とってもむずかしいバランス
小学校の頃は我先にと、授業中にはみんなが手を挙げていた。
だけど大学になって手を挙げるやつは、ほとんどいない。
選挙の投票率は相変わらず60%に乗らない。
そのわりには、政治に対しての不満はポンポン飛び出す。
SNSのコメント数が1位の日本、匿名性を使ってやっと発信できる。
アカウントを使い分けるのも、言えないことを別のコミュニティで吐露するためだろう。
「忖度」と言う言葉が瞬く間に広まったのも、日本人の特徴をドンピシャに表していたからではないだろうか?
なんとなく、出る杭は打たれる。そんな気がして、動き出せない。
「言わぬが花」という言葉がある。
確かに衝突を避けるための有効な手段の1つである。
みんながみんな言いたいことを言っていては、世間は大変なことになる。
しかしそれを続けると、そのうち、いつしか言うべきことも言い出せなくなる。言ってしまうと争いが起こり面倒なのだ。
その面倒と対峙する能力が衰えていくのだ。
裁判がアメリカに比べ日本で数少ないのは、制度上の問題もあるにはあるだろうが、「面倒と対峙する能力」が欠けているのではなかろうか。
これは表裏一体で、「面倒を避ける能力」は高いことにはなるのだが。
争いは良くない。自明のように思えるこの理論。果たしてそうだろうか。
適切な場所で、適切な方法で争うことは必要ではないだろうか。
特定の企業がある市場経済を独占することを禁止するため、独占禁止法が制定されている。これは適度な競争状態を維持するためである。
競争はある程度あった方がいいと、制度がそう言っているのである。
僕は大学生になってテストの授業を避け続け、レポートの授業ばかり取っていた。文章を書くのは苦でなかったからだ。
課題をためることもなく、仕事はいつもはやかった。
そのおかげか、周囲からは「要領のいい」人間に見られることが多くなった。課題について聞かれることも少なくなかった。
世間一般には、要領がいい、世渡り上手な人間は「ウケ」が良いように思う。なんかずるくていいな、と思われるのが自分の1つの目標であったので、この「要領のいい」という言葉に時々含まれる「ずるい」の要素を感じた時は、なかなかに嬉しかった。
ただこの要領がいいというのは、面倒を避けてしまうのだ。
テストをいつ最後に受けたのか思い出せなくなってしまった。
ここで最近のなやみ、就活に話題を移す。
就活は不思議なことに、この「忖度」のあふれた日本において、表現を求めるのである。「言わぬが花」は許されない。裏アカでのESは認められない。
手を挙げて発言し、実名をさらし、自身の杭を出すことを求めてくる。他の相手と競合させてくる。
結構な無茶をさせるよな、と思ってしまう。だって普段そんなことしないもん、めっちゃ疲れるよそりゃ。
その上、webテストは解答集が金で買えるときた。
それで測られるのはもはや、学力知力ではなく、要領のよさやずるがしこさやないか!
黒髪スーツで来いと。外見での差別化は図れないのか。内面を見るためにはええ作戦や、やるやん企業。
こんな感じに就活に終始つっこみを入れていたら、友達にさっさとおとしどころをつけろと言われた。
要領はいいが、気がすむまで納得できない面倒な性格なので、とりあえず今日は就活の意義を見つけてやる。
就職するために、つまりは就職試験に挑むために就職活動をするわけだ。
就職試験の対策に就活が存在するのであって、殆どの学生が取り組んでいるということは、就活は試験に有利に働くのだろう。
ん?大学受験と似てね。
とすると、webテストやESが共通テスト、二次が面接みたいなもんか!
確かにノー勉で挑むには無防備な気がしてきた。
受ける会社を考えるために自己分析や業界研究をする、これは志望校決めと似たようなもんやな。で企業研究は学校別に問題形式が違うことと同じやな。OB訪問とかインターンは学校説明会とかオープンキャンパスの類や。
で塾や家庭教師のような存在としてマイナビやメンターさんがいるのね。
大発見じゃね!?
ぼくにとっては大発見。
大学試験=就活といっても過言ではない。
もう一度まとめると、
業界研究、自己分析=志望校決めの手がかり
企業研究=志望校別の問題(いわゆる赤本解く感じかな?)
OB訪問、インターン=学校説明会、オープンキャンパス
ES、webテスト=共通テスト(センターテスト)
面接=二次テスト
塾・家庭教師=マイナビ、one career、リクナビ、etc...
こう考えると、なぜだかやりやすく感じてきた。
共感してほしいなあ。
でこれを攻略するために、最初言った話に戻るんだが、「面倒を避ける能力」(一種の要領の良さ)と「面倒に対峙する能力」のバランスが肝心になってくる。
情報収集は大事だが、やみくもに集めすぎても意味が無い。質の高い情報を最短で見つけるには「面倒を避ける能力」が鍵となる。
では「面倒と対峙する能力」はどこで必要とされるか。
それは二次試験、つまり面接だ。人とのコミュニケーションは避けては通れない。そこで忖度していては、「あ、こいつ思考できないんだな」と見なされる。従順な人材を求めている企業は別として、大半の企業は必ず意見を出せる人材を求めている。なぜならば、その意見によって生まれる争いが企業を成長させるからだ。
この面倒の避けるところと対峙するところのバランス感覚を考えると、就活は非常に円滑にすすむのでは?というのがぼくの意見である。
あなたはどう思う?面倒welcome、互いに成長しようぜ。
前書いた就活のいろいろ考えたやつ。良かったらみてね。
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