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"美しき共依存"V.W.P

写真出典:V.W.P公式Twitter(@VWP_virtual)より

前書き

 さて、一昨日、昨日と2日連続でV.W.Pのワンマンライブ「魔女集会」「現象」があったわけですが。

 私はリセールで「魔女集会」のライブを勝ち取り、トークショーも当日引換券で入場するなど、直前でこの2日間のライブに滑り込みました。まぁ、「現象」は敗北して、ネカフェで鑑賞することになってしまいましたが。

 そんな2日間の玉手箱のような体験、いや彼女らの言葉を借りるなら、"バラエティーパック"のようなワクワクの詰まった時間は、まさしく魔法のようでした。

 ただ今回は、そのライブの実際のレポートをするわけではありません。一日経って余韻が落ち着いた今、私が思い、感じたことを書き連ねていきます。かなりふわっとした内容を駄文で長々と書くので、期待したものと違っていた場合はブラウザバックをお願いします。

仮想世界の"依存"と矛盾

 では、仰々しい題目で本文に移っていきます。

 まず、そもそもの話として、彼女らVTuberというのは、ファンありき、いや人間ありきの存在です。「観測」されて初めて、その存在が認められるわけです。つまりその存在というのは、客観的なものではなく、間主観的なもので、ようは、現実世界に"依"って"存"在している者たちです。

 実際、彼女らもファンありきの存在であることを自覚している節があります。「みんながいたから、歌っている。存在できている。」この独白を聞いた時、どうにも涙が止まりませんでした。ありがとう。

 少し脱線してしまいました。話を戻します。
 しかし、そんな"依存"した存在であるVTuberの中で、異なった存在感を示すのが、V.W.Pです。

 彼女らは、生放送や動画などではなく、淡々と歌を私たちに届けてきます。人との間に一定の距離感を持って、歌を届けてきます。さらに、「仮想」であることを強調した歌が非常に多いです。現実との関係・繋がりを否定するかのごとくです。

 まるで、仮想世界は現実世界とは全く別の新たな世界であり、そこに息づく存在の1人が"自分"なのだと、現実世界に"依"らない存在感を主張しているように感じられます。

 そんな一種の矛盾、あるいは挑戦をしているのが彼女たちなのです。

 こうして見ると、V.W.Pの進化と他のVTuberステージは、収斂進化をしているだけで、全く異なった系譜があるように思えます。(他のVTuberを批判しているわけではありません。もし気分を害してしまったらすいません。私の表現力の限界です。。。)

ライブで垣間見えた、V.W.Pという存在


 さて、そんな"矛盾"の塊のような、不可解な存在感を放つ彼女らを、実際に生で観測できたのが今回のライブです。

 現実に滲み出てきた仮想空間、あるいは現実からはみ出した豊洲PITという仮想と現実の狭間に、束の間の滞在を許された私のような観測者と魔女の邂逅、それがライブだったわけです。

 ライブでは、より身近にV.W.Pが感じられました。音響が胸に響いて、音楽が頭に染み入ってきました。だからこそ、「V.W.Pは仮想であり、現実に存在しない」ことを示す歌詞の数々が余計に強く聴こえて、裏切られたような気持ちすら抱きました。

 私は今、現実から脱出し、仮想に身を委ねようとしているのに、何故そのようなことを言うのか。

 その時、私は、私自身がV.W.Pに依存していることに気付きました。

 自分という存在の一部に、V.W.Pがいることに気付きました。

 V.W.Pを通して、私は様々な変化を経験しました。初めて見た花譜のライブ、そこから始まる旅の中で、色んな人と出会い、話し、価値観を共有しました。

 自己自認の内に、自らを構成する要素の中に、花譜・理芽・春猿火・ヰ世界情緒・幸祜がいたのです。

 観測者との繋がりをV.W.P自身が拒絶するかのような行為で以て、私は自分がV.W.Pに依存していること、そしてV.W.Pに対する愛を自覚しました。ただ、この"愛"は、恋慕ではなく、感謝や尊敬も含んだ透き通った愛、子供じみた"好き"でした。

 これを自覚したとき、不思議とV.W.Pに抱いていた厄介な感情はスッと消えて、純粋な何かが新たに胸に再構築されました。10ヶ月遅れのRebuildingです。


 そして、これはV.W.Pも同じなのだと感じました。今までの「あなたがいたから存在できた。あなたがいたから歌えた」という言葉、そしてライブの最後に貰った「愛している。大好き」という言葉の真意もまた、透明な愛でした。

 V.W.Pは、私たちに依存した存在ではありません。観測者とはあくまで、V.W.Pを構成する要素の一部なのです。

 "愛"を向け合う美しき共依存、いや、依存ではなく、"私たち"と"彼女たち"の『共存』の形、それが魔女と観測者の関係性なのではないでしょうか。



蛇足「魔法とは何か」

 共存する私たちと魔女たちの構図はつまり、現実世界と仮想世界の"対等"な関係の縮図と言えます。

 真に隣人として認められた仮想世界から、本来は存在しないはずの他者からのメッセージ、現実世界との架け橋になるのが、歌という「魔法」の、一つの側面でしょう。

 魔法とは、「異世界の法則を現実世界に導入する」ことと捉えることができます。
 
 そして、その魔法によって引き起こされたのが、今回の「現象」なのでしょうか。

 ただ、魔法とは不可解なままで良いのです。理解しようとするその姿勢こそ、私たちに求められていることで、理解できないからこそ観測を続けるのです。

 改めて、ありがとう。神椿の皆さん。

 そして、私が思うままに書いた駄文をここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました!!!

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