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「生き方」のレッスンを受けたみたい、っていう話

好きな人にフラれそうな気配を感じて、「自分改革しなきゃ」って人生1、2を争うレベルで必死になって試行錯誤した去年の冬。
案の定フラれて、でも自分改革をやめちゃダメ、尊敬していた彼の「生きるスタンス」みたいなもの、私も1㎜でもいいから見習うんだ、ってもがいたその後。

気がついたらもう2月も下旬でした。
多分それらの影響の延長なんだけれど、最近ちょっと頑張ったよ。

▫️勇気を出して、会いたい人に「お会いしたいです」って連絡した。

▫️勇気を出して、「その仕事、私やりたいです」って言った。

▫️→動きがなかったので、もう一度「私本当にやりたいので、どうかお願いします」ともうひと押し電話を入れてみた。

書いてしまえばなんてことない。
むしろひとつめ、ふたつめくらいは「え?頑張らないとできないのそれ?」とすら思う。

でも、ものすごくものすごく怖かったの。
私ごときがそんなこと言っていいのかな、とか、会えたところで/やらせてもらえたところで私にその価値があったって思ってもらえるのかな、とか。
断られて自分が傷つくのも、相手をがっかりさせてしまうのも、がっかりした顔をみて惨めな気持ちになるのも怖くて、心臓バクバクになりながらやった。

でも、やってみたら本当になんでもなかったの。
会ってもらえたし、仕事はまだわかんないけど「わかった、こちらからももうひと押し検討進めてみるね」って言ってもらえた。

それだけで今はただ、十分に満足で。
どうせ自分には、って考えてやる前から諦めることを、私は辞められたんだ。
それだけでも自信になったし、多分今はもう、残念な結果になることも怖くない。だって何度でもチャレンジできる自分になれたって思うから。


そして、こういう「ちゃんと、自分の希望する方向へ手を伸ばす」ことが「自分の人生を生きること」なんだって、やっと体感として理解しました。

いつも誰かの言う通りに生きてきたから、自分で責任とらなかったから、そんなことも知らなかったしできなかった。
やっと「生き方」を掴み始めて、今はちょっとだけ、毎日が楽しくて。


これまでのnoteから考えたら嘘みたい。
まだまだ、自分の人生頑張りたい。諦めたくない。やりたいこと全部やりたい。やりたいことがなくなったら、また次を考えたい。
そんな自分になれたことが嬉しいし、そんな自分が今はとても好き。

そして、そうなってきたら時間がとっても足りない!
読みたい本、会いたい人、やりたい趣味、現状の仕事、でも美容だって疎かにはしたくない。ちゃんと睡眠時間も確保したいし、記録のためにこのnoteだって続けたい。その他に自分の思考回路整理用に手書きで書き殴ってる日記もあって、それに向き合う時間だって必要だし、あぁ、もう、やりたいことが多すぎてそれってなんて健全な生き方!

……っていう、気分です。
結果としては、フラれてよかったんだろうな。どんな出来事にも学びはあって……でもそれをきちんと学びに変えられて本当によかった。
私と出会ってくれて、心からありがとうって思います。



と同時に湧いてくるのは、自分改革しなくちゃって思う前のダメダメな自分とも関わってくれたみんなへのありがとうの気持ち。
私は自己肯定感が低くて、でも一丁前にプライドはあったり、傷つきやすかったり、本当に関わりづらい人間だったと思う。特にここ3年は酷かった。
だけど振り返ってみれば、辛辣な言葉を投げつけてくる人なんて周りには全然いなかったな、って。
職場の人も友達も、みんなみんな普通に接してくれていた。

それがどれだけ大人な対応で、あたたかく、私が優しくされていたことか。
ようやく気づき始めています。

人生っていいことばかりではないから、どん底期だってあると思う。
私にもまた、そんな時期が来る日もあると思う。

だからこそ、「今この人どん底期かもな」っていう人に会ったとしても、私も大人な対応ができる優しさを身につけたい。
そうやって、「この世界に育ててもらっている」恩を、ちょっとずつ返していけたらいいな。

なんて思っている今日この頃です。






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