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他人軸は“ 本当に”だめ…なのか。

「あの人って他人軸だから….」
こういった言葉を最近よく聞きます。

一般的にはネガティブなイメージがある「他人軸」
これって、本当にダメなのでしょうか。
少し考えてみたくて、書いてみました。


先に結論ですが、おそらく”ダメ”ではないと考えます。


そもそも、他人軸の意味とは?

だそうです。

わたしは、他人の評価を気にするタイプ(=他人軸)だったので(若干今も)、自分軸を持つひとに憧れます。
自分軸のひとは、決断に責任や覚悟ができるとも聞くからです。

興味深いネット記事を見つけました。

多数のコミュニティを横断する中で、軸足がどこか分からなくなってしまう。(中略)コミュニティごとにキャラクターを使い分けることに慣れているせいか、自己演出というか、自分プレゼンがうまいという印象があります。その場その場に応じて、相手を不快にさせないようにコミュニケーションができる。こんなことを言ってほしいんだなということが分かれば、相手が望んでいるような受け答えもできる。こういった能力は、例えば就活の場などにおいて彼らの強みにもなるのですが、自分の中に確立された1つの自分が無いということで、社会に出たタイミングでアイデンティティについて悩んでしまう子が多い。

このように自己の確立に悩むZ世代を知ると、自分軸の大切さを改めて考えるきっかけになります。


しかしながら、過度な自分軸の主張は、
強がり、排他的、柔軟性に欠けて見えるのでは?と思っているのも事実です。
(そう見えてもいいと思っている人については割愛します)

医療を例にすると、
自分軸で判断を行った場合、自分で決断したというメリットを実感できる一方で、間違った決断であったというデメリットも想像できるからです。


結論、「バランス」が1番重要な鍵なのかもしれません。

つまり、
自分軸が主で、部分的に他人軸が混ざっている状態、
または、ある思考のカテゴリーでは他人軸が主体、この思考では自分軸が主体、などです。
体感的には、自分軸9:他人軸1ぐらいでしょうか。

もしかしたら、極端な話だと、その人の生きにくさにつながっていないのであれば、他人軸でもいいのかもしれません。


ちきりんさんが、意見とは正解はない問題への「自分だけの答え」(「自分の意見で生きていこう」)と言っていました。

自分軸に加えて、他人軸もバランスよく一緒に持つ、これが私なりの「答え」であり、今の“わたしの自分軸”なのかもしれません。




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