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夜見る夢が、だんだん育っていっているお話

コロナの時代になって自室からオンライン通訳の仕事をすることが増えたせいなのか、「自分の家や部屋に他者が入ってくる」ことがテーマになっている夢をずっと続けて見ています。

夢の中の自室は、昔住んでた家だったり、寮の一室だったり、夢の中で引っ越した先の家だったり、旅先で泊まる場所だったりいろいろ。

いずれにしても、他者が勝手に入ってきていて、そのために不安やストレスにさいなまれていました。

「ドアに内側から鍵をかけたけど、ドアの手前のスペースが共有スペースとつながっていたから鍵かけても意味がなかった」

とか。

「部屋で自分のふとんをめくったら知らないおじさんが寝ていた」

とか。

おもしろいことに、目覚めているときの日常の私には、別にこんなテーマで悩んでいるという自覚はゼロでした。

だのに、こんなに同じテーマの夢を長々と見続けるのは初めてで。興味を惹かれてしばらく観察していると、少しずつ夢の中のニュアンスが変化していったり、設定にバリエーションが出てきました。

どうやら夜見る夢も、自然と育つみたいです、植物みたいに。

見始めた当初の「侵入されてしまっていてどうしようもなくストレス」という感じが、徐々に「侵入されているけど、了解している」感じになっていったり……

「家に親戚一家が居候していて、リビングでみんながくつろいで私が買ってきたいちごを食べている。それを廊下から見て、気づかれないように自室に戻る。本当はいちごを自分ももう少し食べたかったけど、みんなに食べてもらいたくて買ってきたのも本当だったからこれでいいんだと思っている」

自分の空間にいる他者が、気配だけになっていた」というのもありました。

「引っ越した先の家には前に住んでた人が使ってた家具がそのままある。古いけどそれほど悪い感じはしない」
「長期滞在することになった旅先の部屋は、最大5人が泊まる部屋。だけど今のところは相方と自分だけ」

でもやっぱり、了解はしていてもどこか「がまんしている」のは続いていて。

「旅先の部屋のクローゼットの自分用のセクションを相方に占拠されて、仕方なく自分はキッチンの椅子の背に服をかけている」

興味深く思ってたのだけど、先日はまた別のバリエーションが出てきました。

自分の部屋に人は入ってこれそうもない、だけど自分にとっても自室への出入りがとてもチャレンジ」というもの。

「旅先の宿について、荷物を置いて、まず手ぶらで自分の部屋に案内される。建物が入り組んで連結されている別棟にぽつんとある部屋で、そこにたどり着くには外壁の高いところにある細いでっぱり部分を壁づたいに通っていかなくてはいけない。案内係についていってそこを通りながら、”ここは荷物を持っては通れないな、どうしよう””夜中トイレに行きたくなったときもここを通るのか、大変だなあ”と思っている」

このとき目覚めてから夢を振り返り、物理的に誰も入ってこれないような部屋はとても安心だけど、隔絶されていると不便になるなあ、と納得しまた。

この夢を見てから、毎日続いていた「自分の空間に他者が入ってくるシリーズ」の夢は、いったん止まりました。夢として、ひとつの結論に至ったんだろか?

■閉じていたいけど開いていたい

毎日このテーマの夢を見るのが不思議でならなかったのを、家族に話したとき、ふっと気づいたことがありました。

てっきり、zoomでのオンライン通訳仕事の日々のせいで、生活空間に他者が入ってきている感じがうっすらストレスだったのかと思っていたけれど、もしかすると一連の夢は、もうひとつの仕事として少し前から自宅で始めている、木削りセッションのほうに関わっていたのかもしれない、と。

斧やナイフで生木の丸太や枝を割ったり削ったりしてものづくりをするグリーンウッドワークという木工を体験していただける場を開いているのですが、鋭利な刃物を使いつつ自宅でひとりで対応する関係で、そして自分が女性である関係で、基本的に女性とFTM、MTFの方だけを対象にさせていただいています(ノンバイナリーの方は応相談)。

そうやって来ていただける人を限定することに葛藤がありましたが、自分自身の安心・安全を大事にすることは大事だと考えて、そうしています。

でも、女性か男性か以前に、私は知らない人と長時間関わることが苦手なのです。人が嫌いとかではなく、人はとても好き。でも、よく知らない人と長時間関わるとか大人数と一度に関わるとかはチャレンジなのです。自分がそういう体質だと自覚しているのに、木削りの場を開こうとしていて、自分の中に矛盾が発生しているのでした。

「木削りを人と分かち合いたい」という気持ちと「でもまだ会ったことのない人と会うのは気おくれする」という気持ちが両方あって、木削りセッションの詳細ページは自分のサイトのなるべく目立たない場所に置いたり。

おかげさまでこれまで来てくださった方はほんの一握りで、しかもみなさん、とてもすてきな優しい方ばかりでした。「間口を狭くわかりにくくしておくことで、いらしてくださる方がおのずと厳選される」という予想は今のところ的中している感じです。

なので、このまま行けばいいのかな、と思ってはいるのですが。でもどうしてもこの「扉を半分閉じる」ようなスタイルに対して、残念感を持ってしまう自分もいます。

閉じていたいけど開いていたいという、ややこしい心持ちを持て余しています。夢に現れている、自分の拠点のありようがさだまってない感じは、そこからも来ているのかもしれないです。

■その後の夢の育ち

以上を書いたのは10月前半でした。今は11月の終わり。ふたたび「自分の拠点」がテーマになっている夢を見ているこの頃です。

例えばこんなの。

「相方と暮らしている部屋のベッドの真横に大きな間口があいていて、すぐ向こうは廊下で、廊下の先にはコモンルームみたいな空間があり、そこに黄緑色のキャップをかぶった軍人さんたちが大勢たむろしていた。

なんと我々が暮らしている建物には今までまったく知らなかったけど裏側に別空間が設けられていて、そこは米軍(?)関係者ばかりが暮らしていた!普段われわれが生活しているエリア(自室やキッチンや図書室やコモンルーム)はまったく一般人ばかりで軍事施設との関わりなどみじんも感じられてこなかったけど、なんと壁一枚隔てた向こう側は軍関連施設と化していて、大勢が暮らしてたなんて」

(軍人さんたちは色黒で大柄な人達でしたが、覚えているのはかぶっていたキャップやベレー帽の色が鮮やかな黄緑だったこと。実生活で初めての植樹をしたことと関連していそうな気がしました。彼等は森づくりや植樹を推進する”緑のアーミー”だったのかもしれない。。)

その数日後に見た夢では、少し夢が育っていたような気がしました。

「念願の自分の土地が手に入って、設計士の兄がその土地を見に来てくれている。周りに建物のないこの野原のような土地は、全面的に膝下くらいの高さまで水浸し。ただ水は無色透明なので、一見するとわからないくらい。背広の兄が土地へ足を踏み入れるとバシャバシャッとなった。それでもなんの躊躇もなく兄は土地の奥のほうへと入っていくので、それを見てわたしは”背広が!びしょ濡れだよー!”と焦っていた」

とうとう仮住まいだったり、旅先の宿だったり、寮だったりする場所から、「自分の土地」が手に入るところまで、夢空間が育ってくれたのだけど、水浸しのワケあり空間だったので、今後もう少しすてきな空間に育っていってくれることを祈るばかりです。

といっても、顕在意識の私が何を祈ろうとおかまいなしに、夢空間の現実はそれ自身のことわりにのっとって育つのだろうけれども……。

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