人を褒めることは媚びること?

友達に「今日の髪型カッコイイね」と言う。あるいは女性に「その服かわいいね」と言う。そのような褒め言葉を口にするのは、「自分が相手に気に入られたい」という思惑が見え透いていてみっともない。以前の俺はそう考えていた。
むしろ、わざとdisってみることで笑いを取ろうとしていた。みんながいいと思っているものを、あえて批判的にとらえることによって、「俺は他の奴らとは目の付け所が違うんだぜ」と歪んだ優越感に浸っていた。
しかし、あるとき気づいた。
こんな俺のことを「あいつは普通の人が気づかないような視点を持っている。面白い奴だ」などと思ってくれる人が果たしているのだろうか?たいていの人は、俺みたいな人間を「面倒な奴」「ひねくれた奴」としか思わないのではないだろうか?
確かに、物事を批判的に考える姿勢は重要だ。そういう姿勢が全くない人は、騙されたり、重要な場面で判断を誤ってしまったりする。
しかし、それを表に出すべきではない。少なくとも、それほど深い関係性でない人と関わるうちは。

俺は、いわゆる「ヨッ友」のような、時々遊んだり飲みに行ったりできる友達は多い(と思っている)。
ただ、親友と呼べるような深い信頼関係で結ばれている友達がいない。
自分の嫌いなものをはっきりdisったりしても許されるのは、それなりに長い付き合いをしてお互いのことをわかり合った関係性においてのみだ。
関係性を徐々に親密にしていく過程において重要なのは、やはり、相手を褒めることで、「私はあなたの味方である」ことを示し続ける事だと思う。
俺に親友ができないのは、俺が「素直に人を褒められない」ために「相手に深い関係になりたいと思ってもらえない」からなんだろうな。

では、どうすればいいのか?
簡単だ。素直に考えるのだ。
いいと思ったものは、躊躇せずに褒める。
「俺はミーハーじゃないぜ」「バカな奴と思われたくない」とか、変なプライドは捨てる。
むしろ、バカだと思われた方が世の中得だぜ。
相手の警戒心を簡単に解くことができるから、友達も増えるし、モテやすくなる。
逆に、嫌だなと思ったことは、そう安易に表には出さないほうがいい。
というかはっきりdisらなくても、なんとなく好きじゃないというサインを出す方法はいくらでもある。

人間、ちょっとクセはあってもいいけど、どこかで素直になることが大事だな、と思う今日この頃。


こじらせていた過去の自分を裁いていくシリーズ 第1話

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