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どうして先生になったんですか?

二度寝をしようか、起きようか。現代人は、一日に何度も選択をしている。インターネットで調べると、数万回と書かれている。16時間起きているとして、16時間×60分×60秒=57600秒しかないのに。
そんな数ある選択の中でも、あの選択をしたからと振り返ることができるような選択は、誰しもあるのではないか。私にとって、そんな選択は、最初の転職を決めたときである。

理系の大学を卒業し、技術系の会社に就職した。大学の専門とは少し離れてはいたけれど、仕事内容は好きだった。研究者たちの仕事を支える分析機器のサポート。自社製品が役に立つのも、私が説明に伺ってよかったと社内外から言われるのも嬉しかった。外資系の会社だったため、時には本社と英語で専門的なやり取りをするのも楽しかった。女性も多く、厳しい先輩もいらしたけれど、よくしてもらった。

お客様相手の仕事だったこと、また以前から関心があったこともあり、会社員時代にカウンセリングのスクールに通い始めた。関西一人暮らしを始めた頃だったが、スクール以外で会うような友だちもできた。多くの人の話を聞き、トレーナーの解説を聞き、内省する機会にもなった。スクールで学んだことは、お客様とのコミュニケーションはもちろん、「大阪のおばちゃん」のような上司と近づくためにも、自分の恋愛にも使えた。

あるとき、スクールの先輩のワークショップにて、自分の葬式のときに人生を振り返ることをイメージするという課題があった。関東の家族には、関西一人暮らし中の私の交友関係は話していなかった。学生時代の友人ともあまり連絡を取っていなかった。訃報はきっと友人たちには伝えられず、その時点の私の葬式はとても寂しいものになることが想像された。

会社のお客様とは、数泊出張してお話しする機会も多かったとはいえ、一期一会。どんなにいい仕事をしたとしても、仕事のつながりでしかない。もっと多くの人と深い関係を築けるような仕事をしてみたい。そう思った。今となっては、理由を詳しくは思い出せないが、教職に就きたいと思った。

それが5月。あまり準備時間も無く、転職活動を始めた。初めはろくに勉強もしていなかったので、苦戦した。休日にこそこそ採用試験に行っていたのが、だんだんそれだけでは難しくなり、会社の出張の合間に休みを取って試験に行き始め、10月下旬に内定をもらうことができた。

大学で教員免許を取ったときは、就職についてはあまり深く考えていなかった。専門科目も履修しながら教職科目の単位をそろえるのは忙しかったけれど、苦では無かった。大学院のときに、高校の非常勤講師をする機会があり、専門性を生かせる仕事に魅力を感じた。でも、一度は社会を見たいと思って民間企業に就職することにした。そして、20代最後にこの選択をして、再び教員として働くことになった。

30歳からの再スタート。手厚い指導を特徴とする私立中高での仕事は忙しかった。初めはうまくできないことも多く、評価も厳しかった。けれど、校内外の先生方に、よりよい指導法を教えていただき、少しずつ生徒たちとの関係はよくなった(と思う)。授業中に、わかった!という様子が見える生徒たちの表情。質問に来てくれること。ひとつひとつのできごとが愛おしい。理科の女性の先生というだけで、他学年の生徒の目標になったらしいとも聞いた。

生徒たちに、わかった!という喜びを届けられるように、日々工夫を重ねた。自分の葬式のときにも、そう振り返ることができるだろう。あの選択をして、本当によかった。

#あの選択をしたから
マイナビ×noteコンテストにきっかけをいただいて書きました。

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