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わたしはわたし

じぶんが傷ついていたこと、
それがまだ癒えていなかったことを
認めたくなかった
 
 
まだ傷が残っているんだってことを
それほどの深傷だったってことを
認めたくなかった
見たくなかった
 
 
なぜならそれを見てしまうと
またわたしは思い出して
泣いてしまうから
 
 
 
傷つきやすい自分と対峙するのは苦手
 
 
弱すぎて
 
繊細すぎて
 
 
こんな自分じゃやっていけないよって
思って
 
 
その弱すぎる自分をもてあましてしまうから
 
 
「こんな自分」に対面するのがイヤだった
 
 
泣き虫な自分にあいたくなかった
 
 
 
「キライ」なんじゃなくて
 
「どうしていいかわからない」
 
 
 
泣いたら周りの人たちが困っちゃう
 
心配するし
 
迷惑がかかる
 
 
この繊細すぎるひとを
どう扱ったらいいんだろうって
困らせてしまう
 
 
場をしんみりとさせてしまう
 
 
あの空氣感がたまらなく
居心地が悪い…
 
 
だからむやみに泣きたくない
 
周りもじぶんも困らせたくない
 
氣まずいのはイヤ
 
 
 
泣くことに対して、
わたしは子どものころからそんな思いをもっていた
 
 
それがなければわたしはもっとしょっちゅう泣いていたと思う
 
 
 
でもね
 
そろそろ
 
こんなふうに意地をはって
泣かないようにしているじぶんのパターンをもう終わらせたいの
 
 
わたしはわたし
ほかのだれでもないの
 
泣くのはわたしの表現なの
 
泣くのはわたしの思いのひとつぶなの
 
それは「過去のわたしの思い」なの
 
 
だから、いいの
 
泣いても、いいの
 
 
そんなふうに思えたら
 
傷にむきあうことも
だいじょうぶになってきた
 
 
むしろ涙はうつくしいものなのだとさえ、
おもう
 
 
繊細なじぶんでも
もうじゅうぶんに愛されているのだと
わかるようになってきた
 

  
「わたしはわたし」
 
 
それがすべてだし
 
それでいいんだって
 
おもうようになってきたから。
 
 
 
 
 

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