春色の汽車などない

コロナ禍がいったん終わったことになり、生活が少し前の形態に戻って久しい。
たまに、時間が戻ったかのような錯覚に陥ることがある。
肉体は確実に劣化し、年齢も増え、内面も内臓も渋みが出ているのに。
何もしていないのに若返ったかのような、社会がみんなで嘘をついているような錯覚。
全員で示し合わせた大きな芝居。
みんなで揃いのマスクを着けてウイルス対策をするロールプレイ。
劇に参加できない不良はマスクを外し、劇が終わってもまだお祭り気分の女子が教室に残ってマスクを着け続ける。
嘘が終わって戻った時間はまた、いつも通りの潮流に飲み込まれる。

能登で地震があった。

またも俗世と世界を切り離す嘘のような地震だった。
文字通り交通は分断され、報道が入れないレベルの物理的な孤立が起きている。
思い出の土地が壊れ傷つき、そこに住む人が苦しんでいる。
古い街並みがぐしゃぐしゃに押しつぶされている。
悔しく、いたたまれない。

でもどこかで、淘汰やら縮図やらということを考えている自分がいる。
手入れをしていない建物は大きな衝撃で壊れる。
メンテナンスの優先度の低い道はひび割れを起こし、土砂崩れが起き、その影響で交通は遮断される。
復興ではなく、移住を考えなくてはと言い始める市議会議員もいる。それは嘘ではなくて、本当に目を向けた紛れもない現実との向き合い方だった。

歳を重ねると肉体は順当に経年劣化する。
だからではないが、人並みに点検や保守を行い、長く使えるように、壊れないようにしている。
自分の身体は捨てられない。
乗り換えることもできない。

だからせめて、内面がきらりと光るような栄養をたくさん摂って、若返るための嘘をたくさん吐く。
そんな一年がまた始まりました。
今年もよろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?