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歩く旅で”弱さ”を克服できるのか?~Pain is inevitable. Suffering is optional.~


私は走るのが苦手ということもあり、これまで「歩く」ことを一つの「動的瞑想」や「修練」のようなものとしてとらえていた。

先日書いたような、日常の「歩く」以外にも、

・100km歩け歩け大会
・屋久島縦走
・秩父三十四ヶ所観音霊場巡り(25番まで)
・歩き遍路(四国八十八ヶ所巡り、23番まで)

などにこれまで行ってきた。

このような身体を使った経験は、時間が経っても記憶に残っていることが多い。頭で納得した経験や、心が動いた経験よりも。

せっかくなので、「歩く」という縦糸で、これらの体験を編みなおしてみたいと思う。

※日常的に走っている方や、マラソン、トレランを当たり前にこなせる方には、「なに甘っちょろいこといってんの」と思われるかもしれないので、ご容赦ください。


「100km歩け歩け大会」に参加して

かれこれ10年ちょっと前のこと。
勉強会の仲間に誘われ、三河湾チャリティ100km歩け歩け大会に参加した。

前日の夜にイベントを主催していたので、終了後に車で東京から移動。
午前3:00にホテルについて、2時間睡眠で集合した。

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※自分で写真を撮っていなかったので、西川さんのブログからお借りしました。

スタートからゴールまでの制限時間は30時間。
参加を決めたのが、だいたい1か月前のことで、事前のトレーニングは1週間で合計30kmを歩いたのみ。とてもとても100kmを歩き切れる気がしなかったので、最初から完歩ではなく50kmを目指し、いけそうだったらいけるところまでいくというスタンスで参加した。

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途中休憩を取りながら、14時間ぐらいかけて49kmのチェックポイントまで行き、そこでリタイアをした。
最後は雨も強くなっていたけれど、雨なんかどうでもいいと思えるくらいに、足、特に股関節の痛みがすごかった。

歩いている間は、一歩一歩、痛みをギリギリ我慢しながら進んでいたので、リタイアしたときには、「もう本当に精一杯やった」と思っていた。

その後、チェックポイントから送迎バスにのり、ゴール地点にある温泉施設に移動、お風呂にゆっくり入って、大広間で座布団を何枚かしいた上で仮眠をとった。

翌朝、次々にゴールする方々を見つめていて、私は「うらやましさ」に囚われていた。

自分の限界と戦いぬいた人がそこにいて、
自分の限界を自分で設定した自分がここにいる。


この大会に参加することで、自分がどれだけ弱い人間なのかを見つめ、その上で、精神力をあげていく機会にしたいと思っていた。弱い自分、一人では何もできない自分を見つめれば、自然と感謝の心に包まれ、自分がとらわれている憤りやとらわれから解放されるのではないかと、勝手に期待していた。

ところが。
実際は痛みと向き合うだけで精いっぱいで、ときにはどうしても受け入れられない人を思い出して怒りにとらわれたりしながら、まったく克服も解放も感じることなく、リタイアをした。最初から「練習不足だし」と、リタイアをする言い訳まで考えていた。

さらに、自分のこれまでの生き方や物事への取り組み方が、参加を決めてから、最後リタイアするまで、みごとに出ていたなあということにも気がついた。

・追い込まれないとやらない
・自分のペースで進みたい
・先延ばし、言い訳をする
・準備不足、めんどくさがり
・最初は勢いだけ、あとは惰性
・自分のことしか見えなくなる
・人への配慮を忘れる

そのときは、「そういう自分に気づいた」と受け止めて、そこから向き合おう、そして万全の準備をした上でまた挑戦しよう、と思っていたが、次はまた形を変えた、違う歩きの旅に出ることになる。


歩いた中で得た気づき

歩いている最中に起こったことや気づいたこととしては、

・痛む部分が徐々に変わっていく
・最後は痛みのオーケストラ状態 全身痛い
・いける内に行きたくなってしまうが、あとでその疲れがのしかかってくる
・休憩は取りすぎてはいけないけど、こまめにとった方が心が折れにくい
・一人だと言い訳ばかりが出てきて、心が折れやすい
・仲間や誰かと話しながら気を紛らわす
・すれちがった子供たちの「こんばんはー」という一言に、ものすごいエネルギーをもらった
・サポートしてくださっている大会関係者やボランティアの方への感謝
・歩きながら考えようと思ったことが、全然考えられなかった
・自分がこうやって歩いていられること自体が、感謝以外の何物でもない

こういった気づきは、「歩く」ことだけでなく、人生の様々な取り組みへのヒントになってくれるだろう。

歩くとき、支えになっていたもの

痛みに集中すると我慢できなくなるので、マントラのように、繰り返し唱えていた言葉がある。

「歩かせていただく」
「足さん、ありがとう」
「Pain is inevitable. Suffering is optional.」

これらの言葉は、歩いている間中、心の杖になってくれた。
事前に読んだ2冊の本からのもの。

まず、私が「ひたすら歩いてみよう」と思うきっかけになったのが、この本。

行とは行じるものではなく「行じさせていただくもの」
人生とは生きるものではなく「生かされているもの」
行とは、人生とは、ひとつひとつ見えない徳を積み上げていくもの
人間は雨を降らすことも、そよかぜを吹かすこともできない。
ただ一つできることは、人を思いやること。人を思いやることによって人に感動を与え、勇気を与えることができる。
本当の喜びというのは、あぁなるほど、こうなんだ、ああなんだ、と当り前のことに自分が気づいた瞬間に湧き上がってくるものです。

塩沼亮潤大阿闍梨が満行された「大峯千日回峰行」とは、吉野山の金峯山寺から大峯山の山上ヶ岳頂上までの往復48km、高低差1,300m以上の山道を16時間かけて1日で往復し、それを千日続けるという荒行。山の気候の関係で、1年のうち約4か月間という決められた日に毎日、そして9年の歳月をかけて48,000kmを歩く。

さらに、いったん行に入ったら、決して途中で止めることができないという厳しい掟があり、もし途中で止める場合は短刀で腹を掻き切るか、紐で首をくくり、命を絶たなければならない。そのため行者は、常に短刀と紐を携帯している。吉野の金峯山寺1,300年の歴史の中でこれまでまだ2人しか満行できていないとのこと。

塩沼亮潤大阿闍梨は、当時の私にとって「弱さの克服」の象徴だった。だからこそ、「歩く」ことに挑戦しようと思った。

そして、もう一冊は村上春樹さんの本。

僕自身について語るなら、僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた。自然に、フィジカルに、そして実務的に。どの程度、どこまで自分を厳しく追い込んでいけばいいのか?どれくらいの休養が正当であって、どこからが休みすぎになるのか?どこまでが妥当な一貫性であって、どこからが偏狭さになるのか?どれくらい外部の風景を意識しなくてはならず、どれくらい内部に深く集中すればいいのか?どれくらい自分の能力を確信し、どれくらい自分を疑えばいいのか?
僕のようなランナーにとってまず重要なことは、ひとつひとつのゴールを自分の脚で確実に走り抜けていくことだ。尽くすべき力は尽した。耐えるべきは耐えたと、自分なりに納得することである。そこにある失敗や喜びから、具体的な―どんなに些細なことでもいいから、なるたけ具体的な―教訓を学び取っていくことである。そして時間をかけ歳月をかけ、そのようなレースをひとつずつ積み上げていって、最終的にどこか得心のいく場所に到達することである。あるいは、たとえわずかでもそれらしき場所に近接することだ(うん、おそらくこちらの方がより適切な表現だろう)。


村上春樹さんの小説には、団塊ジュニア世代の多くがそうであるように、中学や高校で出会い、それからすべての作品を何度か読み返してきた。自分が一番多く接してきた、一番影響を受けた作家さんだ。

7~8年前に引っ越しを機にすべての作品を売ってからは読んでいないけれど、それでも今、「歩く」ことに加え「書く」ことを思うとき、一番にこの本を思い浮かべる。

「尽くすべき力は尽した。耐えるべきは耐えたと、自分なりに納得すること」
「最終的にどこか得心のいく場所に到達すること」
は、今でも自分の行動基準になっている。

そして、何か苦しいことがあると必ず、「Pain is inevitable. Suffering is optional.」と心の中で唱えている。

特に、仕事で結構難しい原稿が回ってきたとき、修士論文を書いていたときは、よくこの言葉や、このときの体験を思い出し、絶対リタイアしないで、やりきろうと自分に言い聞かせていた。

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今日は、自分なりの「歩く」の原体験のような体験について書いた。
後日、その他の「歩く旅」の体験についても書いた上で、全体を通してどんなことが見えてくるか、まとめていきたいと思う。



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