#3 「未だ触れぬ未知、隔たりの優しさについて」
Batia Suter 『Exosphere 』書評
犬童アツヤ/Atsuya Indo
昨日はたまごサンドのことを考えていたらどうにも食欲を我慢できず、夜中にせこせこ朝ごはんにあてがうために作り始めてしまった。
辺見庸は『ゆで卵』という小説のなかでゆで卵を食べる擬音語に「ぽくぽく」をあてがっていたけど、なかなかしっくりくる音だなあと思いながらゆで卵をフォークで潰しマヨネーズや黒胡椒、少し甘いしんなりした玉ねぎと和える。隠し味にお酢を垂らすことも忘れない。
さてこの書評を開いてくださったあなたに、まずは軽く自己紹介をしたいと思う。というのも、やっぱり書き手の人物像が掴めていた方が文章(少なくともエッセイ、書評)は読みやすい気がしているからです。
私は多摩美術大学芸術学科に所属しており、日本の家庭料理史を文化人類学や現代美術と繋げて考えたいなと思いつつ思考、模索している。
もともとはイタリアンで数年働いていたこともあり、「料理」「食事」に大学入学前から興味があったので、朝昼晩の三食以外にも料理のことを考えている時間は多いです。
今はとりあえず明日の朝にまったりしたたまごサンドを食べられることがすごく楽しみです。さて、私の自己紹介はこの辺りにしてさっそく今回の書評に向かいたい。
本稿で私はBatia Suter の『Exosphere 』について執筆しようと考えている。
ページを捲ると、真っ白な下地の真ん中に大きく「鎧」の文字の配置がある。確かにパラパラと本を進めると、駅前でランダムな100人に「鎧描いて!」って伝えて、描いてもらった鎧を全部まとめて鎧のイデアを作るとしたら「ま、これになるわな」って形の鎧の写真がいくつもページに差し込まれている。
そしていくつかの鎧の途中に一つだけセンザンコウかアルマジロと思しき生き物の写真もある。かっこいい。
そして大半を占めるのは緩衝材に使われるような梱包資材の写真群である。
これら多義的な「鎧」の写真群が本書の大きな内容である。
製本として本書は中綴じと思われるが、接合に使われているのは糸である。何より二ページを使い大きく印刷された「鎧」に類する数々は半分に区切るように糸で閉じられているものが多い。緩衝材や防具、複数の「鎧」が幾重にも重ねられ、紙の層はまとまった一冊になる。
最も、「一枚」が「二ページ」として機能する様子は本というより多面的な折り紙のような印象を受ける。
さて、標題となっている「Exosphere」について調べたところ(外気圏、逸出圏、大気圏中高度1000km以上)のことを指すらしい。「大気圏」ではなく「外気圏」でなければならなかった理由とはなんだろうか。
「対流圏」、「成層圏」、「中間圏」、「熱圏」、「外気圏」に分けられる「大気圏」の中で「外気圏」とは最も宇宙空間に近く、多国籍有人実験施設「ISS(国際宇宙ステーション)」の上にあたる。
つまり国境や言語、地球上に無数に存在する「境」の先、ほんの少し進んだところに誰の所有もない「外気圏」は存在する。そんなことを知ると著者にとって地球の周りを「包み」、宇宙と隔てる「区切り」として若しくは「鎧」としての位相に、「Exosphere≒緩衝材 」はあるような気がしてくる。
「緩衝材」や「鎧」は大切な何かに傷をつける可能性を低減させるためのものだ。もちろん大切な何かを絶対に守りきることなんて到底できない、それでも守るという意思の具体的な形として「緩衝材」や「鎧」は機能していて、それはもれなく触れ合う双方への優しさの形の一つなのだと思う。
そして食べるために剥いた卵の殻ももれなく「鎧」なのだろう。そうやって中身を外から守るものとして本書を照らし合わせながら「緩衝材」について捉え直そうとした時、その多層性を改めて再認識する。
山折りと谷折り、自分と他者、地球と宇宙、或いは内と外、どれもが境目と触れ合っている。私的な位置にも公的な位置にも緩衝材は触れ合っていて、そのどちらにも位置し、そのどちらにも位置していない。曖昧な位置で数多の衝撃から身を包む、その隔たりの最中で緩衝材はきっと初めて「Exosphere」になるのだろう。
参考文献
7 SEPTEMBER 1956: THE FIRST HUMAN FLIES ABOVE 100.000 FEET
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執筆者
犬童アツヤ/Atsuya Indo
2000年生まれ。多摩美術大学所属。
「食事」や「料理」から人と人の位置、距離について思考、模索している。
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サポートされたい。本当に。切実に。世の中には二種類の人間しかいません。サポートする人間とサポートされる人間とサポートしない人間とサポートされない人間。