両片想いの楽譜と出すつもりはないハイトーン。

どうも。よわのあきです。
何日かぶりに書いているわけですが、書くことをやめたわけではなくて、単純に日を空けているだけである。そもそも気が向いたときに文章を残していくという名目で始めているわけなので、何ら問題はない。書くことはあくまで個人的な娯楽の端くれなので、娯楽や趣味の類が義務になってしまうと、僕は一気にやる気を持っていかれてしまって、2度とその気を起こさなくなりがちなので、日が空いた方が好都合まである、というわけだ。

さていきなりだけれど、僕は恋が嫌いである。嫌いというより、苦手や不得手といったほうがもっと近しいけれど。前提として、よわのあきという人間は他人に対しての興味があまりないので、他の人がどう感じようと何を考えていようと、さほど興味関心は抱かない。自分になにかしら不利益がありそうなときはさすがに心も動くけれど、あくまでそれはマイナス面に振られることが多い。
そんなわけで「恋」という、どちらかといえばプラスの面に働きがちであろうものは苦手なのである。

ではそんな僕が一切恋をしたことがないのかと言われると、そんなことはない。感情という面のほかに、僕が恋を苦手とする理由があるのだけれど、それは関係性の変化だ。恋をして、今までの関係ではいられなくなるのももちろん嫌なのだけれど、恋というものは残念なことに永遠ではない。もしそのあとに別れが待っていたら、僕はもう立ち上がれないだろう。

そんなわけで本題というべきことなのだけれど、恋愛に関わっていくのであればやはり両片想いに限るのである。珍しく他者に対して感じる良い気持ちであるし、形容できないような面白さすら感じることもある。多くの人たちに囲まれながらも、自分と相手にしか流れない何かがある。そんなものを感じられる気がしているので、どこか嬉しくなる両片想いは面白いのだ。ただの片想いであると、面白さよりも苦しさが勝つと思っているのだけれど、別に共感はほしくない。反対意見も同様にいらない。相手もこちらを想い、こちらもまたそうであることを無言のまま了承しあえている感覚は、指折りで特別的なものだろうと感じる。お互いの感情が予定調和のようになぞられていって、次第に高まるようなものだと考えているので、とてもいい。本来というか、僕以外の人であれば、好きだと叫ぶべき箇所も、僕は意図して無視できる。無視しなければいけない。叫んでしまったら流れていた音は壊れてしまって、戻らなくなってしまう可能性を大きく持っているから。

突然ふと昔の気持ちを思い出したので、こうして書き起こしてみたわけだけれど、苦手なものを書くのはやはりなかなかどうして大変だった。
これから先、僕はもう人間同士の感情に身を置きたくないのだけれど、きっとそうもいかないだろう。
そうなってしまったらまたこの気持ちを思い起こそう。そうならないことを祈りながら、また、次の自分へ。

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