見出し画像

立ち食いそばやさんの魅力って?

子どもの頃から立ち食いそばやさんが好きだった。

小学生の頃の私は、ずっとなぞの皮膚炎で病院をたらい回しにされていたので、学校を休んでよく母と病院に通っていた。その帰りに、よく「立ち食いそばやさんに行きたい」と言っていた。食べるのはうどんなんだけど。

そうすると母は、「家でうどんを作ってあげるから」といって、やわらかく煮たうどんに溶き卵を落としたようなものを作ってくれたんだけど、心の中で「ちがうんだよね、こんなにやわらかいのじゃなくて、もっと固いうどんで、つゆが黒いやつなんだよね」と思っていた。

小さい子どもって普通、立ち食いそばやさんには行かないですよね?

だから、なんでそもそも小さい女の子だった自分が行きたいと思ったのか、きっかけがなんだったのか、よくわからない。


高校生の頃は、お蕎麦屋さんで2年くらいアルバイトをしていた。
どんな町にもありそうな、普通のお蕎麦屋さん。
当時は接客だけでなく調理場の手伝いもしていたので、天ぷらをあげるごま油の香りとか、出しの香りとかがいまだに好きだ。まかないで毎日のようにお店のメニューを食べていたので、お蕎麦屋さんのカレーとかカツ丼とか、そういうのも好きだ。

でも、町のお蕎麦屋さんは、立ち食いそばやさんとは違う。
値段も違うけど、お店の雰囲気も、違う。


大学生の頃は、丸の内線の方南町に住んでいたことがあって、そのとき方南町駅にあった立ち食いそばやさんが特にお気に入りだった。若い女の子が一人でそういうお店に入るのは少し勇気がいるのだけど、でも結構よく行っていた。

すごい狭い店内なのにもかかわらず、限られたスペースの中で天ぷらを揚げて、麺をゆでて、洗い物をしてという、そういうお店の人を見ていて、なんかすげーと思っていた。歌舞伎町のコマ劇場のそばにあった、2つの立ち食いそばやさんも(今はもうないけど)、当時飲んだあとによく行っていた。

それから二十ウン年。
いまでも駅の立ち食いそばやさんにはたまに行く。
決しておいしいっていうわけじゃないけれど、あのうどんの感じと、あのつゆの感じを求めてしまう自分がいる。おいしいお店はいっぱいあるんだけど、あの感じがいい。

お店はせまいほどよくて。
最近のチェーン店のような、小ぎれいで、椅子席もあって、システム化されている感じよりも、せまい空間の中に、雑多にいろんなものが置かれていて、厨房もめっちゃせまそうで、その中で店員さんが、無駄なく声をだし、分業しながらコンパクトに、スピーディーに、あったかい食べ物を提供してくれるお店がいい。

そしてお客さんのほとんどが働いている世代の男性たちで、入れかわり立ちかわりそば(やうどん)をかっ込んでいく。お客さん同士でしゃべっている人なんて誰もいなくて、ただみんな麺をすすっていて。

なんかそういうお店に、すごく心惹かれるのだ。


大量の人が通り過ぎていく日常の光景の片隅に、そういうお店は、数えきれないほどあるだろう。

でも。
食券を渡してほんの数十秒から数分で、そして、ほんの数百円で、あたたかいおそばやうどんが食べられるミラクル。

お店の人は、無駄なく必要な動作で提供していて。
食べる人も、無駄なく必要な動作で食べていて。

食べることの豊かさを味わえないと思われる光景かもしれないけれど、何十年もの間、私はそんな光景を「いいなあ」と思って眺めている。

人の食欲という欲求を、シンプルに満たしているところに惹かれるのか?
無駄にしゃべることなく、短時間でひとつの目的が達成されるところに、美学を感じているのか?

その辺はまだよくわからないけれど、これからも、私は立ち食いそばやさんにいって、そんな姿を眺めながら、あのうどんとあのつゆを味わいたいと思っている。


サポートいただけたら跳ねて喜びます!そしてその分は、喜びの連鎖が続くように他のクリエイターのサポートに使わせていただきます!