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嫌いな人ができた話。

生まれて初めて、嫌いな人ができた。
なぜかはわからないけれど、今までぼくは嫌いな人がいなかった。苦手な人や、合わない人はいたけど、この人のことが嫌い!という人は本当にいなかった。
ところが今、「嫌いな人はいる?」という質問をされたらパッと思い浮かぶ人がいる。胸を張って言える。ぼくはあの人のことが嫌いだ。

当然、今この場でその人のことを悪く言うつもりはないし、ストレス発散の愚痴り文章を書くつもりもない。
ただ、26年間生きてきて初めて嫌いな人ができたことによって知った、この世の中の生きづらさについて、少し思ったことを綴りたい。

——

先日、仲の良い友人たちとご飯に行ったときのこと。
「〇〇さんのことどう思ってるの?」と聞かれ、「嫌いです。」と答えたら場がピリついた。

「いやいや....はっきり言い過ぎだろ....」「今度会った時気まずいわ....」なんて言われるもんだから、なんだかダメなことを言ってしまったような空気になったのだけど、なぜダメなのか、その答えはぼくの頭の中にはない。

以前ぼくは、運営するカフェのInstagramで、人の好きを否定しない。ということを心に決めています。みたいなことを書いた。

この投稿はとても多くの共感が集まって、「素敵ですね。」なんて言葉もたくさんいただいたのだけど、でも実は、「人の好きを否定しない。」というルールを決めたと同時に、「人の嫌いを否定しない。」というルールも心に決めた。
でもこれは、そのインスタには書かなかった。
というか、書けなかった。

当時はまだ、自分の中で”恐れ”みたいなものがあったのだろう。
"嫌い"という感情が素晴らしいことみたいに受け取られてしまったり、いじめや誹謗中傷を是とするかのように受け取られてしまうんじゃないかと。

ぼくが言いたいのは、"嫌い"という感情も、人間にとってとても大切な感情で、「だれかを嫌いになるのはよくない。」「なにかを嫌っている自分はダメだ。」などと、自分の感情を否定しまうのは、とても不健全だ。ということ。そしてそれを抑圧してしまう社会も。

くれぐれも言っておくが、嫌いだからといってその人の悪口を言いふらしたり、嫌がらせをしたり、誹謗中傷をすることは否定されるべき行為だと思う。

感情は大切にするべきだと思うが、
その感情を行動に移すことはよくない。

しかし逆に、行動に移さずとも、その感情すら否定されてしまうことがよくある。「そんなこと言っちゃダメ。」とか、「この人は人を嫌いになる人なんだ、気をつけよう。」なんて、嫌な目で見られる。感情を否定されると、自分を否定されたように感じる。それは本当に心が虚しい。

人間の感情はどんな理由があろうと否定されるべきでない。
"好き"も"嫌い"も等しく大切な感情である。ただ、"嫌い"という感情はとても扱いが難しくて、一歩間違えれば人を傷つける行動のきっかけになるかもしれない。それは事実で、だから敬遠されるのだろう。でもだからこそ、この感情に寄り添って、受け入れて、大切にしてあげなければいけないと僕は思う。それは他人に対してだけでなく、自分に対しても。

自分の"好き"を堂々と言うと周りの人に笑われるけれど、ぼくは胸を張って言いたい。
自分の"嫌い"を堂々と言うと周りの人に嫌な顔をされるけれど、同じく胸を張って言いたい。
そんな世界でぼくは生きていきたい。

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