エゴン・シーレ展に行ってきた感想
2023年2月21日(火)、私は友人と上野の東京都美術館で開催されている、エゴン・シーレ展に行ってきた。
①エゴンシーレと私
展覧会の感想を書く前に、エゴン・シーレの絵に対する思いというか、どういう経緯でエゴンシーレ展に行こうと思ったのか書いてみようと思う。
恐らく、私が一番最初にエゴン・シーレの絵を見たのは、高校生のころ。恐らく、と書いたのは、私が高校生の時に見たそれがエゴン・シーレなのか記憶していないから。中高校時代はイギリスで過ごした。イギリスの美術館に美術の授業で行ったことがあった。その際に、局部の描かれた過激な人物のドローイングを見た記憶がある。当時の私は、エゴン・シーレに関わらず、美術作品を見ることに抵抗があった。絵を描くのが好きでも、見るのが好きになれない。裸婦画の前では、恥ずかしくて緊張してしまう、そんな少女だった。そんな私だから、勿論、過激な人物のドローイングを目の前に、目を当てるのも恥ずかしく、絵の目の前に立って眺めることも許されないような気がして、素通りした。だからはっきりとあの時の絵がエゴンシーレの絵かは分からない。分からないけれど、ササっと素通りしてあまり見ないようにしていた、この記憶がすごく残っている。
それから、何年か時が経って、大学生になった。大学2〜3年生の頃に五木寛之の本をよく読んでいた。タイトルに惹かれて、五木寛之の「哀しみの女」という小説を読んだ。この本ではエゴン・シーレの絵とストーリーが絡み合う。エゴン・シーレのモデルであり、恋人だった女性。シーレは結局その女性とは別の人と結婚した。哀しい女性。その女性がモデルになった絵の運命に引き寄せられる主人公。この本を読んで、エゴン・シーレという名前がようやく私の頭の中に記憶されたように思う。
それから更に2年が経った。2021年の夏頃。私は、異常な自傷衝動に悩まされる日々を送る。その時に、過激な絵が見たくなり、エゴン・シーレのことが思い浮かんだ。これまでに書いた記憶が繋がったように、エゴン・シーレの画集をKindleでダウンロードして見た。シーレの絵を見ると、自傷衝動や焦燥感が和らいだ。自らを傷つけなくても、シーレの絵を見ると気持ちが落ち着いた。シーレの絵は私が私を切りつける代わりに、私の身体を切りつけてくれた。気がおかしくなりそうなくらい、毎日毎時間自傷衝動に襲われて、つらくて仕方がなかった。そんな日々を和らげてくれたシーレの絵は、私にとって大事な存在にならないはずがなかった。
それからまた時が経って、2022年、エゴン・シーレ展が開催されることを知った。絶対に観に行こうと心に決めた。そういう流れの中で、今回の展覧会は、待ちに待った展覧会だった。
②エゴン・シーレ展の感想
実物を見られる、ずっと楽しみで、美術館に到着してから展覧会会場に行くまでの間、少し緊張した。裏切られたらどうしようという不安ももしかしたらあったのかもしれない。今振り返るとそうだ。実物を見ても、シーレの絵が大事なままであってほしいと願っていた。期待半分不安半分というやつだ。
実際見てみると、期待通り、いや期待以上にシーレの本物の絵は凄かった。シーレの絵の前に立つと、吸い込まれるようで、ずーっと見てしまう。平日なのに会場は混雑していて、絵を見る環境としては万全とは言い切れない状態だった。しかし、そんな雑念ももみ消してしまうくらいに、絵が私1人に向かって迫ってくるみたいだった。人混みがどうとか、線がどうとか、色使いがどうとか、構図がどうとか、そんなことは意識されなかった。写実画じゃないリアルさ、リアルな何者かが確実に私に襲いかかっていた。著しく何かが現れているのを感じたというか、なんというか。
それから、シーレの絵を見る時に、自分の呼吸を強く感じた。息が荒かったのではなく、自分が呼吸していること、それが凄く強く意識に上った。それでいて、作品を見るのを邪魔しなかった。息を吐いて、吸い込むたびに、何かが溢れてくるようだった。エゴン・シーレの絵は、私の身体にも訴えかけてくるようだった。絵からリアルな者を読み取るだけではなくて、自分の身体もリアルに感じられた。それは、私にとって深い救いだった。エゴン・シーレの絵を見て凄く救われた気持ちで、涙が流れてきた。
エロじゃなかった。まだ少女だった頃の私には、エロに見えたけれど、今の私には違うように見えた。目に見える形としては性的であるけども、性的な表現を通して、その奥に湧き上がるようなリアルを感じ取った。これからもちょこちょこ美術館には足を運ぶと思うし、この先も色々な画家の色々な作品を見ると思う。それでもこの日の、エゴンシーレと対面した事はこれから何度も思い出すと思う。とても瑞々しい展覧会だった。とても大事な経験ができた。
シーレ以外の作品展示も多く、シーレの作品数は限られているけれど、それでも私にとっては十分な見応えだった。私のこんな個人的な感想を読んで行きたい気持ちを刺激することはほぼあり得ない事かもしれないけれど、気になった人は行ってみて欲しい。