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ゆらり、ふらりと降ってくるものを何かに包みたい。詩、ときどきエッセイ。一粒のエッセンス…

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ゆらり、ふらりと降ってくるものを何かに包みたい。詩、ときどきエッセイ。一粒のエッセンスをぽつり。

最近の記事

ぬくもりのコップ

会いたいから愛おしい そうじゃなくて 愛おしいから会いたいんだってさ 会ってもいいかな そりゃそうか だめって言わないよね その日のぬくもりにふたをして またそのぬくもりのコップを開けて  何度でも味わえるように 保存できたらな そんなこと誰にも言えないけど あなたになら言ってもいいかな

    • 好きだったひと

      好きだった もう始まってる毎日の中で 歩いている日に花を添えてくれたように そっとなでてくれた風がやさしい もうその風は 次の誰かを吹く 並木道の間 交差点の左側を 雨に濡れた傘の下で あなたを待つ日 会いに行くことを願った日 すべてがこの手で覚えている

      • 星の夢の中

        きらりと輝く星が そのほんの一瞬の 目に見えたか見えないくらいの 細い道をゆくのだ 見たことない夢を辿っていると 星はいう 星の夢を追って 私は星の中で眠る

        • 世界からの招待状

          どこから行けばいいのか 誰と会えばいいのか そんなこと知っているはずでも 誰かに誘われて 手を引いてもらって やっと訪れたい場所がある 心の湖に行くあなたを見ていると なんだかぼくも そこに連れて行ってもらいたくなるから ぼくは息をふかく吸って 次の汽車から世界に向かって手を振るのさ

        ぬくもりのコップ

          朝の水

          甘さと苦さの中間で あなたは踊る めまぐるしい息の味が 頬を緩やかに撫でる 今はどこにいても ひとりに感じる夜が切ない でもそれがいいと あの子は言うから 私もそうだとうなづく 夕べの水が流れていくのが 冷たい朝

          ぼくらの詩

          空が青いと教えてくれた人も 細い道を歩くことを教えてくれた本も 全部ぜんぶ 月に祈ったあの日に届きそう 振り返って 戻っても 届かない手紙は いつの日か 涙で濡れた枕の隣に 置いてある気がする

          ぼくらの詩

          実っている果実

           五月に幼なじみと会って、自分たちの将来を語り合った。いわゆる将来の夢を。将来の夢というと、小さな子どもが「将来はケーキ屋さんになりたい」とか「Youtuberになりたい」とかを話すことと考える人が多いのではないだろうか。しかし、私たちはそれよりちょっと(いや、もっと?)大人びた(いや、成熟した?)20代が真剣に、時にキラキラした(いや、ギラギラした?)目であーでもないこーでもないと自らの夢を語り合うことを意味している。  二人のやりたいことは似通っていて、でもちょっと違って

          実っている果実

          歩く音は

          歩く音は 呼吸する ふーっと息を吐いたら 進む鼓動、夢、昨日のことば 加速するほどに 届きそうで届かない手が触れる 君の頬 さする背中 押し出すように 送る声 何かをさわやかに抜けていく ぼくは歩く音 背の高い音を超えて

          歩く音は

          向き合って

           凍えた体に温かいミルク。ほのかに甘いチョコレートを一つ入れるとそこには、やさしさに包まれた小さなな幸せが宿る。12月の、寒い時期だからこそ味わえるひととき。今年も、冬が来た。2021年のカレンダーはあと一枚。2022年の足音が聞こえる。  今年の春先から夏まではとにかく前に進んでいた。というより、前に進まなければ生きた心地がしなかった。それは達成すべき目標があったから。つかみ取るために、とにかく必死だった。時折、あきらめそうになる気持ちを抑えて、明るい方へと走った。途中、

          向き合って

          狭いようで広い

           ここのところ1週間、なんだか日中に眠気を感じたり、「何もしたくない… でも何かはしないと…」という思いに駆らている。どうも夏バテとも言い難い。一番つらいのはなぜか悲しくってやりきれないことだ。その理由は恐らく、ホルモンバランスの乱れや環境の変化によるものだろう(と思っている)。理由が分かっているから対処法はある。けれど、どうにかなりそうでならなそうな時もこれまたしんどいのである。  さて、私の性格というと、思ったことは基本的に口にする方だ。映画を観て悲しくなればTwitt

          狭いようで広い

          ゆめ

           この前見た夢と同じ夢を見た。見覚えのある景色を脳はこれでもかというくらい鮮明に覚えていた。いつ見たのかは覚えていない。けれど、ストーリが、完全に一致していた。怖くなって私は近くに置いてあったスマートフォンを開き、すぐさまラジオを聞いた。いつも聞いているラジオから流れる声。それに安心してまたひと眠りした。  さて、このところ私は読書をしたり、映画を観ることからどんどん遠ざかり、気付けば私の体から言葉がひらひらと離れていくのを感じていた。必要最低限度の言葉で埋め尽くされたこの

          霞む空にも

           「元気ですか。この声、聞こえますか。今、どこで何をしていますか。」 振り返ると、ここ1年ほど会いたい人に会えていない状況が続いている。私のみならず、日本中、いや世界中の多くの人がそうである。会えなくても、電話やSNSでコミュニケーションを取って人と繋がったり、心を通わすことはできる。でも、相手から醸し出る雰囲気を存分に感じることはきっとできない。一緒に何かを取り組んで共に生きている感覚もあまりない。静けさの中で黙々と目の前のことに向かうことしかできないと途方に暮れる日もあ

          霞む空にも

          遠くから見守る花

           言葉にならない思いを抱えている。隣にいたあの人も、スーパーでレジに並ぶあの人も。きっと、抱えている。今日はそんな言葉にならない思いを言葉にしたくなったので書いてみようと思う。  ここ数か月、言いたいことがあるけれど言語化したいと思えなかったり、誰に話せば心が楽になるのかわからず、体の奥にずっと言葉が眠っている。すやすやと寝息を立てて眠っている言葉はそのまま寝かせておけばいいわけだが、起きたり眠ったりと落ち着かない言葉に対しては何等かの処置が必要だ。例えば、人に気を遣ったと

          遠くから見守る花

          はなればなれ

          「もうここで降りるね」 そう言って一人改札口を抜けて、明日の朝ごはんをスーパーに買いに行く。頬に当たる風が冷たい。首筋にほんのりとまとわりつく春の夜風はいつぶりだろう。春って、こんなに近くにいたんだ。そんなことを考えながら、買い物かごをもって店内を歩く。「夕べ見た夢、現実ならいいのにな」ありえもしないことを一人考えて、一つだけ売れ残った半額のコロッケを手に取る。「明日は健康診断なのに、この時間からコロッケはだめかな。」と結局コロッケを戻す。さよなら、コロッケ。  「ゆうち

          はなればなれ

          波と風

           息を吸う。息を吐く。声を出して笑う。声を出して泣く。どれもこれも人間らしさに溢れた、欠かせないもの。そんなもので溢れた世界に今日もぽつんと生きている。  この頃、文章を書いたり本を読む頻度が以前よりも多くなり、少しずつ柔らかいものに触れながら生きている感覚がある。どうしても必要だからという直感に身を委ね、本を手に取り、文字を貪り食べた。食べれば食べるほど満腹になるが、消化の良いものが多かったため、すぐ空腹になった。すると、また別の本に手がいき、むしゃむしゃと気にせず食べた

          波と風

          あまくてにがいもの

           立ち寄ったのは駅の中にあるコンビニ。「いらっしゃいませ」と一声かけられてから今日は誰とも話していなかったことを思い知る。いつものように低カロリーの飲み物とお菓子を取る。限定商品とは無縁だ。レジの前には帰りを急ぐサラリーマン、塾に行く前であろう高校生がずらりと並んでいる。レジを待つ間、多くの人は暇さえあれば、スマートフォンの画面越しに誰かと交わって、見知らぬ誰かに同情し、ひそかに胸の奥でコメントをつぶやく。あまりに見慣れたその光景に目を瞑ったその瞬間、私は遠くで名前を呼ばれた

          あまくてにがいもの