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オーストラリアに来て、自分の英語力の無さに泣いた話と英語できないマインドをカフェで克服した話。

今日は少し昔のお話を。これは、私がオーストラリアに来たときのお話。

なんとかなるなる精神

私が子供2人を連れて渡豪したのは2017年、30歳の時だった。母から「英語、少しでも勉強しておいたら?」って言われていたのにも関わらず、「なんとかなるなる」精神で今まで生きてきた私は、何か特別な準備をすることもなくゴールドコースト行きへの飛行機に搭乗した。

何も心配いらないかな、と思った理由がある。それは、心強い現在の夫の存在だった。日本人同士の結婚だったし、夫はオーストラリアに住んで15年目、医療職に就いていたのだ。私がもし英語で困っても「心配ないさ〜」と言ってくれるだろうと思っていた。ただただ、ワクワクするだけだった。

でもそれは甘い考えだった。

ビザ関係、子供たちのことに関しては必要な手続きも全てやってくれた。けれど、日常生活で必要なこと(お買い物、子供の学校送り迎えを中心に生活全般)は当然ながら私がやらなければならなかった。いまになってみてどれほど夫頼りだったのかを恥ずかしく思うほど。

渡豪して小学校での面談を終え、1週間後には学校が始まった。子供(当時6歳と7歳)たちと一緒に毎朝、歩いて小学校へ登校する。そして下校時間に迎えに行く。(ここでは、12歳以下は親もしくは監護権がある人がついていかなければならない)登下校の付き添いだけでおわればまだいいけれど、編入したばかりだからかやたらとみなさんが話しかけてくれる、、、、。全然聞き取れないので固まる、愛想笑いで返す、、、。というなんとも申し訳ないやりとりに陥っていた。

私の英語レベルが低いゆえにコミュニケーションが全く取れなかった。相手にも本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったし、私はもともと外に出たがりの性分なのに、1人で外に出るのが苦痛になるほどだった。

次男が持って帰ってきた一通のお手紙


そんなある日、次男がクラスのお友達のお誕生日会に誘われた。カードにはお友達の名前、お母さんの携帯番号と誕生日会の詳細が書かれていた。まず、こちらの誕生日会ってどのような流れ?どうしたらいいんだろう。

「多分、参加するどうか返事をしないといけないんだろうなぁ。。」と思い、夫にどうやって返信したらいいか聞くことにした。夫からの返事、「知らん。」ん?

「知らん。」

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

知ってるでしょ。うん、知ってるはずだよあなたなら。英語ぺらぺらだもの。

何度も夫から「知らん」の言葉を聞くうちに言葉にできなくなってきて泣いた。階段で泣いている私をみかねたのか夫が寄ってきてこう一言。

「英語に完璧を今更求めなくていい。君は今はそのレベルなんだから、精一杯の返信をグーグル翻訳でもなんでも使って相手にすればいいじゃん。相手は君が思ってるほど返信の文章が変とか気にしない。」


私、その瞬間フリーズ。全くこれが理解できなかったから。「なんで教えてくれないの?」って何回も夫に向けて叫んでた。

結局、泣きながらグーグル翻訳さんに助けてもらい、お友達のママへお誕生日会の参加しますと返信。

結果、お友達ママからの返信は "Thank you so much for letting me know. 〇〇 will be happy to know that Kohga(私の息子) can come.” 

通じた。。。


始まったカフェ通い


この誕生日事件(?)をきっかけに自分が本当に軽い気持ちで人に頼っていたことをとても反省した。

オーストラリアに来てから、夫と毎日カフェに行くようになった。コーヒーを持ち帰りする日もあれば、席について夫が事務仕事(自営業なので事務的な書類)することもあった。

私は基本的に夫について回るだけだったけれど、持ち前の好奇心旺盛さがついに爆発。1人でもカフェに行くようになった。

カフェに1人で行くようになって、コーヒーをオーダーできるようになった。

アイスコーヒーを飲みたくなって、アイスコーヒーってオーダーしたら、コーヒーの上にアイスクリームがのってきたこともある。(アイスドラテって頼まないといけないことを後で知る)

料理も思っていたのと違うものがテーブルに運ばれたこともあった。でも気にならなかった。あ、こう言ったからこれがきたのかな?次はこうしてみようってまた次の時に挑戦する。

そうしているうちに自宅近隣のカフェは制覇した。今度は、ネットで調べて少しずつ遠くへ。行動範囲が広がった。毎日カフェに行くのが習慣となった。

カフェで過ごす時にやっていたこと

私は、カフェで過ごす時にやっていたことがある。

  • カフェに来てオーダーを注文するときのお客さんと店員さんの会話を聞いて、わからなくてもカタカナで聞き取れた発音をノートに書く

  • そのシチュエーションをその文の横に書く

  • 実際にお客さんのところに届いたものを見て、またその横に書く

  • 自宅に帰って、夫にこんな時ってこう言ってたのかな?とざっくり答え合わせする

これをひたすら続けた結果、このフレーズを試してみよう!とインプットしたものをアウトプットしていけるようになっていった。3ヶ月後には小学校でのママ友との会話もマシになった。

この時点で相手と会話する時にいつもうまくいくわけでもなかった。でも、私が一生懸命伝えようとしていたら、文法や発音が変でも大体の人は温かく理解してくれようとした。

そして今、こうしてローカルのお花屋さんで働けている。周りの方が支えてくれて今この場にいられることを心から感謝するとともに、あの日から厳しく見守ってきてくれた夫に大感謝。

苦手なこと、嫌なことをやらないといけない時もあるかもしれない。案外やってみるとできちゃったり、方法を自分の好きなやり方に変えて克服できちゃうかもしれない。もし、私と同じように悩んでいる人がいたらぜひ試してみてほしい。


最後までお読みいただきありがとうございます。今回は、私の黒歴史、、、
をお話ししました。誰にでも過去はあるもの。もし、ご意見、体験談などあればぜひコメントで教えてくださいね♫

***YUKINA***


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