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乳がん発覚の経緯①:乳がん検診

私は毎年、4月~6月くらいに協会けんぽの健康診断を受けているのですが、2020年はコロナの感染拡大と緊急事態宣言があったため、まあ急がなくてもいいだろうと先延ばしにして様子を見ていました。

会社の集団検診と違って個人でやっている零細企業なので、自分で病院に予約を取る必要があります。そろそろ大丈夫かなあと9月頃に電話をすると、一番早くて11月ですねと言われ、健診の予約をしました。

通常の健診は毎年受けていますが、乳がん検診に関しては2年に1回、偶数年齢のときに補助がついて安く受けられるようになっているため、毎年ではなく2年に1回でいいのかなと、昨年は受けていませんでした。

さらに、40歳になって初めてマンモグラフィーを受けたときに、「世の中にこんなに痛いことがあるのか」と拷問にしか思えなかったため、それ以降は自費でエコー(超音波)の検診を受けるようにしていました。なので今年も健康診断のあとに乳腺エコーの予約をしました。

うちは元々がんの家系なので、いつかは自分も何かしらのがんになるだろうとは思っていました。ただ、乳がんという可能性は一度も考えたことがありませんでした。正直なところ、乳がんは胸が大きい人がなりやすいのではないかと勝手に思っていて、自分は胸が小さいから乳がんはないだろう、がんになるとしても、子宮や胃や肝臓だろうと思っていました。

それでも知り合いが乳がんになったという投稿を見かけると、自分でも胸を触って、しこりがないか確かめたりはしていました。もちろんさわってすぐわかるような、ビー玉のようなくりくりとしたしこりはなく、その他の自覚症状もまったくなかったので、乳がんの可能性なんて疑ったことはありませんでした。

ただ、今思い返してみると、乳がん検診を受ける数か月前から左の胸が妊娠したときのように張っていたり、左腕の力こぶのところに時おりチリチリとした痛みはありました。


そんなこんなで検診を受けにいったのが2020年の11月9日。上半身裸になって診察台の上でバンザイをしている状態で、最初に医師が触診をします。右側から乳房や脇の下を触っていき、続いて左側へ。乳房のあと脇の下を触った際に医師が「あれ?」と言いました。「これ、ご自分で自覚ありました?」と聞かれて、一瞬混乱しました。言われた部分を触ってみると確かに固い。

「脇の下?乳房にはないのに、脇の下にしこりがあるってどういうこと?」とよからぬ妄想が頭をめぐり始めました。

続けて超音波で見ていくと、乳房にも脇の下にもしこりが映っていました。先生は念入りに何枚も写真を撮っていました。乳房のしこりは大胸筋に近い下の方にあったため、これは触ってもわからないでしょうとも言われました。

え?乳がんは触っていれば見つけられるものなんじゃないの?

エコーが終わったあと、先生から「乳房の腫瘤とリンパに腫大が認められます」と言われました。

腫瘤と腫大ってなんだよ、腫瘍となにがどう違うんだよ、と心の中で思いながら、

「それは悪性の可能性があるということですか?」

「それは詳しい検査をしてみないとなんとも言えませんが、これだけはっきり写っていますからね。一応今日はマンモグラフィーも撮りましょう。マンモにどう写るかも確認したいので」

と言われ、あれだけ痛いからと避けていたマンモグラフィーも、結局やることになりました。

診察室を出てマンモグラフィーの順番を待つ間、スマホでいのいちばんに調べたのが「乳がん 余命」というキーワードでした。まさか自分が乳がんの可能性があるとは1ミリも思っていないので、乳がんの予後についてはまったく知らないに等しい状態でしたが、がんのなかでは生存率が高い部類に入ることがわかりました。

次に調べたのは「乳がん ステージ」です。乳房の腫瘍の大きさは1.5cmと言われたので、まだ初期のステージ1くらいだろう。でも脇の下のリンパに転移しているとしたら、そこから他の部分にも転移している可能性もある。逆に、他の部分のがんが脇の下を経由して乳房に転移しているということはないのだろうか?

そんなことを考えつつスマホを見ていると、マンモグラフィーの撮影のため名前を呼ばれました。記憶の中の痛みと遜色のない胸がちぎれるような痛みに息をゆっくり吐いて耐えながら、左右で計4回の拷問に耐えて撮影を終えるとまた廊下で待たされました。

待っている間、頭のなかで悪いイメージがどんどん膨らんでいきます。リンパから全身に転移していたら、もう助からないってこと?そんなことあるわけ?

また診察室に呼ばれ、マンモの画像を見て先生から「これだとよくわからないですね」と言われました。(いや、だったら撮らなくていいじゃないか)と思いつつ、乳腺の密度が濃いとわかりにくいんですと言われました。

「こういった腫瘤や腫大があるときは、次の段階として組織診断といって、針を直接腫瘍に刺して細胞を取り、悪性か良性かを判断する検査をご案内しています。自分は○○大学附属病院からこちらの医院に来ているので、そちらの病院を紹介して検査をすることができます。エコーももっと解像度がよい機械があるので精密に撮れます。場所は〇〇線○○駅で・・・」

もし乳がんとなって手術や抗がん剤の治療をすることになるのなら、家の近くの方がいいと思った私は、

「そちらの病院で検査を受けたあと、その結果を持って家の近くの〇〇病院に転院して治療をすることは可能ですか?」

と聞くと、

「可能と言えば可能ですが……」

先生の表情が変わりました。

あとで読んだ本によると、病院や医師側はあまり転院を好まないらしいとのこと。病院や医師にとって患者はお客さんなので、自分のところのお客さんを喜んで手放す人はいないと。

自分にとっての通いやすさしか考えていなかった私は、今日はこれで帰って、針生検は近くの総合病院で受けたほうがいいのではないかとものすごく迷っていました。

すると先生が、

「検査をするとしたら、一番早くて今週の12日が可能です」

と具体的に3日後の日程を出してくれました。

がんかどうかわからない状態よりも、はっきりしている方が今後のことを考えやすくなるはず。しかも、新たに別の病院に行って最初から検診をするよりも、少しでも早く結果がわかった方がいいと思い、

「早く分かった方がいいので、じゃあ12日でお願いします」

とその場で予約を入れてもらいました。

「先生、今の状態で一番最悪なケースだとどういうことが考えられますか?」

とおそるおそる質問すると、

「悪性腫瘍のステージの診断をするときは、腫瘍の大きさ、リンパ節への転移があるか、遠隔転移があるか、で判断します」

と言って説明してくれましたが、その時点でわかっているのはしこりの大きさだけで、リンパ節の腫大が悪性のものなのかどうかはわからないのでなんとも言えませんとのことでした。

会計を待っている間、自分の動揺を抑えるべく、姉と妹にラインで連絡をしました。自分の中だけでそのことを持っているのが重かったのです。その日の夜、だんなさんにも伝えました。12日に針生検受けてくる、と。

ただそのときはまだ、腫瘍が1.5cmだから、どんなにひどくてもステージ1か2だろうと楽観的に考えていました。

家で過去の健康診断の記録を捜して見てみると、2年前に受けた乳腺エコーの結果は左右ともに嚢胞が認められるが良性という所見でした。2年で急にがんになることってあるのか?という疑いを持ったまま眠りについたその日は、うまく眠れずに、夜中に7回くらい目が覚めてしまいました。

そのとき直感的に思っていたのは、がん細胞が身体の他の細胞を攻撃するように、私も私自身をずいぶんと否定し、攻撃をし続けてきたからがんになったのかもしれないなあということでした。そのあたりはまたがんの原因について書くときに詳しく。

次回以降、針生検や告知、入院、手術についても書いていきたいと思います。

***

自分が乳がんと診断を受けて一番参考になったのは、やはり他の人はどうだったのかということでした。いろいろな方が本やブログを通して情報を共有してくれていて、そのおかげでずいぶんと治療のことをイメージでき、これから何が起こるんだろうという恐怖がやわらぎました。ですので私も、これから告知を受ける方が今後のご自分の治療の際にイメージを持てるよう、なるべく詳しく書いていきたいと思います。

すでにたくさんの体験記などが発売・公開されてはいますが、それぞれ年齢も立場も、ステージも、乳がんにはいくつもあるサブタイプも違いますので、少しでも多くの事例があったほうが参考になるかなあと思っている次第です。ちなみに私は現在48歳、術前診断でステージⅢa、ルミナールB、核グレード3、Ki67の値も高いという、顔つきが悪く増殖能が高い(進行が早く再発の可能性も高い)タイプの乳がんでした。

さらに、書くことで自分をメタに観察できればと思っています。自分を材料に、人は病にどう向き合い関わっていくのかということを、観察していきたいと思っています。そういう意味では、毎日noteを更新しているわりに、乳がんについては2か月間溜めてたので書く材料がたくさんできましたし(笑)、書いて出すことで、また新たな何かが湧いてくるだろうと思っています。

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