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わたしがレイザバレルを救済した理由 (⚠︎種運命のネタバレあり)

まさかはじめて書くブログの記事がこれになるとは思っていなかったけど、これでいいや。

それでは聞いて下さい。
種運命のレイザバレルが50話で死んではいけない理由。
というかわたしが、推してる気持ちとか全部置いといて、オリキャラを作って小説を書いて彼を救済したいと思ったその他の理由。
(まあ確かに最後がはっきり出ていないからムウさんみたいにセーフって言ってる人も多いし、わたしもそうは思ってるし、スパロボLとかだと生存ルートもあるけど、というか種見た後にムウさん生きてると思うって言ってたらマジで生きていたんだけど、それはまた別の話)

種運命という作品が伝えようとしているメッセージ的に、矛盾になってしまう。

種運命は、作品全体で遺伝子(ウンメイ)に縛られて生きる必要はないよ、ということが、ラクスやキラの言葉を含めて、ずっと言われ続けている。制作陣が時間に追われてちょっと話数のバランスとかの問題はあったとはいえ、このテーマ自体はわたしにとっては、この作品が好きな大きな理由の一つ。そしてキラたちは実際、デスティニープランというものに抗って勝つことになる。

キラたち以外にも、議長とタリアの件も見てみよう。議長とタリアが別れたのは、遺伝子のせい。だから議長はそれに囚われて、人間は遺伝子に従って生きるしかないと思い込んで、ぶっちゃけうつ病になる。しかし、最後の最後で、タリアはギルと一緒にいる選択をする(子供産みたいからギルを捨てて作った家族を置いてしぬのって、家族に対してもギルに対してもどうよって思うけど、それはまた別の話)。悲しい最後でも、二人が一緒にいるというのはある意味議長があんなに執着していた遺伝子という運命からの解放でもあるのだ。

それに対して、レイはどうよ。
まず、レイの性格タイプはINTJで、わたしともクルーゼともギアスのルルーシュあたりとも同じ。INTJの人って、割と人間に絶望してるけど、世界の残酷さを並みの人間の千倍は理解した上で、ルルーシュが言ったように「明日(選択をして生きていく意味での)が欲しい」と思っていて、割り切って生きるような連中が多い(ただし心が折れて精神病状態になるとクルーゼみたいになる可能性あり)。
この割り切るということができないと生きていけない理由としては、T(思考)タイプの中で一番感情を深く感じるから。
わかります?この世界の残酷さを全て理解した上で、並みの人間のように自分のことを騙すことも一切できないけれど、それでも未来志向的に生きる、ある意味頭おかしい連中。その上レイは頭もいいから余計その意志の強さがわかる。
もうちょっと深掘りすると、よく、ルルーシュやリオンマグナス(こいつもINTJ)とかのように大切な人のためなら何でもする感じの人もこの性格タイプには多いけど、それは自分と自分の大事なものを守れるのはこの残酷な世界では自分しかいないとわかってるから、割り切るしかないと思っているからであって、たった一人の家族であった議長に対してもレイはそういう気持ちがあって、まああとは自分みたいな子供がまた生まれてくるのは絶対に嫌だと思って、そのためにも戦うしかないと割り切ってずっと頑張っていたわけね。

とにかく。
こんなにも生きたいと願っていたレイがあの要塞で死のうとする流れになったのはなぜ?
そりゃまあ、色々あるけどね。

(1)ラウがいなくなって、もう唯一の家族だったギルを自分の手で撃ってしまったという受け入れ難いショック・辛さ・罪悪感
これまじでメンタルやばくなるってば…
しかも、キラが「その命は君だ」みたいなこと言って、キラとギルの会話を聞いてギルがやろうとしてることは自分がずっと望んでいた「明日」(人が本当に生きる意味での)をなくすことだとわかって、キラがただそういう明日を生きたがっている人間なのにギルがキラを撃って「明日」を無くそうとしてるとわかったから撃ったんだろうね。
では、ここで一つ。
レイは自分がクルーゼではない一人の人間としてした初めての選択がギルを撃ったことだと思っていただろうけど、本当は違うのよ。シンがステラ助けるの手伝った時もどう見てもそうじゃん、そんなことしたらギルとその計画にはいいことないだろうに。
本人がこれをわかっていたら、あそこでメンタル少しはマシだっただろうな、とは思う。
自分の生への思いと、シンへの友情で動いてたんだよ。
つまり議長を撃ったのはレイがレイとしてした初めての選択じゃないから、そこを認識させるというのも作品としてやるべきだった。レイは最初からクルーゼではなくレイという命だったわけだから。

(2)死んでいく最後の家族のそばにいてあげたい気持ち
先が短いなら、メンタルもやばいし、せめて最後の家族と一緒にいてあげたいと思った気持ちはあったと思う。
まあ生きていける術があったとしたらそれで死ぬとこまではいかないと思うけど。衝動的な性格でもないし生への意志も強いし周りも止めるだろうから…

(3)(決定的)遺伝子の問題的にもうあまり未来がない
これ。
これが、種運命という作品でわたしが一番受け入れられなかったとこ。
確かにタリアの選択も子供のこと考えるとまじでクズだけど、あれは少なくとも一人の人間としての選択ではあった。
遺伝子通りに生きるしかないと思い込んでいた議長まで、結局遺伝子のせいで一緒にいられないと思っていたタリアと一緒に最期を迎えられた。
じゃああそこで「明日」と「自分」の真の意味をわかった「生きたい」とずっと願ってきたレイが遺伝子通りの運命を迎えるというのって、物語の言いたいこととしてどうよ?
一応、中学生の時にすでにオリジナルのファンタジー小説を書いて海外で出版まではできた人間だが(アメリカのAmazonで買えるよ)、わたし的にはこれあまりにも大きな矛盾。
確かに、理由(2)から見ればわかるように、あれは死んでいく最後の家族のそばにいてあげたい気持ちからのレイの選択でもあったと言える。
けど、ちゃんと彼に未来を生きる術があったらもっと迷ったろそりゃ。
というか遺伝子問題がなかったら、タリアもこっちおいでとか言わなかっただろうし、キラも手を差し伸べていたわよ絶対。
(正直言って、「その命は君だ彼じゃない」って言って、しかもそのあとレイがギルを撃って明日を選ぶのを見たキラがあそこにレイを置いていくのって、遺伝子問題があってもちょっと不自然だしまあ本当にキラがそうしたとしても遺伝子問題くらいしか理由がないわけよ。)
まあどうせそろそろしぬから、ギルは一緒にいて欲しいと思う気持ちもあったかも(その上議長ちょっとメンタル幼いから)。
けど、どんだけメンタル幼い子供でも、幼児でもなければ、一緒にいて欲しい気持ちがあったとしても、相手にちゃんと未来があったら、死なずに生きて幸せになって欲しい気持ちもちゃんとあったはずよ。ましてや、自分が育てた子に対してはね。
(ギルがレイをデスティニープランに巻き込んだのはまあ遺伝子通りに生きるしかないと思い込んでいたからなのがでかくて、愛がなかったら子供があそこまで慕うように育てることなんてできないし、それにレイは自分の使命感的にギルの理想が正しいと思っていてギルを手伝いたい気持ちもあって行動してたのもあるわけで…)
結局、遺伝子の問題がなかったらレイ本人もああいう選択をする前にかなりもっと迷っただろうし(てか衝動は感じてもうつ病状態でもなけりゃ死のうとはしなかったと思う)、おそらくレイのメンタルがヤバくなっててもタリアとキラが生きるようにしたはずなのよ。
まとめると、遺伝子に抗う内容の作品で、遺伝子というくだらない運命がああいう流れになった大きな理由なのが、創作をする人間として個人的には本当に納得いかない。作品のこのテーマが、泣いてしまいそうなほど好きなわたしだから、尚更。
ステラが最後にシンに言っていた「明日」というのも、コントロールされる人生から解放されて自分で選べるようになったという意味なのに、レイはキラの言葉に動かされた後なのに結末が遺伝子通りとかぶっちゃけおかしいのよ(それも遺伝子と今までの辛い運命が理由に含まれているから余計)。
だから、遺伝子の問題をなんとかして、レイが生きられるようにするのが、作品の完成度として高いのではと、個人的には思った(ぶっちゃけ生化学の理論的には可能なので)。

まあでも、種運命はこれだけではなく、結局遺伝子的に優れたキラやラクスが世界を統率するようになるあたりも矛盾してるっちゃ矛盾してる。
けど、彼らに想いがなかったらああいう選択はしなかったであろう。
・となると、(2)の理由があってレイは自分の想いから行動したのも確かにあるけれど、それでも遺伝子問題や今までの辛い運命がなく自分が以前も自分だったって理解できていたら、彼の選択は違った可能性かなり大だし、そもそも生きていけるんだったら周りが死なせなかったはず。
・それに現実を見よ。世界は矛盾だらけよ。でも本来なら、それをわかった上で明日を望むような人間なのよねレイって。世界をよくしたいと思ってるあたり、クルーゼみたいに闇落ち(INTJの精神の自己防衛用の最終手段)してるわけでもなかったし。というか、作品自体は世界が矛盾だらけでも未来はそれ以外の理由で選んで生きていくべきと言いたかったのかもしれない。となるとこのアニメで、遺伝子的に寿命がそろそろ尽きるという設定を入れて、作中でそれが一つの理由になった選択をさせるのはどうよってなる。キラもラクスも世界のために頑張るという選択をしたのは、自分の遺伝子が適しているからというのが理由だったわけではないので。遺伝子問題を解決する術がやはり一貫性のために求められるわけ。一度はそのくだらない遺伝子(ウンメイ)と戦わせてみろよ。

まあここまでの結論は、例えわたしが夢女子じゃなかったとしても、というかレイが推しってのはおいといて、上記は一人の創作者として思ったことで、NL勢としても今みたいにオリキャラ作って救済していただろうし、まあもしわたしがBL好きだったらキラやシンあたりに救済させたかもしれない。
というかぶっちゃけわたしがレイのこと推しになったのって、最終話見た後からだったんだよ。彼についてこういうの色々考えてたらそうなった感じ。
わたしの推しになる前から、彼は生きるべきだと思っていたわけよ。

じゃあ、遺伝子の問題がなく、レイが普通に生きていけるような人間だったら、(まあ最初からそうだったらストーリー違っただろうから、最後あたりに生きていけると知ったという前提で)果たして結末は違っただろうか?

こうなると、死にたいと思うような理由は(1)と(2)だけになる。
けれど、例え重度のうつ病状態だったとしても、明日がない場合と比べるとかなり迷うだろう。
あと、タリアとキラあたりが生きろというだろうから、まあ生きることになるだろうと思ってはいる。
けど、本人があそこで死にたいと思う気持ち自体は普通にあっただろう。
じゃあ、周りの言葉以外だと、その気持ちは何に影響されるのか。
それは、自意識。自己愛。自我。自分の大切さに対しての想い。
まあ生きる意思自体は元から強い子だけどねレイは。
ただ、あまりにも辛い選択をして、そのせいでたった一人の家族が死んだ。
一緒にいてあげたい気持ちもある。
けど自分には明日もあるし、自分の命は自分だとわかったし、周りは生きろと言う。
この場合、本人が最終的にどうしたいかは、どうなるのかな?

ここで少しわたしの話をすると、わたしは人生で何度も死にたいと思ったことがある。
それを克服できたのは、ものすごく悲しむ人がいるだろうということをちゃんと認識できたのと、まあ結局自分のこと自体は好きだからなのもあった。
そしてそういう風に何度も乗り越えて、わたしが悟ったのは、どれだけ辛いことがあっても、どれだけ世界の残酷さが見えても、そんな運命に屈してしぬと思ってはいけないということだった。
「明日」が欲しい。
こういう風に生きてきた人間だから、自分と同じ性格タイプで、小さい頃から自分よりも遥かに辛く寂しい人生を生きてきて、大切な人たち(ギル、ラウ、シン、ルナとか)との人間関係のおかげでなんとかクルーゼみたいに闇落ちせずに済んだレイには、自分を重ねてしまうところもある。
まあ結局、理由(1)で死にたいと思うことは、あってはならないと思っている。
実際それくらい辛い人生だったとしても、生きていればまた幸せを感じる日はくるもん。
けどね、死にたくなる気持ち自体は、わかるんだ。
そこでそれでもちゃんと生きていくためには、自分を大事にできないとダメかもしれない。
最後あたりのレイは、キラの言葉で自我が強くなっている状態だけど、とは言えギルの「お前もラウだ」という言葉に囚われて生きてきたわけだからある意味自分を否定してきたわけ。
だからまあ混乱してるだろうし、ここ微妙なのよね。
けれど、レイがあそこで辛さのあまり屈するというのは、わたし自身が死にたいって思っていた時に屈していたら、と想像してしまうし(レイは自分に似てるところもあるから尚更)、今はなんやかんや生きていて本当に良かったって思っているから、そこで屈しては絶対にダメ、ってわかるのはわたしの悟りであり、人間はそれくらいは自分のこと大事にするべきだと思っている。
それくらい自意識が強くなっていたかは、あの時点ではどっちなのかは微妙だけど、仮に自意識がまだ足りなかったとしても、そこで屈したらそれもまた「今までの辛かった運命」に屈して明日を諦めることになってしまうから、周りにちょっと助けてもらってでも生きていかないとね。
だから(1)の理由で死にたいと思うのは、これもまたストーリー的には矛盾になってしまう。
キラだって、一番繊細で鬱病になりやすく生きづらいと言われているINFPなのに、ラクスのおかげで立ち直れたし、自分の意思でまた明日を選んで夢のために行動できるようになったわけなのに(こっちが、物語的には納得いく)。
他にも、まあ例えばカガリは後半で自由な世界で国を平和にしたいという夢のために頑張ってたし。
まあ結局デスティニープランで夢というものをなくしたいという議長ですら、戦争も心の苦しみもない世界を作りたいという夢のために行動していたわけ。はっきり言って、本当の意味で自分の運命を素直に受け入れたと言えるのか?ってなるんだよ。本当に受け入れていたら人間が苦しむのはそれこそ運命だからどうにもならないってなっていたのでは。クルーゼが全部意味ないって言いながら抗うように生きたってギルは言っていたけど、ギル本人もそういうとこあるんだよね。
となると遺伝子の問題がない前提では、やっぱレイも自分が自分ってわかった後は、まあ自意識がよっぽど強くなければ周りの助けは要るだろうけど、生きたいという自分自身の夢のために行動するべきなんだよねストーリー的には。あの瞬間でどれだけ辛くても。

ここまでの話もまた、創作をする人として思ったこと。

じゃあ、遺伝子の問題も解決できている前提で、(1)を乗り越えるくらいの化け物のような自意識がレイにあったとしよう。
(2)の理由だけだと、死にたくなる気持ちはどうよ。
まあぶっちゃけとても理解できる。
ギルはたった一人の家族だったから。
でも、親が死んだからって後追いするとか、そんなん望んでない人だらけよ。
生きていく術があったら、タリアとキラはもちろん、ギルだって、まあ確かにメンタル幼いから一緒にいて欲しい気持ちもあったかもしれないけど、レイにちゃんと未来があるのなら、生きて幸せになって欲しい気持ちがないわけない。何せ、まあ親として至らない点はたくさんあったにせよ、それでも自分が大切に育てた子だから。
それに、あそこでレイが死んだら、シンとルナマリアは戦後も親友を失った喪失感をずっと抱えて生きていくことになる。
シンはただでさえ家族も全員失って初恋(?)のステラまで亡くしたというのに。
そこもレイはわかるべき。
ほら、シンは議長のためには戦うかどうか迷ったけど、レイが自分がどういう思いで生きてきたか話したら、そのためなら戦う気になったじゃん。
それくらい、シンはレイのこと大切な友達だと思っていたのよ。
レイも、ギルの計画にいいことないのにステラを助けるシンを逃すくらい、シンのことは大事にしてたけど、まあシンが自分のことを友だと思ってる認識はあっても、自分がいなくなったらどれだけ悲しむかまでは認識できてなかったような…(で、これはちょっとやっぱ自意識の問題な気がする(セラフのミカエラ、テイルズのコレットやエステル、FF15のルーナのことを思い出すわね。))。
キラがレイを連れ帰ってたら、シンは泣きながら喜んで、レイは自分が死ななくて良かったと思うだろう。
さっきも言ったけど、レイがクルーゼみたいにならなかったのは周りとの人間関係の影響も大きい。
だから、まあシン達との再会で周りにとっての自分の大切さを認識してもらうことで、レイはクルーゼではないという作品のメッセージがさらにうまく表現できるわけ(また出た完成度の問題)。なお人の闇落ちや死の選択を防ぐくらいの絆の強さと美しさがさらに目立つことになる。
同じく、完成度のことを考えると、レイを戦場で散っていったラウと同じ運命にするのは後味が悪いし、かわいそうすぎるラウがあの世から見てて少しでも救われるようにレイにはラウと違って未来をちゃんと歩んでいけるようにするべきではなかろうか。レイの人生まで悲劇になってしまうと、ラウには本当に絶望しかないじゃないか…

更に、レイは「どんな命でも生きられるのなら生きたいだろう」みたいなことを言ってたじゃん。
だから、生きる術があるという前提では(そして上でも述べたように物語の一貫性的に遺伝子問題を解決して遺伝子通り以外の人生を生きる術はぶっちゃけあるべき)、(1)と(2)の理由だけだと、死にたいという衝動は感じても、本人の思想的に生きていかないといけない。
自意識がよっぽど強くなければそこちょっとタリアあたりの周りの手助けは要るだろうし、これから先生きていくには友人達との関係も大事だろうけど。

結局(1)も(2)も自意識と周りの手助けで乗り越えるべき問題と言う話ね。
そしてわたしにはさっき述べた経験もあるから、辛すぎて死にたいと思ってる人を見ると、生きてって言ってあげたくなるし、レイみたいに自分に似てる人の場合は余計そう。死んじゃったら周りは悲しむし、生きていればきっといつかまた笑えるとわかっているから。(だからまあ自分に相談してくる子とかには自意識・自己愛を強くしてあげることを意識している)どれだけ辛くても運命に屈してはいけないし、大事な者たちの気持ちも認識しないといけない。これらを人は誰しもがわかるべきなのだ。

(つうか、こないだ知人と話しててギルがタリアにとらわれすぎずに政治家なんかにならずに遺伝子研究を続けてラウとレイを頑張って助ければよかったのでは、とは思ったわ。まあ誰もやらないならわたしが小説でやるけど!)

まとめ
・遺伝子問題と、今までの人生の辛い運命が理由でする選択は、物語のテーマ的に大きな矛盾になってしまうし、例えこの世界が矛盾だらけでもその矛盾を理由に選択をしてはいけない(しかも最後辛かった理由の一つが議長を撃ったのが「自分」としてした最初の選択だと思い込んでいたことだけど、それは違うので)。だから、作品の一貫性を考えると、遺伝子通りの運命以外の選択肢があるべきで、結果的に運命に屈する流れ以外のエンドになるべし。
・遺伝子問題がなく、精神的辛さに耐えられる(自意識化け物)という仮定をする場合、最後の家族と一緒にいてあげたい気持ちがあっても、自分の命は自分だってわかったレイは、「明日」が欲しいという人生の思想や夢通りに生きていくべき。悲しむ人がいるから尚更。ストーリーで散々言われていたことを考えるとどうしてもね。
・同じ前提で、自意識が強くても(2)の理由だけで衝動的な選択をする可能性は誰にでもある(衝動というのはINTJにはあまりないが)けど、まずレイの遺伝子問題がなかったら彼に(1)と(2)の気持ちがあってもタリアとキラがなんとかしたはずだから、生きないと納得いかない。何度でも言うけどそんな矛盾が一つの理由になる選択は原作のテーマがとても好きなわたしとしては、意味が分からないので…素敵なテーマだと思うから尚更ね…

最後に。
レイザバレルという人物は、クルーゼと同じく、作られる過程からにして人類の醜い欲望の悲しい結果になっている。そして彼はその性格と知能のせいで、世界の残酷さをあまりにもよく理解している。戦場を駆け抜けてきた人だから尚更。
それでも彼は、未来が欲しいと思うような人。
そしてこの作品は「人間は愚かで世界は残酷だけど、それでも運命に殺されるのではなく、本当の意味での「明日」を願い夢を見るべきで、例え矛盾だらけの世の中でもその矛盾に従うのではなく、自分自身の夢のための選択をするべき」と言いたかったはず。
レイはあの最初から酷い過去と過酷な運命にせよ、それを全部わかってても生きたいという願いにせよ、自分のような子供が二度と生まれないようにしたいし家族を手伝いたいという夢にせよ、明日を守りたいと思って議長を撃った選択にせよ……この作品で一番ともいえるくらい、このメッセージの象徴と言える。
なのに、そんなレイが遺伝子通りの運命を迎えるのはEDとしてどうよって思うし(何度でも言うけど作品のテーマが好きだから尚更…)、少なくとも完成度的にはその矛盾に抗う術はあるべきで、それさえあれば、本人の気持ちもかなり影響されるだろうし、死にたい気持ちがあるとしても周りも手助けをして彼は生きていくのだろう。
それともう一つ、「君は君だ彼じゃない」というキラの言葉もこの作品の言いたいことで(ミーアに対してのラクスの言葉もそう)、これに関しては、やはりまず遺伝子問題を無くし、最後の死にたい衝動を周りの助けで乗り越えるようにして、以下を入れるべき:
・レイは以前から自分が自分だった(議長を撃ったのが「自分自身」としてやった初めてのことではない)と悟ることで、精神的辛さがマシになる
・友人達にとっての自分の大切さを認識して生きていく明日。彼が人に優しさを与えたのはクルーゼではない証拠でもあり、また、彼が優しさを与えた人たちは彼がクルーゼのようにならなかった理由の一つ。そのような強い絆は彼が彼としてこれからも生きていく力になるわけで、まあ後はシンとレイの友情の強さのインパクトのある表現にもなる
こうすることで、レイがクルーゼではなく、レイであり、遺伝子に縛られず、レイとしての人生を生きればいいというメッセージの完成度を高くすることができる。

種運命では、遺伝子問題が解決されず、レイはメサイアに残る流れになったけれど、結局上記の全ての理由でわたし個人はそれに全く納得がいかなかった。そしてその理由について深く考えてるうちに、レイという魂があまりにも好きになってしまった。そのあと、理論的にレイが助かる方法があるか専門書籍などで調べてみたら、可能だったので、小説を書いてレイを助けることにした。遺伝子通りの矛盾だらけの最後ではない、彼が夢に向けて選べる別の選択肢を、オリキャラからレイに与えるようにした。そして、彼女との会話を通じてレイは、自分はずっと自分だったとわかり、精神的苦しみをちゃんと乗り越え、周りにとっての自分の価値を理解することで、自意識を強く持てるようになった。この全ては、レイが、遺伝子や今までの運命なんかに屈せず、自分の意思や周りへの気持ちと絆も含めての「自分自身」として生きていけるようにするためのこと。それが、彼がずっと望んでいたように、作品のメッセージから伝わるように、「明日」を生きるということだから。

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