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『守護神 山科アオイ』39. 自律型偵察ロボット

 突然、ジリジリと非常ベルが鳴り出した。
「まじぃ、目を離したすきに警備員のおじさんが、やってくれた」
アオイが自分が来た方を振り返る。アオイに訓練弾で脚を撃たれた警備員が壁に身をもたせて立っていた。肩から外した無線マイクを手に握っている。ビルの管理センターに連絡を入れ非常ベルを鳴らさせたのだろう。
「まずくないわ。かえって好都合よ」
慧子が微笑む。
「彼がやってくれなかったら、こっちがやろうと思っていた」
幸田が付け加える。

「どういうことだ?」
アオイの質問に、廊下で起こった動きが答える。廊下に面した教授室のドアが次々と開き、中から現れた男女があたりを見回し始める。
「もうすぐ、このビルの中は上を下への大騒ぎになる。そのどさくさに紛れてトンズラする」
幸田が言い、幸田と慧子がショットガンを床に置く。
「アオイ、行くわよ」
慧子がアオイの肩を押し、3人はエレベーターに向かって駆け出した。

 アオイたちが陸稲大学薬学部から撤収を始めたころ……

 三浦半島の一角にあるマリーナ。明るい茶色の屋根にクリーム色の外壁――という地中海風デザインで統一された中層階の瀟洒なビルが芝を張った広い敷地に点在している。マリーナにヨットやボートを係留している人々向けのリゾートマンションだ。晩秋にさしかかる平日の今日、どの棟にもひと気はなく、ひっそりしている。
 
 港から最も奥まった国道に近い棟。正面玄関前に置かれたプランターの陰にテントウムシを二回り大きくしたような物体が置かれていた。いまはプランターに身を隠しているが、そこから玄関前の通路に出たとしても、表面を鏡面素材におおわれたその物体は周囲の風景にとけこみ、注視しない限り、誰もその存在に気づかないはずだ。
 
 2個の物体はプランターの陰からマンションの外階段の扉の前へと滑るように移動した。この扉はセキュリティのため、マンションから出るときは鍵が不要だが、入るには鍵が必要だ。
 2個の物体の背部が割れ、透明な翼が現れる。翼が高速で羽ばたき、2個の物体を宙に持ち上げる。物体は扉を飛び越え、外階段に進入し、飛び続けてマンションの3階に到着すると羽をたたんで着地した。廊下をすべるように進み、廊下の突き当りの角部屋305号室の前に達すると、廊下の擁壁に沿って設置された排水溝に潜り込み、静止した。

 マリーナから200メートルほど離れたファミリーレストランの駐車場。1台の大型SUVの後部座席に男女の姿があった。ひょろりとした若い男性が膝の上にノートパソコンを広げ、男性より年上に見える小柄な女性が横から画面をのぞいている。
「よっしゃ、やったぁ!」
男性が大きくガッツポーズをとる。落ち着いてパソコン画面をのぞいている女性に
「宝生さんも、喜んでくださいよ。ボクが開発した自律式テントウムシ型偵察ロボットが初陣を飾ったんすから」
「あ、コー君、おめでとう」
女性が画面から顔をあげ微笑んでみせる。

「宝生さん、もっと、こう、全身で喜びを表現するって、できないんすか? ボクが、あの子たちを遠隔操縦してるわけじゃないんすよ。ボクが入力した位置情報を使って自律的に305号室の前まで移動して待機態勢に入ったんす。これって、あのサイズのロボットでは、すごいことなんすよ」
「もちろん、私もすごいと思っているわよ。だけど、派手に喜んで目立つとマズイわ。私たちはレストランに入らず、駐車場に居座ってるのよ」
「レストランなら、九鬼さんと〝威張り屋”が行ってるじゃないすか。二人でハードボイルド小説の話かなんかしながら、駐車場代にはもったいないくらい飲み食いしてますって」

 車内の女性は宝生世津奈、男性は負傷から復帰したコータローだ。東京から同乗してきた九鬼と佐伯警視正は、いま、ファミリーレストランで昼食を取っている。コータローは佐伯に面と向かっては言わないが、佐伯がいない所では彼のことを〝威張り屋”と呼んでいる。

 世津奈がパソコン画面に目を戻す。
「あれ、画像が消えてるよ。もう、故障しちゃった?」
「違いますって。バッテリーを節約するため、動体センサーが動く対象を検知したらカメラが撮影を始めるんだって、何度も言ったじゃないすか。宝生さん、ボクの話、真面目に聞いてないっしょ。カメラが作動したらパソコンから警告音が出ます。ボクらはここで昼寝してていいんです」
コータローが得意げに鼻をうごめかす。

 そこに九鬼と佐伯警視正が帰ってきた。九鬼がドアを開けて運転席につきながらコータローに尋ねる。
「坊主、偵察ロボットはスタンバイしてるか?」
「その『坊主』っての、止めてくれないすか。コータローって名前があるんすから」
コータローが唇を尖らす。
「悪かった。では、世津奈に合わせて『コー君』と呼ぶことにする」
「マスター、こんな若造、『坊主』で十分だって」
助手席に乗り込んだ佐伯が、コータローの気分をはなはだ害することを言うが、コータローは負けていない。
「あなたみたいな『いわゆる偉い人』のオツムが、そぉいう年功序列に染まってるから、この国は創造性が低いんす」

  佐伯の額に青筋が立つのを見て、世津奈が割って入る。
「偵察ロボットは所定の位置でスタンバってます。305号室に動きがあったら、このパソコンが警報を鳴らし、ロボットが送って来る画像を映します」
「坊主、じゃなくてコー君、よくやった」
九鬼がシート越しに振り向き、コータローの肩を軽く小突く。世津奈に顔を向けて言う。
「お前さんたちも、飯を食ってこい」
「でも、305号室に動きがあったら」
と不安がる世津奈に
「その時は、お前さんのスマホに連絡する。そうしたら、食いかけでもなんでも、すっ飛んで来い」
と九鬼が言うと、佐伯が
「このファミレスはホールの人手が足りない。レジで待たされるとマズいから、これを置いて飛び出してこい」
と言って千円札を2枚差し出す。昔から佐伯はケチだ。
「これ、日替わり定食の一番安い奴とドリンクバーで我慢しろってことすよね」
また、コータローが余計なことを言う。

 佐伯の怒号が車内に響く前に、世津奈はコータローを引き立てるように車を下りる。車から3メートルほど離れてからコータローに言う。
「コー君、好きなものを好きなだけ食べていいわよ。私のおごり」
「え、いいんすか」
「コー君の快気祝い。コー君が戻って来てくれて、本当に助かった」
 実際、コータローがいなかったら、305号室の監視に自律式偵察ロボットを使うことができず、世津奈たちは和倉の捜索に行き詰まるところだった。それを思えば、佐伯はもっと気前よくてもいいのだが、人間の性格は簡単には変わらない。世津奈自身も己を振り返ると、「あぁ、いかんなぁ~」と思う点は多々ある。人間はお互いの欠点を受け容れ折り合いつけて生きていくものだ。世津奈は、つねづねそう思っている。

 駐車場からロボットを配置したマンションの屋根が見えた。その305号室に和倉が匿われているはずだった。世津奈は身が引き締まるのを感じていた。

〈「40. 経緯」につづく〉