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当たり前というフィルター


例えば、決まった時間に週5日仕事をするということ。
高収入を得られれば、結婚をすれば、幸せになれるという考え方。
性別があるということ、国籍があるということ、それぞれの国に言語があるということ。

ー集団的意識の中で芽生える当たり前という意識や考え方。
ー「普通」という在り方や生き方。

これらの「当たり前」は、一体どれくらい真実なのでしょうか?

いまの時代は、地球が生まれ変わる大転換の時期とよく聞きますが。
新しい地球を選んで統合世界へ進んでいくと決めた人たちは、この「当たり前」という考え方と向き合う機会が多いのではないかと思います。

自己との向き合いや自分軸を確立していく中で、私も沢山の「当たり前」と向き合っていますが、そのどれもが真実ではないと思いました。

中でも、自分の中に「言語や国籍」に関する「当たり前」という意識があることに気づいた時には、自分自身でも大きな気づきに繋がり。

ーなぜ国によって言語の違いがあるのでしょうか?
ーなぜ人それぞれ国籍があるのでしょうか?
ーそもそも、なぜ国という概念があるのでしょうか?

恐らくこの疑問に対する答えは、沢山の書籍の中から見つかるかも知れません。
ただ、私の中で導き出された答えは、どの書籍を読んでも見つからないと思います。

それぞれの人がそれぞれの真実の中で生きているので、あくまで私の考えですが。

言語や国籍の違いは、分離の意識を生み出す一つの「当たり前」だと思いました。

何故このことに気づいたかというと、私は普段英語を使う仕事をしているのですが、ふと「英語を話すことが苦痛だな」と感じている自分がいることに気づき。(英語を話すことに慣れていないということや前世での記憶も関係しているとは思うのですが。)

その「苦痛だな」を辿っていくと、言語の壁があることによって本当に伝えたいことが伝わらないというイライラや、国籍があることによって「〜人だから」という偏見に繋がっていることが、大きな要因だなと気づきました。

確かにそれぞれの国の習慣や文化によって類似した傾向があるとは思うのですが。

でも、国籍がその人の本質ではないですよね。
国籍に関わらずですが、年齢や地位・名誉なども、その人自身ではなく、ただの肩書きだと思います。

その人本来の姿というのは、その肩書きを全て取り払った時に現れるものであって。

その真実の姿を見極めるということが、とても大事なことなのだと思います。

私が今、海外を相手に仕事をするという経験をしているのも、きっとこの真実に気づくために、私の魂が計画の中に組み込んだのだと思います。

何となくですが。
私はこれから、分離した意識を統合意識へと変えていく助けとなる活動を、ソウルメイト達と共にしていくのではないかなと思っています。

どのような形で行っていくのかは分かりませんが、でも私の魂は進むべき道をきちんと分かっているので。

「知りたい」という気持ちを手放し、安心して宇宙に任せようと思います :-)

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