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母の日にも最適!「アフリカの花屋 AFRIKA ROSE」を展開する、萩生田愛氏について(2)

こんばんは。
前回に続き、今日は AFRIKA ROSE 代表の萩生田愛さんについて、ご紹介します。
(前回の記事はこちらを参照)

幼少期は引っ込み思案で人見知り?!

ケニアで見たバラに感動して起業してしまうくらいなので、
きっと萩生田さんは昔から飛び抜けた行動力・実行力のある人だったのでは?と思う方が多いのではないでしょうか。

私もそう思っていたのですが、調べてみると、意外にも、幼少期はとても内気なタイプだったようです。
友達が欲しいのに「仲間に入れて」という一言が言えなかったり、
授業中に「教科書を読んで」と先生に言われても、恥ずかしくて読めない、なんてこともあったとか。
私も人見知りが激しかったので、とても共感してしまいました。

転機は、高校時代のオーストラリアへの交換留学

そんな萩生田さんが変わるきっかけは、高校時代のオーストラリアでの留学経験だそうです。
私自身も小学校時代をアメリカで過ごした経験があるので、この感覚はものすごくよくわかるのですが、海外に行くと、言語の問題はもちろん、そもそも自己主張しないと伝わらないことが多いのです。
萩生田さんも、なんとかして伝えたい、と必死に現地の方とコミュニケーションをとった経験が、それまでのご自身の殻を大きく破ることに繋がったそうです。

その経験を元に、高校卒業後はアメリカの大学に進学し、国際関係学を専攻された萩生田さん。
そこでアフリカの貧困問題に触れたことが、AFRIKA ROSE 起業に至る第一歩のようです。

安定した職を手放した先にあるものは?

大学を卒業後、萩生田さんは大手製薬会社に就職されました。
「いつかはアフリカに行ってみたい」という想いを押し込めた状態での会社員生活。
それから7年の時を経て、会社でアフリカ関連プロジェクトに携わったことによりアフリカへの想いが再燃し、29歳の萩生田さんは退職を決意。
いざアフリカ、ケニアへと飛び出したそうです。

それにしても、この29歳での決断・・・
すごいと思いませんか?!

私も20歳の時に一大決心して、アフリカでのボランティアに参加した経験があったので、その時の心境を思い出してみても、本当にすごいなと感じました。
女性として、30代目前で結婚や出産の計画も気になってくる時期に、
大手企業での会社員としての収入や地位、全てを捨てて日本を飛び出す決意が私にできるかな?と思うと、ちょっと考えてしまいます。

全くの未経験から始まった、AFRIKA ROSE

ようやく到達したアフリカの土地、ケニアで、萩生田さんは美しいバラに出会いました。
そのあまりの美しさに感動し、それを日本に届けたい一心で始まった「AFRIKA ROSE」。

特に周囲に起業経験のある方がいたわけでもなく、
花屋という職業も全く知らないまま、萩生田さんは個人事業主としてAFRIKA ROSE を始める決意をしました。
最初の3年間は自己資金でビジネスを回すしかなく、ご自身の給料も払えない、苦しい日々が続いたそうです。
その時の様子を振り返った萩生田さんの想いを知ると、本当に苦しい時期を乗り越えてこそ、今の華やかな姿があるんだなと実感します。

バラという素敵で華やかなものを扱っている以上、収入はなくてもつらい表情はできません。ハクチョウのように水の上では優雅に見せつつ、水面下ではもがくように一生懸命こいでこいで…この時期が一番つらかったですね。
【特集】 アフリカの花屋・萩生田愛さんインタビュー

「より幸せな人を増やす」という軸をもとに

苦しい時期を乗り越えた今、萩生田さんはこの AFRIKA ROSE を通じて「より幸せな人を増やす」ということを実現しています。

「日本人に心の豊かさを届け、アフリカに雇用を創出する。」
という理念をもとに、AFRIKA  ROSE で様々な人が輝く場所を創出している萩生田さん。
たくさんの応援者に支えられながら、
2019年4月11日は第二号店である六本木ヒルズ店をオープンされるまでに至っているのは、本当に素晴らしいことだと思います。

昨年には、元気な男の子もご出産されたそうで、女性としての幸せも実現されている姿は、本当に憧れます。

私がこの萩生田さんから学んだことは、
誰かを幸せにしよう、輝かせようと願うのであれば、
誰よりもまず自分が幸せに、輝くこと
です。

私もまずは自分の幸せを追求しながらも、
色々調べてますます大好きになってしまった AFRIKA ROSE にて
バラを購入し、大好きな人にプレゼントしたいと思います。

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