最近

代々木公園に行ったら、桜は咲いてないが花見客で賑わっていた。みんなリスケを諦めた人たちなんだなと思った。犬と自分を首輪to首輪で繋げて散歩しているおじさんがいて、なんか怖かったけどめっちゃ笑った。どちらがどちらがリードしているのだろう。スピーカーで「アイドル」を大音量で流している人がいて、それは違うなと思った。確かに代々木公園に集う人々にはある種のカオスさがあるけど、それはアイドルのカオスさとはまた種類が違うものなので調和していない。

ほとんど後輩としか繋がっていないBeRealが、後輩が社会人になったことで閑古鳥になった。「なんで投稿しないんですか!」と会うたびに言われていたが、社会人になったらBeRealがつまんないということを身をもって感じているところだろう。そう思うと社会人という極めて大雑把な括りの中でもある種の仲間意識が芽生えるような気持ちにもなり少し嬉しい。

京都旅行に行った。鴨川で黄昏て、自分もここで学生時代を過ごしたかったなと思った。京都はやっぱり鴨川があるから素晴らしい。繁華街で飲んだ後ですぐに鴨川に行ける。最高にチルい。もう少し品性とセンスのある言葉を使いたかったけど、チルいというのがいちばん適切なような気がする。新宿で飲んでちょっとチルりたくなっても、15分くらい歩いて新宿中央公園に行くのが関の山。渋谷だったらMIYASHITA PARK≠宮下公園の屋上か。祇園という繁華街と鴨川・生活が交差しているのが素晴らしい都市計画だなと思う。歴史に感謝。



社会人も3年目になり、そろそろ何かを成したいなという気持ちが芽生えている。やっぱり自分には何かを成したいという気持ちがあるんだなということを最近は感じている。なんか楽しいことをやりたい。



海外旅行の話で、どこ行ったことがある?という話になり、タイの名前が上がり、「タイ行ってみたいんだよね〜」と言う度に、「あ、ちょっと駄洒落になっちゃったけど触れるほどじゃないやつだ」と思う。2文字は駄洒落というには弱すぎるし、希望・願望の”〜たい”という避けようの無さに偶発性が感じられずあんまり綺麗じゃない。駄洒落は偶然にこそ宿る。けどやっぱり駄洒落センサーが一瞬はたらいてしまう。



GWに海外一人旅に行くかずっと悩んでいる。主に、そんな何日間も異国で一人で旅をするのはシンプルに寂しさに耐えられなくなるのでは、という点で悩んでいる。大学2年生くらいまでは一定期間以上の一人旅を何度かしていたが、ここ数年は一人旅をほとんどしておらず、孤独への耐性がなくなっているのを感じている。とはいえ一人で安い宿に泊まって旅をするみたいなこともやはり若いうちの特権だと思うので前向きに検討してはいる。



いま住んでいる家は家賃の割に広さがあり水回りも東京の一人暮らしとしては悪くはないので基本的にはかなり満足しているが、上の階の住人が移動するたびにズシズシと足音が響き天井から吊り下がった照明が振動することが唯一の大きな欠点。ドラえもんは地面から3mm浮いているという設定があるが、上の階の人も3mmでいいから浮いてくれればと思う。願わくば、たまに夜中に叫ぶのもやめてほしいなと思っている。

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