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絶賛反抗期中だった私がみせたほんの少しの優しさを、すごい勢いで全力で肯定してくれた“渋谷の婆さん”の話


1.そう、私は反抗期の真っ最中


確かあれは15、16歳くらいのときで、都内の女子高に通っていた私は、なにかとアウトローな世界に憧れていた。そこに目的や実行力もないのだけれど、とにかく決められて縛られていることを、引きちぎって、すべて抵抗してやりかたった。保守的な母親とは特に相容れなくて、毎晩のようにケンカしていた。そんな私が、スカートをベルトでたくし上げて短くし、どこぞの学校カバンを肩にかけ、ツンツン歩いていたときだと思う。あの頃はまだ地上にあった渋谷の東横線の改札を出るときに、ふと見上げた先に、小さいカートを下ろしながら階段を下りてくるおばあさんの姿が見えた(以後、愛着をもって“渋谷の婆さん”とする)。


2.小さいカートを引きずって、階段を下りる婆さんの登場


はっきりは覚えていないのだけど、塩沢ときさんを小ぶりにした感じの婆さんだったと思う。カートを一段下ろしては、自分が一歩ずつ下りている姿にいたたまれなくなり、私は思わず階段を駆け上がって、その婆さんを手伝うことにした。ほんの数分。人生のほんの数分、その婆さんを手伝っただけである。手伝ったといっても、ただカートを代わりに持って下ろしただけである。


3.すこーしこぼれだした優しさと、根底にあった後悔


何かを考えたり、思い切ったわけではなくて、気づいたら先に体が動いていた。どうにかしなくちゃいけないと瞬間的に感じた。でもこれって実は、先立つ後悔みたいなものがあって、そのちょっと前に私は祖母を亡くしていた。昔の人には珍しく、ボスキャラのような大柄で大胆な祖母だったが、私は大好きだった。でも、何もしてあげられなかった。その後悔から来ているのかもしれない。

私はこの渋谷で見かけた婆さんに、ふいに優しくしたのだ。


自分のおばあちゃんにも、優しくしてみたかったもんだ


4.全力で肯定する“渋谷の婆さん”


カートを下まで下ろした後の婆さんの迫力がすごかった。ひるむ私を横目に、そのまま駅の売店までツカツカツカっと進んで、「紙とペンを貸してちょうだい!」と言った。横であたふたする私。そんなことには構わずに、婆さんは「あなたの学校は?お名前は??」と、まくし立てた。私は、あまりの勢いと予想を超える展開に、相当ひるんだのだろう。おそらく“いいんです(何もしてくれなくていいんです、の意味)”と答えた気がする。するとこの婆さん、私にこう言い放った。
「あなたがしたことはね、それだけのことなのよ。なかなか出来ることじゃないし、賞賛されないといけないことなのよ!!」


5.だから今


私の記憶では、その後学校から何も言われなかったし、結局その婆さんにウニャウニャウニャっとしか答えられず、婆さんの方も聞き取れず書き取れず、おしまいになったんだと思う(実に私らしい)。
でも今、あのときの倍以上の人生を生きてきたけれど、たまにこのときの光景を思い出して、なぜか涙しそうになるときがある。あのとき、“渋谷の塩沢とき婆さん”が、「人に優しくできるのはすごいことなんだ!」と全力で肯定してくれたから、あの多感な時期に身をもって分からせてくれたから、私は割と人からいただいた優しさにも敏感でいられるのかもしれない。

ありがとう、あのときの渋谷の婆さん。

私も、人の良いところを全力で肯定できる中年を目指します。