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ゼンノロブロイ 漆黒、最も雄大な馬体 死去の報に寄せて 2003年神戸新聞杯の記憶

ゼンノロブロイの死


去る9月2日、ゼンノロブロイが繋養先の北海道新冠町の牧場で亡くなった。満22歳だった。4歳時、2004年に天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念という秋のG1シリーズ三連勝を達成し年度代表馬となったことで知られる。これはテイエムオペラオーとゼンノロブロイしか成しえていない快挙だ。
8月に亡くなったタイキシャトルに続いて、またしても藤沢和雄厩舎所属だった名馬がこの世を去った。

そのニュースを聞いて、特に驚かなかった。彼と同世代のダービー馬ネオユニヴァースも、引退レースの相手となった二歳年下のディープインパクトもすでにこの世にいない。
22歳という年齢は馬の寿命としては決して長生きとは言えないが、かといって早逝というわけでもない、十分に天寿を全うした年齢だった。

「ああ、ゼンノロブロイも死んだか」

そのようにして、目の前を通り過ぎてしまうニュースかもしれなかった。

しかしふと立ち止まって、彼がどんな実績を残したかではなく、彼がどんな馬だったか、ということについて心のなかで辿っているうちに、思いは変わった。ゼンノの緑色の勝負服とともに、彼の黒鹿毛の馬体を想起したとき、やはり彼が自分にとって大事な馬だということに気づいたのである。
それは彼が勝利した2003年の神戸新聞杯のことを思い出したからだった。

あの日見たゼンノロブロイの馬体は、これまで私が見た競走馬の中でもピカイチのものだった。あれほどの輝きを見せる馬は、そうはいない。事実、あの時のゼンノロブロイの仕上がりを超える馬には私は未だ出会っていないのだ。
あの秋の記憶。その記憶を、少し辿ってみようと思う。

2003年の神戸新聞杯 三つ巴の熱戦


まだ神戸新聞杯が2000mで行われていた頃のこと。改修前の阪神競馬場には、芝2400mのコースは存在していなかった。京都新聞杯が秋から春のトライアルとなり、3000mの菊花賞とは必要とされる適性がかなり異なるレースだったが、それでも有力馬たちは集まった。
2003年の牡馬クラシック戦線は例年に比べてもかなり白熱していた。それはレースを走る有力馬のそれぞれに個性があったためだ。
もちろんその中心にいるのは二冠馬ネオユニヴァース。イタリアからやって来た若き外国人ジョッキーミルコ・デムーロを背に、スプリングS、皐月賞、日本ダービーと連勝を重ね、見事に春のクラシック二冠を達成した。なんとダービー後には3歳馬ながら宝塚記念にも参戦し、ヒシミラクルの4着に敗れた。しかしローテーションの厳しさを考えれば、負けてなお強し、ダービー馬としてのプライドを十分に守り通した着順と言えた。
それを追いかけるのはサクラプレジデント。前年の朝日杯FSでエイシンチャンプの2着に惜敗したこの馬は、スプリングS、皐月賞でもネオユニヴァースの前に苦杯を舐め、ダービーでは期待を裏切って7着に沈んだ。
しかし、鞍上が田中勝春から武豊に替わった札幌記念で歴戦の古馬を打ち破って快勝し、秋に向けて再起の兆しを見せていた。
そしてゼンノロブロイ。青葉賞を勝ち、ダービーではネオユニヴァースの2着に敗れたが、それは一つ上の先輩馬シンボリクリスエスと全く同じ戦績。この期待馬を秋に向けて名門藤沢和雄厩舎がどう仕上げてくるのかが注目されていた。
この三強の他にも、ザッツザプレンティ、リンカーンとその後の重賞戦線を賑わすことになる馬たちが顔を揃えていた。

2003年9月28日日曜日。好天に恵まれ、メインレースを控えて阪神競馬場のパドックは人だかりで溢れかえっていた。観客の誰もが、クラシック戦線の有力馬たちを間近で見ようと、準メインのレースもそっちのけでこの下見所へと詰めかけていた。

9月の秋競馬、まだG1レースの始まる前の競馬場の雰囲気が好きだ。
夏競馬が終わり、競馬が中央開催に戻ってくる。なかなか足を運ぶことが出来なかった競馬場に、馬たちが帰って来、歓声が戻ってくる。秋の本格的な闘いに向けて、馬たちはどんな仕上がりを見せてくれるのか。
皐月賞、ダービーと熱戦を繰り広げてきた若駒たちが、ひと夏を越してどんな成長を披露するのか。対して条件戦を勝ち上がり、遅れてやってきた夏の上り馬は、実はこれまでの勢力図を覆す大きな力を秘めているのではないか。競馬ファンたちは、そんな期待に胸を躍らせる。

漆黒の馬体、雄大な馬体


阪神競馬場のパドックは、全国の競馬場のなかでもとくに見やすい造りになっている。
スタンドと一体化し、パドックを囲むように回廊が層になって重なっている。だから観客はどこからでも、前を遮られずに馬の姿を快適に見ることが可能になる。
その日も、すでに多くの人が集まってから駆け付けたが、なんとか前の人の肩の間から、パドックに姿を現した神戸新聞杯の出走馬を見ることが出来た。

3歳の若駒とはいえ、さすがクラシック戦線を闘う馬だけあって、未勝利馬や条件馬たちとは馬格や漂わせる雰囲気がまるっきり違う。さすがメインレースと思わせる馬たちがパドックに姿を現してくる。どれもこれも、よく走りそうな馬に見えるのだ。
だが一頭、まったくレベルの違った気配を見せる馬がいた。
それがゼンノロブロイだった。

まだ競馬を観始めたばかりのぺーペーの若造だった私だが、ゼンノロブロイの馬体の良さ、調子の良さはひと目で分かった。それは同世代のライバルたちの中でも抜きん出ていた。

時計は午後三時を周り、阪神競馬場のパドックには柔らかな西日が差し込んでいる。
光を浴びてきらきらと輝きを見せる黒鹿毛の見事な馬体。肩から前胸にかけては特に筋肉が盛り上がり、厩務員に牽かれてグイグイ前肢を交互に前に踏み出して前に進むさまは、見ているだけで迫力があった。引き締まった筋肉は、身体に内包された力強さを伝えていた。
神戸新聞杯出走時の彼の馬体重は、492キロ。確かに平均以上ではあるが、数字からは超大型馬とは言えない。だが、彼は数字以上にその身体を大きく見せていた。

「わあ、凄い馬だ」

ただそんな感想しか出てこないほどに、私は圧倒された。
そこで見た彼の馬体の良さは、その後自分がパドックで馬を判断する際の指標となった。どんな馬が走るのか。それを考えて馬を眺めるとき、私はいつもあのゼンノロブロイの姿を目の前の馬に重ねる。
だがあれ以来、ゼンノロブロイを超える馬体を持った馬には、直接見た中では出会えていない。

そして、レースが始まった。
歓声の高まる中、スタンド正面からのスタート。
ゲートで有力馬に出遅れはなく、隊列はすんなり決まった。園田競馬所属のシンドバッドが逃げて、ゼンノロブロイとネオユニヴァースは5、6番手を並ぶようにして進む。サクラプレジデントはやや後方の10番手。
1000mの通過は60秒5。落ち着いたペースと言える。
それを感じたのか、4コーナーに入って後方にいたサクラプレジデントが一気に捲る。その勢いは凄まじく、直線の入り口では早くも先頭に立った。
スタンドがどよめきに包まれる中、馬群のなかでじっと脚を溜めていたゼンノロブロイに、ついにゴーサインが出る。
並ぶ間もなかった。
前を走るサクラプレジデントをかわして力強く抜け出し、一頭だけ別次元の末脚を見せて快勝。ゴールした鞍上ケント・デザーモはGⅡであるにもかかわらず高々と拳を天につき上げ、派手なガッツポーズを見せた。2着に入ったサクラプレジデントに付けた着差は、3.1/2馬身。さらに1/2馬身離れた3着にはダービー馬ネオユニヴァースが入線した。
三強による僅差の争いという事前の予想を覆す、圧巻のパフォーマンスだった。世代最強馬はこの馬なのか、そうファンに印象付けるレースだった。

”最も美しく手入れされている馬”


その後のゼンノロブロイは、神戸新聞杯の次走、菊花賞ではザッツザプレンティに敗れたり、圧倒的一番人気に推されながらそれを裏切ったりと、勝ちきれないところがあった。
だが、彼はいつも「よく見せる」馬であり続けた。ファンの期待に応え、引退レースの有馬記念で力尽きるまでは全て4着以内という安定した走りを見せた。
4歳時に秋のG1三連勝を達成するなど、2000~2500mの中長距離においてはいつも善戦していた彼だったが、あの神戸新聞杯での強烈なパフォーマンスからすると、ゼンノロブロイの最適距離は2000mだったのではないか。
ひとつ上の世代に同厩舎のシンボリクリスエスがいたために、次走は菊花賞へと出走したが、もし3歳時に秋の天皇賞に出ていたなら、優勝したシンボリクリスエスに肉薄出来ていたかもしれない。今でもそう思う。

ゼンノロブロイの訃報を伝える記事の中で、このようなものがあった。彼を最もよく知る人間である、川越厩務員にインタビューした記事である。

ゼンノロブロイ五歳時のイギリス遠征。G1インターナショナルステークスに挑戦した彼は、惜しくも二着に敗れた。そしてレースから引き上げてきたロブロイを牽く川越厩務員に一通の封書が手渡された。
それは「最も美しく手入れされている馬」の担当厩務員を対象にしたベストターンドアウト賞を報せる封書だった。

「自分の手入れというか、ロブロイ自身が抜けて良い馬でした。強い馬は沢山いるけど、強くてあれほど美しい馬は滅多にいないと思います」
そう川越厩務員は語っている。

やはり、彼の美しい馬体は一級品のものだった。
ゼンノロブロイが神戸新聞杯で見せた馬体のあの強烈な印象、そして鮮やかな勝ちっぷりは色褪せることがないだろう。
スコットランドの義賊の名を冠せられたゼンノロブロイ。GⅠ三連勝という実績のわりに、偉大な名馬たちの陰に隠れがちな彼であるが、そのことだけは記憶に残しておきたかった。わたしにとって「グッドルッキングホース」という言葉は、ゼンノロブロイ、彼のためにある

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