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なぜ本を処分できないのか?その①

ウイルス関連のもろもろで、お仕事がお休みになり家ですごす時間が増えている方も多いかもしれません。
逆に、そんななかでも、社会のインフラを支えるため見えないところでお仕事に励んでくださっている方々はほんとうにおつかれさまです。
学校がお休みになったことで、お子さんたちの食事やあまったエネルギーの方向づけにお忙しくされている親御さんたちも、お仕事以上に大変なことも多いかと思います。

でも。
家にいる時間が多くなるということは、今までできなかったことに時間をかけて取り組む機会にもできます。家の片付けや、読んでいなかった本を読んだり、自分の内面を整理したり。私もはりきってあれをやろう、これをやろうと考えています。

そこで今日は、以前私が取り組んで、スタックしてしまった「本の片付け」について、書いてみたいと思います。これは、半年前のブログ記事に手を入れてUPしています。

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2010年にこんまり本を読んだものの、「ふーん」で終わってしまっていたのですが、昨年の夏、ここまで話題になる理由はなんなんだろう?と思い、Netflixで「KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~」シリーズを観てみました。

番組に登場する人たちを見ていると、彼らが行っているのは単なる片付けではなく、片付ける過程で、
自分がこれまでどんな風に生きてきたのか、これからどんな風に生きていきたいのか、自分が本当に大切にしたいもの・ことは何か、そういったことに気づいていく―気づくというより腹の底から実感する―
そういう過程なのだと思いました。

そこで私も、早速自宅のこんまり式片づけに取りかかりました。
こんまり式では衣類⇒本⇒書類⇒小物⇒思い出品の順で片づけを進めます。

衣類なら、家中にある衣類を一箇所に集め、まず自分が持っている量のすべてを目で確認します。その後、一つひとつを手で触ってときめくか、ときめかないかで、残すものを決めていきます。

「ときめく」という言葉がちょっとなーと思う人は(私もそのうちの一人)、英語で「Spark Joy!」と言われても同じくちょっとなーだと思うので(笑)、「ピンとくる」とか「心が動く」とか、自分の感覚で内的に反応している状態を、判断の基準にするといいかもしれません。頭であれこれ理由を考えるのではなく。

で。
最初にとりかかった衣類はすんなりと進み、クローゼットも気持ちもすっきりしたので、続いて意気揚々と本に進んだのですが、、、

本の山を積み上げたあと、ぱったりと止まってしまいました。
早く片付けないと邪魔でしょうがないのに、どうにもそこから先に進めないのです。

止まってしまった理由を自分なりに書きだしてみると、

・本を一箇所に集めるだけで「こんなにあるのか」とげんなりする。

・一箇所に集めるために本を運びながら「まったく読んでない本ばかりじゃないか」 「過去2回の引っ越しで20箱以上処分したはずなのに」「どうしてこんな状態のままここまで来たのか」という思いに苛まれる。

・一箇所に集めたあと、1冊ずつ手に取って残す本の仕分けにとりかかったものの、本を手に取る度に、その本を購入した当時の自分が思い出されて、つらく苦しくなってくる。

・つらい、苦しいというのはどういうことかというと、
「読んだのにほとんど記憶に残っていない、身になっていない、活かせていない
「〇〇を学ぼう!〇〇について知りたい!と思って買ったのに、すぐに気が変わってしまった、もしくはそのこと自体すっかり忘れている」
「あまりよく考えず、とにかくほいほい買って本棚につっこんだだけで、手も触れていない」
「たいして中身のなさそうな本に安易に飛びついてしまった」
などなど、なんだか自分がとても愚かに思えてくる。

・その「愚かに思える」理由をもう少し探ってみると、純粋に本を読むのが好きだった子供~20代の時とは違って、今所有している本は主に30代に入ってから、「自分の足りなさを知識で埋めようとして本をほいほいと手に入れている」「本を読み砕くことがさしてできていないために、知識や知恵が身になっていない」と思うから。

・これは20代のとき、自分に自信がないのでブランド物や化粧など、外見を飾ることにエネルギーを費やしていたがそもそも自己肯定感が低いので着飾っても問題は解決しないということと、同じパターンである。

・そんな気持ちに直面したくないので、本を仕分けるのが嫌になってしまった。

・このまま今の量の本を所有し続けることは、その「愚かな自分」と一緒に居続けることになるため、ここでしっかり仕分けをしたい。これからの時間は、「このことについて学ぶためこの本は残す」と「意図をもって残した本と時間と空間を共にしたい」と考えている。

と色々書きだしたあと、片づけ停滞を打破するため、残す残さないの仕分けの前に、もうひとつステップを入れることにしました。
1箇所に集めた本を自分なりの興味関心で10のカテゴリに分けることです。

1)経営理念・修士論文関係

2)経営・組織・人材・その他ビジネス関係

3)ファシリテーション・ワークショップ・キャリア関係

4)映像・シナリオ・創作関係

5)文学・歴史・言語学・哲学・その他教養

6)小説、エッセイ

7)心理学・教育学・カウンセリング関係

8)宗教・スピリチュアル関係

9)占星術・タロット関係

10)料理・掃除・ストレッチ・健康・語学・資格試験関係

今、自分の部屋とリビングに、10の本の山があるので、まずは抵抗感の少ない山から順に取り掛かり、もう少し狭い範囲で自分の意図や思いに向き合いながら、引き続き仕分けと観察を進めたいなと思っています。

・・・と書いたのが6月半ば。

もう7月になってしまいましたが(^^;、まだ本の山の中で暮らしています。

今回の片付けは、「本の仕分けのプロセスで自分の内面に何が起こっているのか?」とか、「どうして自分のことを否定し続けるのか?」という当事者研究も兼ねているので・・・ということを言い訳に、時間をかけて向き合っているところです。

先日はこの「本の片付け」をテーマに、他の人に話を聞いてもらい、新たな発見がありました。

以前投稿した「メンタルモデルをゆるめる」っていうことと、本の片付けは深いところでリンクしているのだと思います。

なので、そんな当事者研究のもろもろと、片づけの続編はまた後日に書きたいと思います!

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