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Love at first second seeing

文:Lucy Fleming-Brown
リュウ・イカ写真集: RYU IKA: THE SECOND SEEING
Title designed by Shingo Yamada

英語で「second sight」(セカンドサイト) というフレーズは超感覚的な視覚を表し、しばしば遠く離れた時空間で生起していることが視える能力を指す。通常、鋭敏な感覚は恵まれた才能とされるが、「セカンドサイト」はいわば「両刃の剣」のような感性がある。奇妙な「啓示」であることに加えて、他の人びとが共有する眼前に広がる世界の理解から切り離されるために、「セカンドサイト」を持つものには疎外感がもたらされる。

リュウ・イカの『The Second Seeing』という写真集は、その二つの視点の間で揺れ動き、イメージの重さによって「こちら」と「あちら」の区別が崩れ去るまで世界を疾走する 。重厚な写真が何層にも重なっているモノである 。他の写真への窓となる写真、ピクセルにまで粉砕されてデジタル技術で再構築された写真、折り畳まれコラージュされ、彫刻的に再構成された写真が、最後の印刷による平坦化で全く別のモノになって再び現れている。

そのような濃密なイメージの風景を探るとき、過去に最も似ている経験はアニメが生み出した視覚である。そこでは夢や幻覚、超自然的な介入、いわゆる「現実の生」など通常は区別している経験の層が、一つの現実の表現の中に統合され滲み出ることがある。しかし、リュウ・イカの写真に現れる世界は、アニメの単純なフィクションに比べるとはるかに奇妙である。表面上は日常生活の凡俗さとべたつきを持ちながら、私たちはその環境を理解するためのコードを持っていない。リュウ・イカのビジョンは私たちにとても近くても、我々の世界観に近づけば近づくほどはるか遠くに感じられる。

撮影はエジプトや日本、パリや内モンゴルで行われたようだが、写真集に一貫する設定は「不気味の谷」である。異化された世界は熱夢のような激しさで脚色されている。私たちの目は、車のナンバープレートや警察官の人相などに引きつけられるが、この見知らぬ場所を理解する鍵になりそうな細部は存在しない。そうした視覚情報をフラッシュが漂白するかのように消し去ってしまうからだ。同様に、クローズアップされたポートレートは粒子が粗くなるほどに拡大されている。写真を大きく、明るくすることは必ずしも被写体を近づけるわけではない。

人工物と自然物が奇妙に混じり合い、リュウ・イカの表現によって「本物」と「偽物」を見分けることができなくなっている。指先の凝固した血の塊やその下にある口紅も、ただの平坦な赤として描写される。それぞれの象徴的な意味が再定義のプロセスに飲み込まれている。現実をそのまま撮られた(未加工の)被写体と同じくらい、プラスチック製のマネキン、監視カメラに映る顔、歪んだ紙のポートレートから作ったインスタレーションが私たちを現実か悪夢かわからなくさせます。生々しい手が豚足に出合い、ゴムホースから牛乳が噴出する、この「連想の劇場」は、私たちが折り合える現実と、得体のしれない奇妙な要素――リュウ・イカがそれを悪魔払いすることはない――との間に境界がないことを認識させる。

この写真集は、我々の生活のなかで積層されたイメージの重量に共鳴している。タブを開きすぎたパソコンが不穏な音を立てるのと同じ重量。携帯のメモリをオーバーフローして、最後には壊してしまう重量。スクロールしすぎた面像のフィードが外国のアクション映画の予告編のようにぶつかってしまう重量。これらの写真の重量は、それ自体が一種の次元性をそなえ、時間と空間を拒絶してページの向こう側まで伸びてワープする。これらの写真は日常的な真偽の感覚を吹き飛ばし、それに代わって、イメージから構成される現実が重要な意味を帯び、新しい超現実的な遊びの状態を照らし出す。

https://www.flotsambooks.com/SHOP/PH05200.html

執筆者
Lucy Fleming-Brown
1996年生まれ 東京藝術大学大学院生
写真史を研究して、たまたまにキュレーションもやります。
Contact: konbiniqueen@gmail.com
IG: @konbiniqueen



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