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砂まみれ日常

 なにごとも「明日やるから」といってはやらない、「こっちは担当じゃないんで」といってはたらいまわす無責任国家エジプトでも、シーシャの炭交換だけはまことに正確な頻度でうやうやしくやってくれる。どんな茶屋にもかならずシーシャがあり、1回100円ほどで味わえる。チャイは約30円。砂糖を大量に溶かして運んでくる。夕暮れにアザーンが響くころ。大学近くのすっかりなじみになった店。カオル、元気か? と唯一の英語を話せる店員アフマド。「シーシャもいいけどよ、ハシシ売ってないんかこの店は」マンゴー味の甘い煙を吐きながら冗談を飛ばす。「明日入荷するわ」と笑うアフマド。ずいぶん溶け込んでしまった。

茶屋のとなりは個人商店で、食料品や日用品を買いに地元民がやってくる。こどもたちが遠慮なくマジマジとわたしを見つめる。この好奇の目にさらされるのがイヤだったのはいったいいつごろまでだったか。スリランカはひどかったなあ。おれも若くてしょぼかったし。チャイナチャイナ言われて怒ってるようじゃまだまだ青い。ニヤリとほくそ笑んでアッサラームアレイコムと言ってやる。おどろいたようにアレイコムアッサラームと返ってくる。あいさつは大事です。中学生のわたしがあいさつ運動をしますとかいって校門前で何週間か「おはようございまーす」とかやっていたのは生活委員会に入らされたからだ。

店の上部に据えられたテレビでワールドカップをやっている。日本が勝った。すごいな、おめでとう、と声をかけてくるオヤジたち。マエダのあのシュートすごかったな、ホンダがどーしたこーした。あんまり名前を言われても長友くらいしか知らないので適当にうなずく。

日本ではないひとつの国で生活するっていうのはどういう感じなのか。旅ばっかりして、人々の生活空間をのぞいてのぞいて、いいところばっかり見てきたんじゃないのか? じゃあ実際に暮らしてみよう。たどり着けばエジプトの田舎町。刺激的なことなどなにもない。エンゲル係数はほぼ100%、この町には金を使うところがない。酒すらアレクサンドリアという近郊都市まで買いに行かねばならない。車で1時間はかかる。

日常。授業をして準備して成績つけてまた来週、という淡々とした繰り返し。週に90分×10コマなのでまあまあ疲労がたまる。はじめての授業で速やかに悟った、ここは無気力学生の巣窟そうくつ。堂々とスマホに集中、一番前の席で爆睡。何も言わず途中退席して帰ってこない、遅刻してきたうえに自分の出席をとれと主張するので中断する授業。こちらが凄んで注意しても言いわけの嵐。雨が降って道路が冠水してバスが遅れた、親戚の誰かが病気だった、具合が悪くて医者に行ったけど診断書をくれなかった、あの先生は10分の遅刻では何にも言わない、ファラオに呪われちまえバカヤロー。



それでもとにかく3か月やってきた。

話を聞かせようと厳しくしてみたがまるで意味がない。教室はあいかわらずお通夜の静けさ。そこにはなんの哀悼もない。ちゃんと日本語を教えなければ、というわたしらしからぬ気負いもあった。だが、ふと思う。日本語を好きになればおのずと授業に集中する。日本語を好きになるにはその教師を、その教師が提供する授業を好きになればよい。おれを愛せよ、おれをたたえよ。「~を食べます」という構文にさしかかった。もはやおれは説明を最小限に抑える。雑談をはじめる。エジプトでなにがいちばんおいしいの? エジプト料理ってなに? 前に座る積極的な生徒がすぐさま答える。「コシャリ食べなきゃだめだよSENSEE」なんだそれ、おいしいの? ほかの生徒が説明しはじめる。ショートパスタと米とトマトソースとうんたらかんたら。エジプト人大学生はみなよく英語ができる。「モロヘイヤスープがエジプトのソウルフードだよSENSEE」ああ、エジプト唯一の野菜ね、とおどける。ステレオタイプギャグはよく受ける。ときにカタコトのアラビア語を使えば単純なもので生徒は大喜び。こちらから、これはアラビア語でなんていうのかと聞きまくる。おお、あの一番後ろに座って決して顔を上げることのない強面こわもてのオマールがこちらを見ている! 活気が出る教室。この勢いだ!

「授業にもどろう。~を食べます。『を』は目的語にくっついてくる助詞というやつで……」
天照あまてらすの岩戸はすぐさま閉まった。闇に閉ざされる世界。ふたたびスマホに熱中するマリアム、モハメド、眠りにつくユセフ。それでもちょっと興奮の残滓ざんしみたいなものが教室にのこっているのを感じる。オマールと目が合う。ほほ笑む。やつもちょっと笑った。おれの勝ちだ。

教師であることに誇りをもっている同僚はあれに怒りこれを注意し授業を進めようとやっきになる。日本語の授業なんだから日本式のルールでやらなければ、などと言う。だが、ただ単純に自分が今まで受けてきた日本の奴隷製造教育しか知らないからそれしかできないのである。

おれは教師をしたいんじゃない。日本語を教えつつ、未知の文化圏のやつらとくっちゃべって金をもらいたいのだ。「先生」なんて言われて自分がエラくなったつもりになってはいけない。自戒、自戒。

会議と称し、日本語教師たちのエジプト批判・日本礼賛らいさんがはじまる。あいまいな笑みを浮かべてはいはい言っているおれは紛れもない日本人だ。
さあ、またひとり小汚い茶屋にしけこみシーシャを吸おう。いちばんきれいな女生徒のことを考えたりしながら。


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