舞台で英語劇をやっていたので私を知っている人は意外に多く、名前の分からない人たちからよく声をかけられた。
 それが先輩なのか後輩なのか同期なのかは当然分からないので、向こうの口調やテンションから自分とその人との関係性を推測してテンションを合わせて適当に喋り、あまり細かい話に進む前にそそくさと退散していた。

 社会人になると、つるむ人間を選んではいられなくなる。
 日々出会う人の顔を覚えようと、本当に頑張った。頑張ったがいくら凝視しても一瞬で忘れてしまった。男性はみんなスーツを着ているし、女性は毎日違う服を着るし。同じような服を着られても、毎日違う服を着られても、どちらも困るのだ。
 仕事中に眼鏡を掛けていた人から休み時間に眼鏡をはずして話しかけられたりなんてしたら、それはもう完全に別人ということになる。

 入社当初、駅から会社まで歩いている時に、「きっと今会社周辺を歩いている人の中に、私が気づいて挨拶しなければならない人が沢山いるのだろう」と思った。しかしそれが誰なのかが分からない。
 そこで私は、会社周辺ですれ違う人たち全員に挨拶をすることにした。数日試したが全員が怪訝な顔をしていたので、全員自分の会社とは関係のない初対面だったらしい。その習慣はやめた。

 一日中研修で営業同行した先輩にその日の飲み会でお礼を言ったら、全然違う人だった。眼鏡と年齢と雰囲気は一緒だったのに。大量のスーツのおじさんを見分けるのはやはり難しい。

 ある日ネットで「顔を覚えられない」と調べると、「名刺に相手の特徴をメモするといい」と出てきた。私は名刺の裏にその人の特徴をメモするようにしたが、「あの人の連絡先知ってる人、名刺見せて」と同僚に言われる可能性があるため、途中から暗号のように略して書くようになった。

 イケメンだったら「イ」。イケメンなんて書いてある名刺などとても見せられない。イでも見せたくないが。
 別にその人を狙っていたとかではなく、「強いてこの人の外見の特徴を言うなら、まあ、イケメンくらいだな」としか思えなかったのでイと書いたのだ。「芸能人のあの人に似ている」と分かる能力があればその芸能人の名前を書けばいいが、知っての通り「あの人に似ている」と判別する能力自体が私には無い。
「ホクロから毛」は、次に会っても名前を当てられる自信があったが、同僚には必死に名刺を見せないようにした。

 そんなこんなで奮闘したが、展示会などで雑多に人が来て雑多に挨拶されると、やはり一瞬で誰なのかピンと来るのは難しい。

 さらに厄介なのは、向こうが100%に近い確率で私のフルネームを覚えていることである(潮永三七萌は本名)。
 名刺を渡せば「珍しいお名前ですね」から会話が始まるのだから、私の名前は印象に残りやす過ぎるみたいなのだ。名前を覚えていない者同士なら気まずい思いをすることはないが、なんせ向こうだけが私を覚えているのだ。何度その関連で謝ったか分からない。

 さて、ここ数年くらいだが、「あの人に似ている」という感覚を私はほんの少しだけ掴みつつある。自信はないので「似ている気がする」に留めている。周囲に言わせると、「そう……?」というレベルらしいのだが、私から見て「あの人かもしれないけれど、違うかもしれない」と思ってそわそわすることがたまにあるのだ。

 結婚して引っ越したてのマンションに生協の配達に来た人は、本当に社長に似ていた。私に言わせればだが、社長そのものだった。
 私は焦った。なぜ社長がパルシステムの制服を着て私達のマンションにいるのだ。我々は社内婚。夫は社長と話す機会もある。
 え?新手過ぎる新居祝い?と思い、その人の顔を凝視したが(声を掛けずに向こうに私だと気づいてもらう常套手段)、向こうは私に何も言わず、配達を終えるまで私はやたらと顔を凝視してくるただの怪しい人になっただけだった。この様子ではどうやら社長ではないらしかった。

 この前の初対面が沢山いる飲み会でも、子供がいるはずの同期がマッチングアプリの愚痴を言っていた。そんなはずはないしそれは違うのだが、私に言わせれば本当にその人そのものだったのだ。

 電車のお茶の広告で爽やかに微笑んでいる人物が、シティーハンター実写で散々見た鈴木亮平だと気づいた時は感激した。
「こんなにも雰囲気が違うのに、私は誰からのヒントもなく違う場面を演じている人物の顔を一致させることができたのだ」と感慨深い気持ちになっていたのだが、間違っているかもしれない。

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