小さな曾孫たちの寄り添い


父との時間の1ページ


医師に「開頭することで腫瘍を取れたとしても
目が覚めた時に認知できない可能性もある。」


そう説明された父は
「治療はなにもしたくない、家に帰りたい。」

そう話し、ここからケアマネさんや訪問看護
訪問してくれる医師と、たくさんの方の
サポートをいただきながらの在宅介護が
始まりました。



病院に居ては
曾孫たちに会うことができないのです。

スマホでの画面越しの面会しかできない

画面越しではなく、会って
その小さな手に触れていたかったのです。


医大へ向かう途中のスーパー駐車場でのひととき


在宅となり、あっという間に
会話が聞き取りづらくなりました。
早かった…


小5の曾孫は学校が休みの時には
父の家に行き、話しをする時には

必ず、手を擦りながらおしゃべりし
寄り添ってきました。
(この時点で父の発する言葉は誰にも
聞き取ることができないほど落ちていました。)


2歳になったばかりの小さな曾孫も
寝ていると察するとベッドへは近づかず
起きたな、と思えば駆け寄り、手をツンツン
「じーちゃーん」と声をかける。



最後まで握るという行為ができたことで
(不思議とこれだけはできたのです。)

一方的ではなく
互いのぬくもり、互いの力を感じながら
触れあうことができたのです。



母はいつだって「父の気持ちを優先に」と
言い続けてきましたが
結果的になんだかんだと言っては大騒ぎし

私自身も少しでも父が気持ちよくとか
キツさや不快を感じないようにとか
考えたりしたこともありましたが


本当の意味で
寄り添うを体現していたのは
小さな曾孫たちでした。


その姿に教えられました。


そんなわけで、私のなかで
あーそうか、家に帰れた時点で
父の希望は叶えられているんだ。

今はもうなにか、ではなくていいんだ、と。



家で最後を迎えたい
曾孫と会いたい

それが叶えられた父は
最高に幸せ者だったのです。



私の備忘録のような書き込みを
最後まで読んでくださり
ありがとうございました🍀

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