自粛と活動の狭間で
皆さんは「今は自粛しなきゃ」とか「今は外食とか旅行に行ってもいい」とかいった、自分の行動を決める基準を持っていますか?
人によって、それが新規感染者数だったり、緊急事態宣言などの行政の勧告の有無だったりするのだと思います。
ですが、例えば、自粛と活動の基準を新規感染者数で設定すると、不都合なことが起こります。
第1波より第2波、第2波より第3波のほうが、ピーク時の感染者数は増えています。第1波のピークは東京で200人くらいでした。しかし第5波のピークは東京で5000人。第5波で200人だったころにはすでに緊急事態宣言が解除されています。
2020年のコロナが流行り始めたころに「東京で100人も新たに感染しているのだから自粛しよう」と言っていた人たちが、1年以上経った今でもその基準を適用させていたら、とてもとても外出なんかできたもんじゃありません。
基準は経時的に変化させてよい。われわれがコロナ禍という尋常ではない状況に適応するためには、そうするしかないのです。
朝令暮改という言葉があります。朝下した命令が、夕暮れには変わる、言うことがコロコロ変わって当てにならない、という意味ですね。
僕はこの朝令暮改が大嫌いです。
一度口に出したこと・決めたことは簡単に撤回してはならない。自分の言動には責任が伴うものだし、それくらい慎重にならなくてはならない。
そう思って生きてきました。
しかし、そのようなよく言えば真面目な、悪く言えば頭の固い生き方は、このコロナ禍という非日常の世の中には合っていないのですね。
そういうことが、最近やっとわかるようになりました。
気づくの遅すぎですけど。
例えが適切かはわかりませんが、僕にはこのことと、終戦後の学校で行われた教科書の「黒塗り」が重なって感じられます。
日本国民に歪んだ愛国主義や帝国主義を植え付けたことが先の大戦を引き起こした。だからそのようなイデオロギーを助長するような記述は削除しなければならない。
「黒塗り」はそうして行われました。
そのこと自体の是非を論ずるつもりはなく、しかしこの「黒塗り」に対して戸惑いや反発を覚えた子どもたちは決して少なくなかったのではないか、と思うわけです。
今まで先生が教えてきたことは嘘だったのか。じゃあ新しく先生たちが教えてくれることが、またいつの日にか「あれは間違いだったんだ」と告げられる日が来ないとも言い切れないのではないか。
想像力のある子ならきっとそう思ったのではないでしょうか。
ただ一方で、こんなことを思いついたとしても、それをズルズルと引きずるような子は少なかったのではないか、とも思います。
終戦直後の日本は貧しかったから、毎日を生きることに必死で、そういう抽象的なことを考える余裕はなかったと思うわけです。
先生が新しく教えてくれる内容をとりあえず信じて、勉強や家の手伝いなんかに励んでいたのではないか、と想像します。
そう、この“とりあえず信じる”ということが今とても大事になっているのだと思います。
政府や言うことはコロコロ変わるかもしれない。
一口に専門家と言っても、人によって意見は異なるかもしれない。
しかし、それが、とりあえず現時点での、その人にとっての真実なのです。
一度決めた方針をあとから変えてもいい。
今のような不安定な時代に重要なのは、“一本筋の通っている”ことよりも”しなやかである”ことなのだと思います。
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