五輪関係者の過去のいじめ自慢で炎上。いじめを容認する国であることが全世界に発信されてしまった。

過去のいじめ自慢で五輪関係者が炎上。

 東京五輪開会式の楽曲を担当していた某ミュージシャンが、雑誌インタビューで少年期の障がい者いじめを自慢げに語っていたことが、五輪開催直前のこの時期に明らかになります。

このミュージシャンのいじめ自慢記事を掲載した出版社が謝罪。

 このミュージシャンは、最初は形だけの謝罪で続投するらしかったですが、海外メディアが記事にして騒ぎが大きくなったことで、19日になってようやく、開会式の楽曲担当を辞任しました。

楽曲担当辞任についての記事。

 辞任に加えて、このミュージシャンが関与した楽曲の締め出しがあちこちで発生。

その1
その2

 五輪開会式の楽曲担当を辞任はしたものの、まだまだ叩けばホコリが出そうです。

このミュージシャンは、『月刊カドカワ』でもいじめを自慢。

 さらに、楽曲担当のミュージシャンが辞任した直後に、今度は五輪の文化プログラム「東京2020 NIPPONフェスティバル」に参加予定の某絵本作家が、中学生の頃の教師いじめを自伝で自慢していたことが明らかになり、ネットなどで騒ぎになります。

ソースはこちら。逮捕歴33回など経歴がかなりヤバい。

 なお、絵本作家の方は、いじめ自慢発覚後、これ以上騒ぎが大きくなる前に「東京2020 NIPPONフェスティバル」への参加を辞退したみたいです。

絵本作家が「東京2020 NIPPONフェスティバル」参加を辞退。

 なお、この絵本作家についてですが、2018年に子供向け番組用にワンオペ育児を賛美する歌詞を作曲したことで大炎上しています。また、「東京2020 NIPPONフェスティバル」降板後、新たに不倫疑惑が浮上

 いじめ自慢をしたミュージシャンと絵本作家は両者とも五輪関係の仕事から降板したものの、五輪関係者による過去のいじめ自慢が立て続けに発覚して騒ぎになったことで、五輪のイメージの悪化は避けられないはず。

両者は「いじめ自慢が大ウケする」と期待していたのだろう。

 今回の件は、いじめ実行犯当人だけの問題では済まないと思う。「いじめ自慢」が容認され続けてきた社会の体質にメスを入れることも避けられないはず。

 いじめ自慢で騒ぎになったミュージシャンと絵本作家は両者ともに、本人自ら出版物でいじめをやってきたことを自慢げに語っていることが共通しています。週刊誌や探偵などによって、こっそり洗い出された非公開情報が社会に向けて公表されたわけでない。

 この両者には、いじめを自慢をしても責任追及されるどころか、逆に大ウケして拍手喝采される期待があったのだろう。そうでなければ、わざわざ出版物でいじめ自慢などしないはず。

 さらに、いじめ自慢が出版物によって公表されたのは、最近起きたことでなく、かなり前の出来事になります。ということは、これらの出版物が発行されてから現在に至るまで、両者ともにいじめ自慢をしたことについて何らかの責任を一切問われることなく、平然とした顔でキャリアを積んできたことになります。音楽業界、絵本作家業界に自浄作用があるのだろうか?

 両者とも自分から出版物でいじめ自慢をしている以上、今になって事実無根などと言い逃れすることはできない。こうなると、「子どもの頃の悪ふざけだから大目に見てくれ」ぐらいしか頼れなくなりますが、予想以上に反発が大きくなってとてもじゃないが大目に見てもらえる状態ではなくなった。

降板で幕引きにしても何も解決しない。

 出版物でいじめ自慢をした両名が五輪関係の仕事を降板しましたが、ここで幕引きにしたのでは何も解決しない。両者が自慢したいじめの件について、今からでも洗い出すことができないだろうか?そして、洗い出した結果によっては、いじめ実行犯はもとより、当時の学校関係者など周囲の責任も明らかにしていく。

 年数が経過していることで、刑事・民事訴訟に持ち込むのは時効により困難かもしれない。しかしながら、事実を明らかにした上で実行犯や関与があった者に対して何らかの社会的責任を求めていく余地は残されているはず。

 それから、社会や世間がいじめ加害者に甘い体質も何とかしなければならない。この国では、「いじめられる側が悪い」などの理由で、いじめ加害者が不問のまま放置されることが珍しくない。さらに学校や地域社会などの閉じた共同体の秩序を維持するために、積極的にいじめが利用されていたりする。

 その結果、いじめをやっても不問にされたり、下手すれば周囲から拍手喝采されるようなことがまかり通ってしまう。

 これでは、社会や世間がいじめを後押ししているも同然だろう。このような風潮では、実行犯がいじめを反省するどころか、今回の五輪関係者みたいに、大ウケ狙いでいじめ自慢をする者が出ても不思議ではない。

 そうなると、まず社会の方こそ「いじめを許さない」と厳しい姿勢で臨む必要が出てくる。いじめ実行犯に対しては、「子どものやったことだから」と軽く扱わずに毅然と対応する。出席停止、停学・退学などの処分行うのはもちろんのこと、場合によっては、警察に突き出すこともためらわない。

 さらにいじめを容認・利用したがる学校関係者その他の大人たちの存在も忘れてはならない。このような周囲の大人たちこそ、「いじめはやっても許される・むしろ評価される」みたいな歪んだ認識を子どもたちに刷り込んでいじめに走らせるため、実行犯以上に責任は大きくなるはず。

 いじめを容認・利用していたことが明白になった場合は、実行犯だけでなく、このような大人たちの法的・社会的責任を徹底的に問う必要があるだろう。
 
 今回の五輪関係者のいじめ自慢騒動を機に、いじめ問題を軽く扱わない社会に転換させることが待った無し。そうしなければ、国際社会から延々と「いじめを容認するヤバい国」と見なされ続ける。

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