大日本脱出記
屋上へのハッチは取手とはしご部分が細ひもできつく結ばれていて開閉できないようになっていた。最上階、空っぽになりかけの混沌とした自室にはそれを切断するものが見当たらない。いくつものゴミ袋をかきまわし、ついに包丁を見つけたトモがギラギラ笑う。躊躇なくひもをぶち切る。ハッチを押し開けば大量の塵埃が外廊下の地面に落ちた。さっそうと昇る男たち。少しおくれて女たち。3年住んだアパートを退去する前日は、引っ越し手伝ったるわ、とは名ばかりの大乱痴気騒ぎと化していた。
頭上に広がる夜空はあけっぴろげで、はるか大阪の灯までも見えるほどだった。落下防止の柵はなく、端に近づけば近づくほど下半身がゾクゾクと身震いをはじめる。へりに座って足をプラプラさせる。「あぶないからやめなよぉ」、地上があんなにも遠い。風が気持ちいい。ほどなく寝転がる。
「やらなあかん、こうせなあかんって思ってやってたんやけど、いっぱいいっぱいになってたんやな。無理しすぎてはじけてもうて」
「まあな、三十歳目前はそういうの絶対あるよな」
「え、カオルもあったん?」
「あったあった。俗にいうカオル・ビッグバンね」
一同「カオル・ビッグバン!!」
「それで気づいたら、あ、おれともだちに会いたいわ、ってなって即全員に連絡してん」
「最高だな」
「表情がいきいきしてるもん」
「景色、きれいやな」
そこで何本ものタバコが消費された。吸い殻はきちんと携帯灰皿に入れた。な、大人になっただろ? もう引っ越し作業はあきらめた。明日で何とかなるだろう。ビールだビール。わたしの深草最後の晩餐は、この大人数で行った本格中国料理だった。羊の串焼き、ワンタンスープ、ほうれん草のニンニク炒め、豚肉四川風炒め、ああ麻辣マーラー。こんなにひりひりした口じゃ愛の言葉もささやけない。
ずいぶん世話になったマットレス、机、椅子、棚、食器、思い出、その他もろもろ、京都市南部クリーンセンターは大口を開けて吸い込んでゆく。軽トラックを借りてヒロキとふたりで炎天下、エレベーターなどない5階の自室からすべてを運び出した。殺風景だった部屋、なるべく荷物を増やさないように努めていた部屋。「カオルの部屋って、何度引っ越ししても『仮住まい』感が抜けへんよね」と言ったのはカオリ。
それはそうなんだけど、それでも微増していったこまごまとしたモノ。やっぱりただ住んでいるだけで、植物と同じで、知らぬ間に根っこが生えてきてしまう。気軽に動けなくなっていく。それが心地よかったりもする。
「京都はいいところだよ。発展してるし便利で、京都にしかない文化や雰囲気があって、なにより鴨川がある。でも、なんか人生こんなもんかって、とりあえず京都にいる感じがしてた。三十歳過ぎてだいたいの社会的なことを経験して、いよいよ落ち着いて自分のやるべきことに精力を注ぐ。そうならなきゃ、でもなれない。それでも楽に暮らしていける磁場が京都にはある」
「あるね」
その時もやはり鴨川で夜景を見ていた。三条大橋はもはや酔っ払いとガキの聖地だからあれは七条くらいだっただろう。ヒロキにもまた考えることがたくさん横たわっているようだ。
「だけど、かおるがもうすぐエジプト行くって聞いて。それも1年って。うおお、やっぱりあいつはなんかやる男だ。そして確実に二十代よりやることが深まってきているのもわかる。だからおれもまだまだなんでもできるしどこへでも行けるんだ、って思えた。ありがとう」
「おれもね、外国で働くっていうのを決めてから親愛なる彼女ができて、結婚まで考えられるようないい子で。いろんな人に『よかったね。じゃあ海外行かなくていいね』『これでついにカオルも日本で落ち着けるね』とか言われたよ。みんな悪気なくね。おれってそんなに刹那的な、ないものねだりな感じで、『とりあえず海外!』って言ってるようなイメージなのかな。それくらいの、彼女ができたら撤回できるくらいの熱量で言ってるような」
「それは、カオルのことわかってない人はそんくらいかもね」
「実際、『とりあえず海外!』ではあるんだけど、それは逃げの姿勢じゃなくてあくまでも広がる興味を抑えきれない、行くしかない、っていう感じなんだよね。彼女と日本で幸せになってねって言われれば言われるほど、『ここでその大方の予想を裏切るのがカオル。なめんなよタコ』っていう妙な敵愾心が湧いてきて、海外求人を血眼になって探して、英語でコンタクトして、それでようやくエジプトだ」
「採用の結果はもう出たの?」
「まだ。8月中旬に結果が出るとかいってる。受かっても落ちてもいい機会だからとりあえず部屋を空にするのを先に決めた」
「やっぱそうじゃないとね!」
エジプトの大学で日本語を教える。その求人を見つけたのはまだ梅雨前の5月のことだった。日本語教師の求人といえば中国や台湾、タイやベトナムなどアジア圏に集中しており、募集母体は語学学校や専門学校が多数で、そのほかには日系企業内の技能実習生養成所などがある。その中には渡航希望者から法外な手数料を取り、日本で就職すればすぐ返せるよとだまして日本へ送り込み、受け入れ先の機関からマージンをもらってガッポガポという悪徳業者も少なくない。技能実習に限っていえば、受け入れ機関である日本の中小企業側としては高いマージンを払っているんだから実習生たちに元を取ってもらおうと過酷な労働条件を課し転職も認めない。あくまで技能の実習だから、ひとつの企業で熟練して技能を習得させるというレトリックである。さらに、わたし自身の経験から、そういう甘い話を疑いもせず信じて群がる学生は決して真面目に勉強などしない。負のスパイラル。
現在、日本政府はようやく技能実習についての法改正に着手し、適正な賃金を払う、転職を認める「特定技能」というビザが解禁された。ややこしい名前はどうにかならないのか。
とにかく、そのような人買い産業に加担する確率を少しでも減らすべく、「技能実習」という文言がある求人はすべて無視した。求人に記載されている企業や学校のサイトを見て、少しでも悪徳臭がしたら応募を控えた。たとえば、みんな笑顔でおなじ制服を着て接客用語を学んでいる授業風景とか。
そのようにして求人をふるいにかけていくと、大学による募集が残った。あくまでもその国の最高学府であり、さすがに出稼ぎ斡旋に手を出してはいないだろうし、学生も自分の純粋な興味で日本語の授業を選ぶ。これはいい。しかし、多くは修士号や博士号を必要とする求人ばかり。ヨーロッパやアメリカなど人気の国々は優秀な応募者多数でバックパッカー上がりのわたしが受かりそうもない。そういうわけで、だれも行こうとしない、辺境の大学を目指すことにした。それがエジプトのE大学だった。英語で履歴書を書いた。応募した。書類が通った。オンライン面接・模擬授業の準備を必死こいてやった。面接。受かった。泣いた。
エジプト、アレキサンドリアへ向けての日本出国は9月27日。
安倍晋三の国葬を横目にわたしは空へ。日本は英雄を二人も失う。
アディオス・アミーゴス。人には親切にすること。