よくないけれど、やめるつもりもないこと。

僕は予定を立てずに外出することが苦手だ。理由はとても単純で、心配だから。原因は単純でも心は複雑なもので、ふらっと外に出て有意義な時間になっていた、という経験はほとんどない。もしかしたら、まったくないと言い切ってしまえるかもしれない。そんな心境も手伝って、時間前行動の類に関しては結構自信を持っている。けれど、目的が終わったあとは自分でも驚くくらいには何もできないことが多い。あまり来ない場所だから折角なら少し見て回ろうかな、という気持ちになることはあまりない。何かあったら嫌だから、そそくさと帰宅することがほぼ毎回といったところだ。

ただ、そんな僕にも例外はある。僕の“予定外の常連”は、書店だ。いつも立ち寄ってから「あ、また寄ってるな」と思う。僕自身も、書店に立ち寄ること自体には特段何か思っているわけではないし、誰かに何かを言われたとしても、これも何も思わない。
けれど、よくない点もある。「あ、また寄ってるな」と思ってから、すぐにそこを立ち去れないことがまずひとつ。そして、多分これが原因の一翼を担った結果なのだけれど、何かしら本を買っていることだ。これは僕の中で良くないことに入る。誰かに何を言われたとしても、これは僕の中でよくないことだ。

というわけで、今日もよくない癖が発揮されていたようである。
本を買いに行こう、と思って外を歩いて、本を買って帰ってくるのとはこれは根っこの部分で話が違っていて、これらは基本意図していない買い物になる。結構無意識に寄り添っている行動だから、数日後に買い物に出かけたときに想定よりも手元にあるお金が少なくて首を傾げることもあったりする。そのときになって、「あ、買ったな」という自覚がでてきたりもする。
このほかにも、予定していないまま買って、すぐ読まずにあたためているおかげで、いざ本当に本を買うことを目的として出かけたときに「あれ、これ買ったかな」となることも多い。意識外のときと意識しているときの僕には「読みたい本だ」という共通の思いだけがあって、すでにその思いを遂げたのか、今から遂げるのかわかっていないときがある。これは結構個人的に困ることで、後々になって手間がかかることになる。ただ幸いなのは、すでに書いたように僕が心配性であるということで、「もう買ってたのか」となることは滅多にない。買っていたら無駄な出費になるなぁという思いが先行して、まあ持ってないだろうという思いがしっかり自重してくれるおかげで、同じ本を複数回買うことはほぼない。昔、一回だけ同じものを買った。

ここまでこういったように書いてきたけれど、僕はこの自分を矯正しようなんてことは少しも思っていない。これを繰り返すことでも困るのは僕の中の一部分だけで、僕を知る誰かにも、知らない誰かにも支障が出るわけではないから、このままでいいと思っている。それに多分、やめてもやめられないんだと思う。「やめよう」と思ってもきっとすぐ同じことを繰り返して、その度に同じことを思って、思いの使い方を学んで、このままにしておくはずだ。
結局のところ、どこまでいっても僕という人間は本の形をしたものから離れられないんだろう。

長々と書いてきてしまったところで、一応今回買ってきた本たちについても触れておくことにしよう。
まずはディックの作品をいくつか。どこかのタイミングで買おうと思ってはいたので、おそらくちょうど良かったんだろう。日常からの変化、感覚が変わっていく時の強烈な衝撃、信頼できない語り手など、ディックの本は僕が好きな要素が結構な頻度で顔を出してくれるから好きだ。黒地に色文字のカバーは、『電気羊』と合わせて、僕の本棚が色の使い方を覚えた子供みたいになって微笑ましい。
そして、久作の短編集をひとつ。それなりに探していて、ようやく会えた感覚だ。
今はもう使うことはなくなってしまったけれど、久作の名前を捩って創作に取り組んでいたこともある程度には、僕は夢野久作という作家が好きなのだけれど、それは置いておこう。

このような本との出会い方をそれなりに経験することもあって、読んでいない本、いわゆる積読してある本が多いので、はやいところ触れておきたい。
いつになるかわからないけれど、今日の本たちに改めて触れる日を楽しみにしておいたところで、終わっておこう。

それではまた、次の自分へ。

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