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Showing Up ー現れるー

A writing by Tommy Thompson

アレクサンダーテクニーク教師トミー・トンプソン氏が2007年に書かれた『Showing Up』(同氏のウェブサイト、easyofbeing.com掲載記事)をご本人の許可を得て翻訳・転載しています。
〈目次〉
1.翻訳版
2.原文(英語)
3.翻訳後記:体験と言葉について――「はてな?」の効用
  ※画像・文章いずれも無断転載はご遠慮ください
これはアメリカンレパートリーシアター付属高等演劇研究所にて、クラスに臨む前の準備をどうとらえるかの指針として、クラスのはじめに俳優たちに出されたものです。
Instructions given at the beginning of each class to the actors in the Advanced Institute for Theater Training at The American Repertory Theater about how they might look at preparing to ready themselves for class.

現れる

(変化のプロセスのなかで、自分自身でいる自分と出会うための1つの道)

自分にこう聞いてみる……

今朝私は、自分が誰なのかに確信をもって、自分の知識・洞察・理解に
満足し安住しきって、ここに現れたろうか?

それとも……自分の習慣的思考を脱ぎ捨てようと、

全方向に開けた水平線を携え、これまで考えてみたこともないことや
感じたりわかったりできると思っていなかったことを書き込むべく
心と頭をまっさらにして、
必ずや訪れる体験によって自分を知らされ
自分を定義し直されることを自分に許しつつ、ここに現れたろうか?

変化が現実となるには、
私が真実だとみなしていることと、

真実が私に差し出すこととのあいだで
緊張が高まりきるあの瞬間を体験し、
その瞬間に、つかまっていなくてはと感じるすべてから手を離し、
融け合い、混ざり合って、落ちていき
表れてくる瞬間の中に完全に入っていく必要がある。

私にとって、
変化が起こるのは、ものごとを真にありのままに
もしくは今見えているままに、見るときであって、
こうあってもらわなくては、と見るときではない。

そして見えたものに自分が動かされるままにする、
すると私は変えられている。

そして私はなる、
この男になり
この女になる。

そして次に会う人に自分を紹介するときには、
かつての自分ではなく
こうなった自分を紹介する。
こうなった自分こそが今の自分だから。
私は今ここにいる

とにかく、今はそうだ、

また全方向に開けた水平線を携えて
まっさらでいることを切望しつつ、ここに現れるまでは

マサチューセッツ州ケンブリッジにて トミー・トンプソン©2007
翻訳・松代尚子©2018-2020

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Showing Up

(a way of meeting yourself being yourself in the process of change)

I ask myself this question…

Have I shown up this morning certain of who I am, fully satisfied and comfortable in my knowledge, insight and understanding?

OR…to divest myself of habitual thinking,

Have I shown up with horizon all around, my heart and mind a
blank page to write that which I have never thought,
or anticipated I could perceive or understand,
allowing myself to be informed by,
and redefined by my experiences I will surely have.

For change to actualize,
I need to experience that moment of highest tension
between what I hold to be true,

and what truth holds for me
and at that moment, let go of all I feel the need to hold onto,
and merge, meld, fall
and enter completely into the moment surfacing.

For me,
Change takes place when I see things for what they truly are,
or seem to be,
and not what I need for them to be.

then I let myself be moved by what I see,
and I am changed.

And I become the man,
and I become the woman
I become.

And, when I introduce myself to the next person I meet,
I will introduce myself to them, who I have become
and not who I used to be.
For who I have become is now who I am.
I am present

For now, anyway,

Until I show up again with horizon all around,
eager for the blank page

© Tommy Thompson, Cambridge, MA 2007

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∞翻訳後記∞
体験と言葉について――「はてな?」の効用

トミーに最初に会ったのは、15年近く前、今のパートナーに誘われてボストンの彼のアレクサンダーテクニークの学校を訪ねたときでした。たしか1週間ほどクラスに混ぜてもらいましたが、私はあまり学べるような精神状態になく、みんながかばんを置いていた控えの間でひとりで横になっていたり、クラスをさぼって近くのカフェでひとりでお茶を飲んだりしていたときが多かったことを思い出します(こんなワークをやった、というのも具体的に覚えてはいるのですが)。トミーが教えようとしてくださっていたことを拒絶していたわけではなく、場への自分の反応をどうしようもできなかった。そしてトミーには、会ったばかりの人だというのになぜか、自分にとってアレクサンダーテクニークの学びの始まりが身近な人の突然死と関わっていたことを話し、だからどうしても難しさがあるようなんです、と伝えていました。どうしてあんなことをいきなり伝えたのか、今も不思議ではあります……。

トミーはその後定期的に来日して教えてくださるようになり、クラスの通訳をさせていただきながら時間を共にするようになりました。いつもトミーの独特の言い回しや語りを、その場で瞬時に、ごまかさずに訳す、というチャレンジに直面しつつ、何度も繰り返し伝えられることがらを、ほんとうに少しずつ、みなさんと一緒に学ばせていただいてきています。トミーの通訳をしていていつも感じるのは、トミーが話すことがらは、抽象的に(喩え話のように)聞こえるときでさえ、実体験に根差している、ということでした。言葉のうしろに必ず実体験があるんだ、と何度もハッとしたことがあります。その〈実〉の部分をちゃんと訳せていない自分がもどかしいけれど、その体験をしていない自分が訳すわけなのだから、当然です。

長く通訳・翻訳を仕事にしてコミュニケーションのお手伝いをさせていただいてきて、他者の言葉を一人称で発することの責任を感じてきました。できるだけご本人の想うところを汲んで訳したい、と常に思ってきましたが、そこはどうがんばっても、限界があります。字面をそろえることならできるかもしれませんが、訳は、字面がそろえればいいだけのものではありません。

言葉を自分が発する場合は、体験が先にあって、言葉があとにある――そうでないとおかしなことになります。でも通訳・翻訳を仕事にしてきて、体験していない言葉を大量に発してきた自分に、そのことの重大さに、つい最近気づかせてもらえました。

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Showing Up ー現れるー

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