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活動と教えることの狭間で

今年の四月からご縁があって、地域の日本語教室を担当しています。
これまでずっと講師として教えてきたので、なかなか教え癖から抜けられません。気がつくと、教える側と聞く側の構図が出来上がっています。

日本語教室を担当し始めた頃、ある勉強会で先生から「教えるのではなくて活動だから」と言われ、そうですねとわかったつもりでいたのですが、やっぱりわかっていなかった。だんだん、教室で私が話している時間が長くなっていることに気がつきました。

先日、久しぶりに別の勉強会に参加し、「教師は観察すること」という言葉に再開しました。昨年、受講したセミナーで学んだことです。こちらが話す時間が増えると、観察する余裕はなくなります。そして、その場にはいるけれども参加していない人も増えていく。

半年たって見直す時期に来たようです。

昨日の教室では「町の案内図を見て、情報を読み取る」活動をしました。
まず、テキストのモデルマップを見てどんなところか見て、何ができるのかみんなで話しました。それから、住んでいる町のガイドマップを配ったところ、歓声があがりました。

「ここ、いいですよ」「緑が多いですね」「ここに行きたいです」

一番好きな場所はどこか聞くと、
「ここ、いいです。スケートボードができるから」

ちょうど、他の町に住んでいる人がいたので、
「〇〇さんにおすすめの場所を教えてください」
というと、一生懸命、説明してくれました。相手も理解していたようです。そこでの日本語はたどたどしいものだったけれど、十分伝わっていました。

こういうことが「活動」なんだろうなと今、思います。

最初のころは、そういう活動があったのですが、途中からテキストを使って進めるようになって、テキストの内容を「教える」ようになっていました。そのほうが楽なんです。テキストのとおりに進めていれば進んでいる気がするから。

でも、よくない! もう一度、「活動」を考えるよう頭を切り替えよう。

10月は5回、教室があるので次回は「この秋、行きたいところのガイドマップをインターネットで調べて、みんなで話そう」というテーマにしました。

「教える」病からなかなか抜け出せないのですが、そういう傾向があるということを心に留めて来月の活動も考えたいと思います。



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