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退屈は、魂の叫び!

忙しくありたい。
ヒマは苦痛だ。
忙しくありたいのに。
いつもヒマだ。

私は正直、仕事にしろ何にしろ、忙しい方が気楽でいいと思う。
他に何も考えなくていいからねぇ。

というか、昔から「ヒマ」が口癖だったのです。
思い癖になってるから、忙しくてもそうじゃなくても気付けば心の中で思っている。
「ヒマである」だと。

仕事で手と脳がフル回転してる時でさえ、頭の空いた片隅にフッと出てくる言葉「ヒマ」。
だからなんとなく、私の人生は「ヒマ」であり「退屈」なのである。

退屈とは、飽きている状態。
魂が何かしら体験を求めているのなら、退屈を感じているということは「新しい体験を寄こせ!」と言ってるようなもの。

だから何か新しい体験をやらない限り、魂は永遠に「退屈だ!!」と言って寄こすだろう。
そして新しい体験も、いつかは古い慣れた行動になるから、そうなったらまた「寄こせ」と言ってくるんだろう。魂は欲張りだ。

でも、そうは分かっていても今までにない行動には、躊躇する気持ちが付きもの。
新しい行動は、ストレスも伴います。私はそんなストレスに弱弱なのです。

この前も、ちょっとしたセミナーだかセラピーだか、そういう体験会を知って興味を持ったし、「行ってみたいなー」と思ったものの段々迷いが生じてきたのです。

県外だけど問題ない。
お金もある。
日程もクリアーだ。

行けない理由なんてないのに、躊躇した理由はなんだっただろう。

当日、そこでやることを考えれば考えるほど、「私が行っていいのか」とか「行って意味があるのか」とかなんとか。
その場に行ってもいないのに、行ったつもりで想像力が先走る。
いろんなことを思い浮かべてしまうのですね。

体験したいという素直な気持ちを覆い隠して、どんどん冷静になっていく。
そして、最後には諦める理由を探している。
行かないことが正しい選択なんじゃないかって、囁き始める。
そうかもしれないって、納得しかける自分が。

最終的にはダウジングで決めようとして、その時点で行くことを肯定してほしいのだと知ってた。
行っても大丈夫な根拠が必要だっただけ。
直感を、自分の気持ちを信じられない大人の悲しさ。
つい、理屈を探してしまう。

ま、結局は行くことを決めたんですけどね。

普段、あらゆることを決め慣れてる人はともかく、
昔から、
「どっちでもいい」「なんでもいいよ」
と他人の意見を尊重ばかりしてきた者には、自分一人で自分の思いを優先して決めるって苦手なことなのでした。
そういう人、意外と多いのでは?

で、その体験からさらにまた広がっていきそうで、どうしようかなぁと。
やってみようかなぁと、決心したところです。

こうやって、ひたすら繰り返していく。
そうしたら、違う位置にいることに気付くんだろうな。


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