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眩しすぎる夏の自転車

  2018年、夏。自転車のハンドルを握りしめ、坂を上る。見上げれば、あと5分、10分で頂上に辿り着く。でも、そのたった数分、数十分の間には額に汗が滴り、さわやかな風が湿ったブラウスの間をくぐり抜けていく。隣をすがすがしい顔で電動自転車に乗った男子大学生が通り、10秒後には背後から忍び寄る大学行きのバスが走る。幾度も何者かによって追い越され、どこか虚しさを抱えながら、重い足取りで私は坂を上り、校舎へと目指す。頬がこれでもかというくらい熱い。もしも今地面に横たわって、倒れてしまったら誰かが助けてくれやしないか…とありえそうでありえないことを考えながらも、それでも前に進む。進む。

 校舎は階段を上って、さらに10メートル歩いた先にある。「やっと見えた…」何度この坂を上っても辿り着いたときに思うことはいつも同じだった。

 汗で濡れた大きめのハンカチを握りしめ、冷えたお茶を一口飲み、講義室へと向かう。教室の中には100人を超える学生。教室に一歩踏み出せば、人込みのむわっとした空気と昼食の匂いが混ざった異様な風が私を出迎える。「これが、大学というもの…?」と怪訝な顔で席に着く。

 取り合えず着いた席の隣にはロングヘアの女子大生がパンを頬張っている。ショートカットの私は、暑くないのか?と思わず口にしたくなるほど、その長い髪を下ろし、平然とした装いで背をまっすぐ伸ばしている。そのまた隣には、タオルをうちわ代わりに扇ぎながら友人と語る男子大学生。斜め向かいには、スマホとにらめっこしたままの数名の男女。それぞれが、それぞれの時間を過ごして、ここでの夏を味わっているような。そんな気持ちで周りを見渡す。

  「ああ、私はこの子たちよりも先に年を取っているんだった」

  そうだ、私は編入生としてこの大学に入ったのだった。そっと静かに我に返る。きっと、この周りに座っている100人ほどの学生は私が年上だなんて気づいていないし、そもそも気にもかけていない。一人そう解釈しながら、リュックからテキストとペンケースを取り出す。

  知らない町で、知らない人に囲まれて、知らない坂を汗をかきながら登る。誰と、この思いを分かち合えるんだろう。

 去年は、楽しかったな。帰り道、一人胸の中で小さな涙が流れる。ぽたり、ぽたりと雫が零れ落ちる。そんな思いを抱え風をきって坂を下る。帰り道の地下鉄のアナウンスが少し切ない。

 知らない音、知らない道が体に馴染むまで、お気に入りの曲を何度も聞いて安心させた。明日も、早く起きなければ。そういって、ベッドで目を閉じる。数年後、恋焦がれるほど戻りたくなる日々へと変わることを知らずに。

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