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『守護神 山科アオイ』13. 感傷的な男

 世津奈が穏やかに和倉に話しかける。
「ホテルのスイートルームで、産業スパイの香坂直美がマラリアの件を持ち出さなかったか、お尋ねしました」
「その話を蒸し返すのですか? 私はマラリアには一切かかわっていません。香坂直美にそう答えたと、お話ししたはずです」
「しつこいようで本当に申し訳ないのですが、私たちのクライエントである『〈顧みられない熱帯病〉と闘う会』は、会のメンバーに化けた産業スパイが抗マラリア新薬の機密情報を狙っているのではないかと、案じているのです」
「それが、私と、どんな関係があると言うのです。私は、マラリアには一切かかわりないと……」
アオイが和倉の動揺をかぎつけ、世津奈が和倉をさえぎる。
「ともかく、私の話を最後までお聞きいただけませんか?」
形は疑問文だが、口調は断定的に「聞け」と命じている。
和倉が口をもごもごさせ、引き下がる。

「実は、今から2ヶ月前に、『闘う会』に、抗マラリア新薬の情報を無償提供したいという手紙が届いたのです。差出人の名はありませんでしたが、消印は日本でした」
和倉の緊張をアオイは感じる。
「手紙には新薬情報の一部が添えられていて、『闘う会』の医薬品専門家は、その新薬が画期的なクスリである可能性が高いと判断しました」
「それは、『闘う会』にとっては、願ったりかなったりの話ではないですか。その手紙の差出人とコンタクトしたのですか? 差出人は名前は伏せていても、『闘う会』から接触する方法は書いていたのではないですか?」
「ええ。『闘う会』のツイッター公式アカウントで5年前にアフリカのスラジリア共和国の公衆衛生指導中に事故死したアガート・マータイ医師を顕彰すれば、差出人からDMで接触すると書いてありました」

「『闘う会』は、その女性医師を顕彰したのですか?」
「いいえ。差出人が企業または研究機関の研究成果をリークしようとしているのは明らかでした。国際的に評価の高いNGOである『闘う会』が機密漏洩に加担するわけにはいかない。そう判断され、差出人には接触しませんでした」
「『実よりも名をとってしまった』……わけですか」
和倉が非難のこもった皮肉な調子で言う。アオイは和倉が動揺しているようには感じない。まるで、既に知っていることに触れているみたいに、和倉は平静だ。
「ですが、『闘う会』は新薬情報を破棄するのは惜しいと考え、データベースに保管しました」
「未練がましいことをしたものだ」
和倉の顔に冷笑が浮かぶ。

「一ヶ月前、『闘う会』はデータベースから様々な情報が盗まれていることを発見しました。盗まれた情報の中に、不明の差出人から届いた抗マラリア新薬の情報も入っていたのです」
「香坂直美がその情報を手に入れた可能性はあるでしょうね。しかし、なぜ、彼女がその件で私に接触しなくてはいけないのです」
和倉が再び動揺していると、アオイは思う。
 世津奈が和倉の目をじっと見つめる。
「それは、あなたが手紙の送り主だからです」
和倉の顔が緩む。
「ははは」
と笑い出す。
「どういうニューロンの繋がり具合をしていたら、そういう突飛な想像ができるのか、あなたの頭を切り開いてのぞいてみたいものです」
和倉は笑いながら言うが、心の中では黒雲がわき始めている。アオイは、そう感じる。

「和倉さん、それ、世津奈さんに失礼っす」
コータローが怒りを隠さず、割って入る。
「世津奈さんが何の根拠もなしに和倉さんを疑うと思いますか? ボクらは、スラジリア共和国の公衆衛生指導プロジェクトについて調べたんすよ。当時の関係者から話も聞きました。亡くなったマータイ医師と和倉さんは親しかったのですね。単なる同僚という関係を超えて、親しかった」
和倉の顔色が変わり、アオイは彼の心の中で嵐が巻き起こるのを感じる。
「亡くなった彼女の顕彰記事を連絡手段に使うおうなんて感傷的なことをするから、ばれるのよ」
慧子が冷ややかに言ってのけた。

〈「14. アフリカ」につづく〉