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米津氏の歌詞に見る友達以上、恋人以上

『友達以上、恋人未満』という言葉を目にするようになって久しい。
しかし僕個人としてはそれがずっと釈然としなかった。
それは僕が恋愛感情を持っていないからかもしれないし、機能不全家族で育ったからかもしれない。
心当たりの程はともかくとして、僕はずっと『友達以上、恋人以上』という関係性を探していた。

前提

誤解が無いように予め断っておく。
恋人以上というのは夫婦だとかパートナーだとかそういう関係ではないし、同性愛の話でもない。
そこにはkissもsexも無い。
唯一無二であり、かけがえが無く、何よりもとても大切な存在。
それが僕が定義する『友達以上、恋人以上』だ。

それではここから歌詞を抜粋しつつ見解を述べていこうと思う。

『馬と鹿』

これが愛じゃなければなんと呼ぶのか
僕は知らなかった
呼べよ 花の名前をただ一つだけ
張り裂けるくらいに
鼻先が触れる 呼吸が止まる
痛みは消えないままでいい

誰も悲しまぬように微笑むことが
上手くできなかった
一つ ただ一つでいい 守れるだけで
それでよかったのに
あまりにくだらない 願いが消えない
誰にも奪えない魂

これは1サビと2サビの歌詞である。
「これが愛じゃなければなんと呼ぶのか僕は知らなかった」
という一文で、1サビでは自分が相手に抱く感情を『愛』と定義付けている。
異性であれ同性であれ、そうした想いを伝えた結果が
「鼻先が触れる 呼吸が止まる」
という箇所に表れている。
それが『愛』が招いた結果であるならば、この展開は望んだ結果のはず。
この物語はハッピーエンドなはずだ。
しかし続くのは
「痛みは消えないままでいい」
というネガティブな結論である。

自分の感情が愛であるならば、恋人として認識され物事が進むのはごく自然なこと。
それなのに痛みを覚えてしまう。
自分が望んでいた関係とは違うという違和感。
しかしそれでも相手が自分を受け入れてくれてそれを望むのなら、こちらもまたそれに応えて然るべきである。
こうではないと相手を突き放して離れてしまうなら、この痛みは消えないままでいい。恐らくこれが『愛』なのだ。
そんな感情を呑み込むような一文でサビが終わる。

2サビはより悲しさを増している。
「誰も悲しまぬように微笑むことが上手くできなかった」
という始まりは、そんな関係を何人もと続けては破綻した背景を思わせる。
痛みを我慢して微笑むことは、何れ相手にも伝わるだろう。
自分も相手も悲しまないためには上手く微笑むことが必要であったのに、痛みを伴ったままではそれは叶わなかった。
そんな関係は長くはもたない。
愛している気持ちが本当であっても。痛みさえ呑み込んで願っても。
相手としても「心を開いてくれない」「本当のことを言ってくれない」「あなたが辛いなら一緒に解決したいのに」と自分が隣にいる意味を遅かれ早かれ見失うだろう。
その少しのすれ違いや違和感が、関係を続けていくには負担になる。

「あまりにくだらない 願いが消えない」
ただ大切に思うから。ずっと一緒にいたいと思うから。
離れてしまわないように愛を結んだ。
共に過ごす時間を失いたくない。ずっと変わらず笑っていたい。
元を正せばたったそれだけのこと。
それを愛と呼んだ。
そんな関係性がどこかにあるはずだと、幾度の別れを以てもう気付いているのに、願いが消えない。
こんな不毛なことを繰り返すばかりであまりにくだらないと思っているのに。

友達以上、恋人以上。
そんな価値観を理解してくれる人っていないよなぁ、と思っていた僕にとって正にそれを表してくれている歌詞だと思う。

『灰色と青』

これは米津氏と菅田氏がそれぞれのパートを持って歌っているということが重要になってくる歌である。

歌詞とMVを合わせてざっくり内容を説明すると、学生時代「何があろうと僕らはきっと上手くいく」と信じていた2人は何かのきっかけで離ればなれになってしまう。
大人になった2人は朝と夜という対極でそれぞれの生活を営んでいるけれど、全く別の道を歩んでいてなおお互いに思いを馳せている、というもの。

1番のBメロと2番のBメロでそれぞれ

君は今もあの頃みたいにいるのだろうか
ひしゃげて曲がったあの自転車で走り回った
馬鹿ばかしい綱渡り 膝に滲んだ血
今はなんだかひどく虚しい

君は今もあの頃みたいにいるのだろうか
靴を片方茂みに落として探し回った
「何があろうと僕らはきっと上手くいく」と
無邪気に笑えた 日々を覚えている

とお互いに「どうしてこうなってしまったのか」というやりきれない表情で歌い、そしてサビでは

どれだけ背丈が変わろうとも
変わらない何かがありますように
くだらない面影に励まされ
今も歌う今も歌う今も歌う

と2人で声を揃え、「ラララーラ、ラララーラ、ラララーラ」と歌詞すらない共通のメロディを口ずさむ。
道を違えても変わらない何かが今もあると信じて。
あの頃の2人を思い出して、もう一度立ち上がるために、腐らずに生きるために、合言葉代わりのメロディを繰り返す。

『馬と鹿』では恋愛色が強めだけれど『灰色と青』と合わせて聴くと思いの馳せ方が恋愛とは違う「けれど愛とも呼べる確かな繋がり」の輪郭がはっきりする。
ただの友達ではない。恋人よりももっと近くて大切な存在。
例えるべき言葉が見つからないソレを求めている僕の思考や感情に、米津氏の歌詞はパズルのピースのように違和感無くハマっていく。

ブロマンス

さて、例えるべき言葉が見つからないと言ったそばからなんだけれど、『ブロマンス』という言葉が限りなくそれに近いと現状判断している。
皆さんはこの言葉を聞いたことがあるだろうか。
BL(ボーイズラブ)という文化がコミケから飛び出して市民権を得始めた頃、一方で「これはBLではない」という主張としてできたのがブロマンスという言葉だ。

「ブロマンス(Bromance)」とは「兄弟(Brother)」と「ロマンス(Romance)」を合成した造語で、強い絆で結ばれた男性同士の関係を指します。非常に親密ではありますが、性的・恋愛的な要素のないプラトニックな関係であることが大きな特徴です。

「ブロマンス」って知ってる?BLとは違う、男同士の愛の形とは【シャーロック・ホームズなど】

引用の通り、元を辿れば三国志や日本のVシネでお馴染みの『兄弟 / 義理人情』みたいな関係であり、それをイケメンだったりを使って2人1組のいわゆるバディとして描いた作品がBLとは違う愛の形として新たに注目されたのが始まりの言葉である。
どちらが欠けても成立しない、最強のバディ。
それは時としてピンチを招くこともあるけれど、それでも2人で歩むことを決めた関係。
女性ウケする気は毛頭ないけれど、自分の理想はこんな感じかなぁと思う。
その絶妙な間合いは周りからは誤解されるかもしれない。実際相手からすら誤解されたりもする。
だからこそ相手を見つけることが難しい。それでもそんな相手を探してしまう。

最も残念なことに僕は中身は男だけれど外見は女なトランス男性であり、より勘違いされてしまうという、ね。
ややこしさマシマシなんだけど、多様性ということでひとつ。

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