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絵画を愛する者は死を愛す: ガエタン・ピコン『素晴らしき時の震え』

言葉には、彫刻には、陶芸には、そして絵画には堰きとめられた時間が内在する.時間を愛する者は死を愛する.そうであるならば、絵画を愛する者は死を愛す.

『素晴らしき時の震え』

 『イカロスの墜落』の記事において、ガエタン・ピコンは作品に内在する流動的な時間について考察している点を指摘した.その言説は同書の出版の1年前に手がけられた『Admirable tremblement du temps』(éditeur d’art suisse Skira, 1970)――邦訳『素晴らしき時の震え』(1975、新潮社)と共鳴するように思われる[1] .邦訳は粟津則雄.

古い絵画、彫像を蔽う亀裂、色褪せや腐食、また老年における巨匠たちの手法の震え、題材の変化をとらえ、芸術及び芸術家の死と蘇生、年輪の真贋を究明する

裏表紙の紹介文.


『Admirable tremblement du temps』(原著)
新潮社刊.筆者蔵.


絵画が破壊作用そのものであることについて

 ピコンは作品における創造に「瞬間瞬間」[2]という時間性を認めていた.おそらく、その延長として『素晴らしき時の震え』からいくつかの議論を読み取ることができる.ピコンは時間の生み出す結果が「破壊的結果」(P54)であると認め、絵画が「破壊作用そのものであること」(同前)の試みであると指摘しているからだ.

われわれは、まるで時間の果てを見出すにはいたらないかのように、果てしなく時間について語っている。われわれは、時間の生み出すさまざまな結果を、その破壊的結果を描き出す。だが、絵画は、単なるイマージュを超えて、この破壊作用そのものであることを試みるにいたるのだ。これこそ、まさしく究極の言葉と言うべきものだ。

ガエタン・ピコン、粟津則雄訳『素晴らしき時の震え』(新潮社、1975).54.


作品は時間を堰きとめている.しかし、その堰きとめられた時間とは破壊に帰結する運動である.ピコンは言う.「時間を愛する者は死を愛する」(P44).そうであるならば、絵画を愛する者は死を愛する、と言うこともできよう.


ティツィアーノ『ルクレティアとタルクイニウス』
前掲書 21.

「眠るなかれ」あるいは「過ぐるなかれ」

 ヘーゲルの美学によれば、芸術とは過ぎ去ったものである.芸術は既に過去となった真理を主張することしかせぬまま、我々の表象へと移りゆく.しかし、その“過ぎ去り”は、かつて何らかの指向性があったことを仄めかす証拠である.他方で、既にみたように作品は未完の時間を内在させている.したがって、芸術は遺物でありながら未来をめざす.
ピコンは「人間の顔は、かつて描かれたことがない」(P143)と指摘し、「よく見うるようにならない限り、眠ってはならない」(同前)という.描かれたと思われたもの、眠りにつくことを許可する見たと思われたものは、なおも「或る向こう側の存在」(同前)である.それを等閑にして、しかも我々は余りにも速く作品の前を通過してきてしまった.

そして、芸術が、「過ぎ去ったもの」であるこの芸術が、 つねに、何ごとかを語ろうとのぞんできたのは事実である (芸術が重力をそなえているのはただこのためにすぎない)。だがしかし、そ れが、つねに、語るということとは別の何かをやってきたのも事実である。そして、まさしくそのために、おそらく、「過ぎ去ったもの」であるこの芸術の或る未来が存在するのだ。芸術が語ったのは、彼がとらえたことではなく、彼が目指したことだ。 そして、意味に還元されえぬそのことばは、人をそそのかして、空無なものでもなく無化されてもいない或る意味の方へ、要請し、後退する意味の方へ、向かわせるのである。芸術が、「過ぎ去ったもの」であってその歴史のなかに 留まりながら、その歴史の外にあって、ただ未来形においてのみ存在しているのも、同じ理由からである。人間の顔は、かって描かれたことがない、これが真実だ。そして、もっとよく見うるようにならない限り、眠ってはならないのだ。こちら側では、読み終ったページとして、御用ずみの伝言として捨て去られるものが、なおも、或る向う側の存在なのだ。われわれは、あまりに速く通りすぎてしまい、あまりに早く道を外れてしまった。行為と獲物とのあいだには、待伏せの場所ときらめきとのあいだには、距離が存続している。無意識的記憶や驚異の領域がひろがっているのだ。私は、監視や旅の生み出すさまざまな新たなる物語に心して耳をすましている。なぜなら、私に語られるのも、私が語るのも、時間の不眠のなかでのことにほかならないからである。

ガエタン・ピコン、粟津則雄訳『素晴らしき時の震え』(新潮社、1975).143-144.


マネ『露台』
前掲書 100.

付記: ベートーヴェンの後期弦楽四重奏について

ベートーヴェンの弦楽四重奏を評価する芸術家は少なくない.
ガブリエル・フォーレは妻への便りのなかで、ベートーヴェンの弦楽四重奏は彼以外のあらゆる作曲家に弦楽四重奏を畏怖させる、と畏敬の念を述べたという.
とりわけ後期の四重奏を讃える芸術家は多い.プルーストはストラヴィンスキーに対し、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏の素晴らしさについて同意を求めたという.しかし、ストラヴィンスキーは彼の態度を文学的ポーズと糾弾し、ベートーヴェンのなかで「最悪の作品」と敢えて罵った.つまり、ストラヴィンスキーもベートーヴェンの後期四重奏を認めていたわけだ.
また、ジョルジュ・リゲティも日本のあるカルテットに対して四重奏の挑戦を促したことがあるらしい.
このベートーヴェンの後期四重奏を讃える人物の一人がガエタン・ピコンである.『素晴らしき時の震え』においてピコンは、『ファウスト 第二部』、ティツィアーノの後期、ゴヤの後期、『フーガの技法』、『戦争と平和』と併せてベートーヴェンの後期四重奏を挙げている.「せまい個人的な感情から解放された何らかのイメージによって、実在を、実存の物語をさし示す、芸術の神話的方向」(前掲書102)を明かす、ブロッホの言う〈老年の様式〉の一例として、である.
少なからず、ある時期のコミュニュティで熱病的な支持を得たらしい後期弦楽四重奏.その注目も興味深いかも知れない.



[1] 書題の『素晴らしき時の震え』とは、シャトーブリアンがプーサンの絵画『大洪水』について述べた賛辞におけるパッセージに由来する.

[2] パブロ・ピカソ、ガエタン・ピコン、岡本太郎訳『イカロスの墜落』(新潮社、1974).85.


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