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breathe and breeze #2

文:ハセベチカ/Chika Hasebe
Flowers and Fruits by 林志鵬 a.k.a. No.223
Title designed by Shingo Yamada

林志鹏 aka No.223(以後、223)による写真集『Flowers and Fruits』(2019)では、自然発生的で未分類の223の写真に、珍しく「花と果実」というテーマが投げ込まれた。それらは彼の写真において絶対不可欠な要素である「身体」と絡み合い、時に背景化し、時に重要なアクセントとして取り入れられている。

また、「赤」も本書では見過ごせない重要なカラーだ。それはワインの赤から始まり、花、絨毯、果実、ネイルなどあらゆるところに散りばめられている。赤という存在は生命を想起させる鮮血や身体の内の色であると同時に、場面に情熱やエロティシズムを挿すものでもある。作品の一時性が高められ、状況の繊細さが際立っているのは、赤の作用によるものかもしれない。

一枚一枚の写真を通して感じることは、心の平穏を犯されない程度の不穏さだ。机の端に置かれる水の入った二つのコップや女性の身体の上にかかる4つの手の影。この後起こることが想像できないからこそ、見る人に不安を抱かせる。一方、家庭を想起させる総柄のファブリック、花と果物による色彩の豊かさからか、ひとつとして暗い雰囲気が漂うことはなく、その不安は取るに足らないものであると思わせさえする。

直接的な表現ゆえに、中国社会への挑戦的な態度とその作風について語られることが多い223の作品。同じような議論を擦るくらいなら全然違ったことを書いてみたい。アマチュア時代からネットコミュニティ内で飛び交うあらゆる意見に慣れていたのなら、この傍論についても彼は黙って聞いてくれるのではと期待している。

223は、北京在住の写真家/ライター。2003年に開設したブログ『North Latitude 23』にて日常の写真と短いテキストを投稿していたところ、何百万ものPVを獲得するようになり、中国のネットコミュニティ上で人気を博した。彼の活動は、のちに世界的に活躍する任航にも影響を与えたといわれている。

さて、写真を見て、あなたがこれを日常の切り取りや即興だというならば、なぜモデルたちの表情は決して緩んでいないのか疑問に思わないか?

このように、彼の作品全般また本書においても、全体的に彼が表現しているであろうメッセージと実際に自分が受け取ったものには乖離がありそうだ。

実際にそこで起きている事象や行為を記録しているのではなく、あくまでそれは全てセットで、その中で「身体」は画角の中に収まる小道具の一つ。だからこそ被写体に表情は求められない。たとえ二つの身体が折り重なっていても、アイテムの一部である限り、その間には感情が介入し得ないのだ。


写真を見てかなり違和感を覚えた。それは良い意味でも悪い意味でもなく、ただなんとなく慣れていない感覚だった。漫ろに首を垂れるモデル、無造作に置かれる花と果物、部屋にある柄物アイテムと絡み合うその被写体たちは、当たり前のように無作為の結果を主張する。ただ、そのシーンは必ず誰かによる何かしらの意思がない限り、生まれ得ないのは明らかだ。

被写体が人ならば、わたしたちは見た瞬間にそこに横たわる感情を読み取る。たとえ表面的に表情がなくても、写真の根底にある感情はある程度読み取れるし、もしくは自分で補完しているのかもしれない。だから本書でも無意識的にそれを探したのだろう。でも脳内には”404 Not Found”の検索結果しか出てこなかった。写真には感情が存在していなかった。しかもどちらかというとそれは消されているように見えた。

撮る写真に意図が介在し、そこから感情を消していることに対して批判を投げているのではなく、これは疑問である。中国の若者を鮮明に記録して発信するには、あえて感情の不存在を作り出す必要はないのではないか?

そう考えると、若者のエネルギーや眼差しの強さが重要なのではなく、身体を通して表現される、不透明な行先や常にその瞬間瞬間で生きることにこそ焦点を当てたかったのかもしれないということに気づく。だからこそ、被写体の醸し出す感情が場面に介入することは、余計な要素が足されることになってしまうため排除された。そう考えると合点がいく。

その時々、瞬間を大切にすることは、80后(バーリンホウ)の223ならでは。この世代は中国の経済成長を目の当たりにし、社会の急激な変化の中で常に生きてきた。インターネットが普及し、今までの享受できる範囲だけにあった情報が全てではないことにも気づく。ある意味自由を得た一方で、放り出された世代であるからこそのメッセージに違いない。

摘まれた花、もぎ取られた果実。時が止まったものたちによる鮮やかな赤に、身体のしなりが絡む。ここでは一人の人としてではなく、瞬間という点で生きることを表現するオブジェクトとして被写体は存在している。そしてそれは、少し不穏で繊細な作品になるためのひと匙になり、写真という瞬間を切り取る道具によって表現されているようだ。

参考文献

https://www.vogue.pt/english-version-portfolio-lin-zhipeng-creativity-issue
https://www.meer.com/en/1882-223-and-ren-hang-equal-relationships
https://www.tandmprojects.com/products/fandf-2nd
https://imaonline.jp/articles/interview/20190628lin-zhipeng-aka-no-223/#page-4
https://metalmagazine.eu/en/post/interview/lin-zhipeng-unfiltered-access-to-an-alternative-youth
https://mainichi.jp/articles/20180516/org/00m/070/001000d

執筆者
ハセベチカ
'98年生まれ 早稲田大学法学部卒
日英で文章を書きます
コラムの連載を持ちたいです
街中の人の装いが気になります
website: https://sites.google.com/view/chikahasebe
contact: hasebee.c@gmail.com
IG: @chika__chika__

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