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行動における<楽しさ>の遷移 - 楽しく働くってマジで言ってる? -

事実としてこの世界には様々な”アンバランス”が存在しています。
現実の社会は言わずもがな、それは私自身のなかにも、FLAT STUDIOという場所でさえ、認識しようとするならば"アンバランス"はいたるところに存在しているでしょう。

"未来に繋がる一歩を踏み出すため"という目的を自覚しながらキーボードを叩くこの瞬間でさえ、僕の心には未来への期待や興奮、それによって生じるかもしれない出来事を想像して胸が膨らむと同時に、当然それだけではなく不安・焦燥・迷いといったマイナスとされる感情も逡巡しています。

進むべき道に分岐点が生まれる時、私たちは決断することを求められます。そして実際に決断を下すわけですが、その時、しばしば「楽しい/楽しくない」をひとつの判断基準に据えることがあるはずです。
安定や確実性が崩壊しつつある現在において、自分に焦点を当てて物事を決断しようとする姿勢は判断基準として妥当性が高いはず。

「楽しいから」
「好きなことだから」
「継続してきたことだから」

わざわざこんなテキストを読んでいるモノ好きで聡い読者のみなさまはすでにお気づきかもしれませんが、《正》の感情があるならば当然のこと《負》の感情も存在し、それらは表裏一体であると考えるのが自然です。
さらに我々のようにモノづくりを通して感情表現を試みるような輩は得てして気分の浮き沈みが激しく、「その浮き沈みこそが人をクリエイティブにさせるためのスパイスなんだ」など、自分を奮い立たせるために妙なロジックを自身に言い聞かせていたりするのではないでしょうか。
(僕のことですけど)

「楽しさ」の遷移

改めて「楽しい」を考えてみると、私たちが「楽しい」と”感じる”とき、それは行動中のみの感情を意味する可能性が高いです。
行動前は「楽しい」への期待が、行動後には「楽しい」記憶を思い返すことで充実感を感じ、その記憶に対する快/不快の印象から一連の行動を「楽しい(かった)」と定義づけているのかもしれない。

例えばその行動が「絵を描く」といった短期間の行動であるならば、その行動中に起きる「楽しい」を阻害する要素は少なく。行動開始から行動終了後までの期間を「楽しい」状態だけで維持でき、純粋な「楽しい」を享受できる可能性が高まるといえます。
しかし、例えばこれが「1年間絵を描き続ける」という行動になった場合、同じように「楽しい」を維持できる可能性はどれほどでしょうか?

私たちが何か行動をする時。それが長期間であればあるほど、その「楽しい」という感情を阻害する要因やリスクは増していき、私たちにその行動を「楽しくない」と感じさせようとします。
こうした状況において私たちが「楽しい」を維持するために重要なのは、行動中の「楽しい」を阻害する要素を排除することであり、行動後に一連の行いを振り返った際にポジティブな出来事をどれくらい思い返せるかにかかっているのではないではないか。

体力的に厳しかったけど"楽しかった"思い出たち(アメリカ遠征)

つまり、ある行動期間中に「楽しい」と感じた回数が機会的に多ければ多いほど「楽しい(かった)」確率は増していく。また、長期プロジェクトにおける"行動中"が意味する実際の期間は「絵を描く時間」以外の時間も内包してしまうため、いかにしてその行動継続期間に「楽しい」を感じさせられるかが重要になるのではないでしょうか。
だとすると、個人の「楽しい」という感情を考える時、(当たり前のことですが)睡眠をのぞく1日の大半を過ごす「仕事」という時間にフォーカスすることは日々の「楽しい」を考えるうえでの重要なファクターだという理由の裏付けになるはずです。

しかしながら、現実問題として長期プロジェクトになりがちな「仕事」という状況において、私たちが感じる「楽しい」を維持することは冷酷なほど困難を極めます。
基本的に「仕事」は個人の楽しさを満たすために存在しておらず、組織の存続(ないしは資本の増加)を最低限達成すべき目的にすることが多く、その目的設定ゆえに仕事をする時間においては、個人の「楽しさ」と相反する行動を取らざるをえない瞬間が多々起きます。

そのため「楽しい」を「仕事」をするなかで感じるためには、ただ「仕事」をするだけで到達することは難しく、そのような目的不一致になりやすい状況下で「楽しい」と感じる瞬間をいかに作り出すかが重要になります。
仕事の大半は「他者とのコミュニケーション」とも言われています。そのような状況で「楽しい」をひとりで追求することは現実的でしょうか?

これは私個人の見解ですが、そのような環境状況のある「仕事」のなかで「楽しい」を享受するには、ひとりの力では到底できることではなく、そこにいる「他者」が一丸となって行わなければ獲得できない。一見面倒とされる「他者と過ごす」ことは、結局のところ私たちそれぞれ個人の「楽しい」という感情に大きく寄与しているように思えます。

長くなりましたが、ここからが本題です。
そしてとても遠回りな表現をし続けたことをお詫びします。

U-22 CREATOR ROOM
CANTERA

CANTERAフィードバック会の様子

少しづつ告知はしていたのですが、正式に<CANTERA>の2期生募集をはじめることを報告します。
*応募方法はコチラをご確認ください

CANTERAの存在意義は「育成」に他なりません。
しかし、上記の通り、私たちスタジオメンバーひとりひとりが「楽しい」を感じるために必要なパートナーでもあります。
CANTERAには現在4名の学生が在籍していいます。イラストレーター志望だった<Anhelo>と<春吹そらの>、アニメーター志望だった<わお>、現在PRサポートを行う<無為憂>。

僕らの案件に参加してもらったり、定例MTGやフィードバックデイでの指導などを通して交流してきたわけですが、初年度の"MVP"が<Anhelo>です。
今回、彼のケーススタディを通してクリエーター部門におけるCANTERA 1期生の成長の軌跡を簡単に紹介させてください。

また、プロジェクト開始直後はもう数名のメンバーが在籍していました。途中でやりたいことが見つかった子、そもそもイメージしていた関わり方と合わなかった子など、様々な関わり方があったのも事実です。
<CANTERA>という場所が万人に合致する、若手クリエーターにとっての理想の勉強場所だとは必ずしも言えないこと、そうしたズレが存在することもひとつの事実として伝えできれば幸いです。

CASE | Anhelo(イラストレーター)※読み:あねろ

Anhele作品(出会う前)

彼との出会いはとある案件でした。
技術的には同年代の水準を越えていながらも、正しくそのエネルギーがアウトプットできていない、という印象。だからこそ彼から生み出させるものは、その時出来ることの"正解"でありながらも、それが彼にとって"正しい"わけではない。そんな感覚を覚えました。

その時からAnheloはプロとして活動したいと夢を語っていたわけですが、僕が見てきた"プロとして活動する者"は、ロジックとしての"正解"よりも自分にとって"正しい"本能のようなものでその場所に辿り着いているような印象を持っていました。
そういう意味でいうと、その時僕はAnheloに対して"本能がない"と判断を下していたので、興味があるという事は伝えられていたもののスタジオに誘いもせず話を何度か聞いていた程度でした。

それから1年ほど経った頃、Anheloのように僕が"本能がない"と判断してしまった子たちが何人かいて、そのような状況になると「俺のセンサーが間違ってるのかも」と思うに至るわけですが、その時点では、特に行動を起こすまでには至りませんでした。

転機が起きたのは少し時間が経った頃。

出会い当時のAnhelo / イラストレーション

僕の同居人のひとりがアスリートで、当時、彼の引退試合がありました。その試合会場がAnheloが住んでいる地域付近だったこともあり、せっかくだからとAnheloを観戦に誘いました。
試合観戦が初めてだったというAnheloは選手たちの躍動になにか感じるものがあったようですが、僕は寒すぎてそれどころではなく。同居人の引退による感動と彼への労いの気持ちで、Anheloの存在は頭の片隅に消えてました。
(横にいるんですけど)

さすがにこれでは本末転倒。
僕らは喫茶店へと移動します。

僕は自分が感じるAnheloの印象やこのままだとマズイということを正直に伝えました。その後、なぜ"正解"と思われるものを答えてしまうのか。僕が感じていた違和感に対し、理由を含めて"正解"ではなく彼のなかで"正しい"と思うことを涙ながらに語ってくれました。
その時、これまで僕が感じることができなかった"本能"とはこれかも、と感じることができました。

そう感じたときに<CANTERA>の構想が生まれました。
確実に、ハッキリと覚えているのですが、あの瞬間、日本の何処かの喫茶店ではじまったのが<CANTERA>です。彼らのように能力があるにも関わらず正しく表現されていないことへのもどかしさを僕ですら感じるのだから、本人たちはなおさらのことでしょう。
そして、彼らの"本能"は何かのバイアスによって「語れぬもの」になってしまっているのかもしれない、とも感じました。そして、そのバイアスが生じている原因は、きっと彼ら側にはない。

CANTERA加入直後のAnhelo / イラストレーション
※【歌ってみた】「暮れなずむ約束」covered by 跳亜

<CANTERA>に応募してくれる方々は基本的な技術がある方が多いです。
ただし、自身の求めるイメージに到達する道筋に対して正しくアプローチができていない。いうなれば「エネルギーはあるけど出力先が間違っている」状態です。

Anheloも同じく、僕らがコミットしたのは「考え方を整理すること」で、上手くなるために費やす時間は彼ら自身が自分にコミットするしか獲得できるはずもないわけです。僕らは努力の方向性の助言はできますが、努力自体を手助けすることはできません。

Anheloは当初イラストレーター・アニメ監督を志望していましたが、今はアニメ監督も目指しつつ、《美術》《撮影》《チームマネジメント》を行うようになりました。どれも監督に必要な要素です。

特に変化を感じたのはCANTERAの定例MTGです。
彼ら自身がファシリテーションをしながら、定期的に「何が自分(たち)の課題か」「次に取り組むべき課題は」「目標設定をどうするか」などを協議し、それをもとにFLATメンバーたちと議論する。FLATメンバーからはその論点に対するフィードバックをしていきます。
"クリエーターだから手を動かす"ことが大切と思われていたかもしれませんが、むしろその外側にある行動こそが"絵を描く"ことの成長に寄与したように思えます。

最近のAnhelo / 美術

今の<CANTERA>チームはというと、報告用の資料を自ら作りそれをフォーマット化して報告を効率化したり、ストップウォッチで発表時間の計測をして時間内に言うべきことをまとめようとする、など。(FLATメンバーですらやっていないのですが)試行錯誤を続けています。
今でさえこのように出来るようになったことを言語化できていますが、これが実際にできるようになったのは、本当につい先月くらい。若者の成長速度は本当にすごいです。

我々が《育成》に注力しようと思ったのは、決してポジティブな理由ではありません。
アニメ業界に参入したものの何かを成したわけでもない我々と一緒に働いてくれるクリエーターは多くなく、チャレンジと言ってしまえばそれまでですが、今でこそようやく足場が安定した感覚はありつつも、自分たちの考える作品づくりをするためには継続が危ぶまれるような状況が続きました。

そのような中、結局のところ自分たちにとって一筋の希望になっていたのは、<CANTERA>の彼らが体現したようなメンバーたちの「予想を超える成長」を目撃した時です。
我々のことを"スタイリッシュ"と言って下さる方がたまにいますが、実際のところこうした試みは計画的だとは言いづらく、スマートでもクールでもありません。
ですが、そうした泥臭さも全て受け入れ、エモーショナルでドラマチックに進んでいます。それが我々です。

長くなりましたが、僕らが行なっていることの一端をご紹介させていただきました。

自分の人生を充実させるためにも「楽しい」時間を増やすこと。
そして何より、そう感じられる人が増えること。
私たちは互いに影響し合っているはずです。

興味のある方は「コチラ」までご応募くださいね。
宜しくお願いします!

-お知らせ-
12月21日(木)に今回紹介したCANTERA所属のAnheloと定期配信<FLAT STUDIO IN/OUT>を行います。
CANTERAではどのようなことをしているのか、この1年間の活動の内幕。たびたび「部活っぽい」と揶揄されるFLAT STUDIOのリアルをAnhelo目線で語ってもらいます。

日程:2023.12.21(木)20:00-21:00
URL:https://youtube.com/live/bY1gKR00xbA?feature=share
出演:Anhelo、石井龍

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